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「頑張れ」という言葉、なぜ嫌なのですか?
よく、「がんばれ」って言葉がイヤだっていう 話を聞きます。 私自身は、友達でも知り合いでも、頑張れって 言われると励まされた感じがしてすきなのですが、 なぜ嫌だと思う人が多いのでしょうか? (鬱の人は自分を追い込んでしまうので使っちゃダメだ、というのは知っています) 頑張れって言われたからって、現状お前は頑張ってないぞって意味にはならないと思うんですけど、 どうしてそう聞こえてしまうんでしょうか? 私には「何はともあれ、応援してるよ」という風に聞こえるんですけど・・・。
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- pingapinga
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頑張れは、頑なに張ると書きますので、語感に緊張感があるから、時と場合によって嫌がられるんではないでしょうか? もうギリギリの人にもっとギリギリまでやりなさい、という意味に取られるんでしょうね。 私は別に嫌ではないですが、言う時には言っていいのか気を使います。
頑張るという元の言葉はなぜか可能性も無いところを無理をする。という風に聞こえてしまうのです。 簡単に普段交わす言葉としては、私も嬉しく聞き取りますし、相手にも好意的に使います。が変に勘繰って考えたときにふとそんな無理をするようなださい感じが覗えます。
- tacasi
- ベストアンサー率14% (1/7)
どうしてイヤだと思う人が多いのか?という問いには、結局、鬱の状態の人が増えたということではないでしょうか?鬱といっても、現在はその予備軍を含めると数人(たしか一桁だったような)に一人という割合だって聞いたこともありますし、他人はもちろん本人にも自覚がない心の風邪みたいなものだっていう話も聞いたことがあります。 昔はがんばれという言葉は普通に励ましの言葉で使えたのに、最近は気にする人が増えてきたのはそういう時代背景があるのではないでしょうか?
- kigineco
- ベストアンサー率28% (30/105)
もう一度、ニョキッと出てきてしまいました。 「なぜ嫌いなのか?」というご質問に立ち返って考えてみれば、「頑張れ」という言葉のすべてが嫌いな人はいないのでしょうね。「頑張れ」という声を掛けられた、そのときの心の状態によって受け止め方が変化してくるのだろうと思います。 たとえば、受験勉強だったとします。希望の大学にほぼ合格するだけの学力を得ていた場合(予備校などの判定で)、「頑張れ」と声を掛けられたとき、素直に明るく「頑張りまっせ~」と受け取ることができるのかもしれません。逆に合格するかしないか、わからない。むしろ不合格になる可能性が高いとき、必死に勉強している最中に「頑張れ」といわれれば、「こっちは必死に頑張っとるんや!」という受け取り方をしてしまうのかもしれません。 たとえば、下の松野さんの場合だったとします。オリンピックの出場がほぼ確定していたとすれば、「頑張ってオリンピックの出場を決めてください」といわれたとき、あの笑顔で「は~い、頑張って決めてきますね~」と応えていたのかもしれません。 言葉というものはすべからく、そのときの心の状態、あり方によって、受け取り方が違ってきますよね。気持ちに余裕があるときには、励ましの言葉はすべて素直に受け取ることができます。気持ちに余裕のないときは、あたたかい励ましの言葉であっても、それをプレッシャーに感じたり、悪意の言葉であるかのように受け取ってしまったりします。誰もが、おそらくそうなのではないでしょうか。 「頑張れ」であろうが、「頑張ろう」であろうが、その言葉をあたたかい励ましの言葉として受け取り、自分の力と変えていけるような心の状態でありたいと思います。難しいことなのでしょうが、いついかなるときも心と気持ちを満杯にしておくのではなく、少しの余裕、ゆとりを残しておけるような自分でありたいと思います。 二度も書き込んでしまい、申し訳ありませんでした。
こんばんわ!ゲゲッ!「オリックスブレーブス」!?お恥ずかしいお話で!(^.^;赤面 下記回答者の皆さんの意見も参考に「頑張れ」という励ましの言葉には、かなり制約があると考えてみました。 「頑張れ」という励ましがもっとも効果的なのは、災害救助を待つような人。リハビリを受けている患者さん。マラソン大会の参加者。などが「頑張って」の対象として最適ですよね?阪神大震災のような建物の倒壊によって生き埋めになりながら救助を待ち続ける人への言葉は「頑張れ」以外適当な言葉は見当たらない。 逆にorange__pekoさんがおっしゃっているように鬱の人に「頑張って」と気軽に言わないようにと、心理カウンセラーの人は指導するといいます。 また、頑張ろうが頑張るまいが、結果さえ出せればそれで良い!というような風潮になってきましたよね? 「がんばってください!」というインタビューにブスっとするサッカーの中田英寿選手が思い浮かびました。 結局、いろいろな状況があり、いろいろな励ましの言葉が必要なのに、日本語の中には、それぞれに対応出来る激励の言葉の数が少なすぎると思うのです。それが「頑張れ」の言葉嫌いを生む原因じゃないでしょうか? 最初の質問から大きくズレちゃいましたが、この問答に参加させてもらって感じたことを書かせて頂きました。ごめんなさい。m(_ _)m
お礼
回答ありがとうございました。 御礼が遅くなってすみませんでした。 言葉って難しいですね。 よく、英語のほうが適した言葉があるとか、 そんな話も聞くけれど、 英語だとよく意味がわからないから、 本来の気持ちだけ伝わるのかもしれませんね。
- taru
- ベストアンサー率21% (9/42)
No.20の補足です。 日本語の文献だと「高文脈言語」「低文脈言語」ということが多いようなので、そちらで検索してみてはいかがでしょう。 参考URLのページなど、分かりやすいと思います。 また、比較文化、比較言語、異文化間コミュニケーションなどが関連学問です。 ただ、私の考え方は、言語・文化的な側面からのみ捉えた考え方ですので、orange__peko__さんの質問に対する回答になっているかどうかは判断しかねます。
お礼
ありがとうございました。 今回の質問とは関係なく、参考になりました。
- totetu
- ベストアンサー率50% (8/16)
人によって異なることだと思うので、自信なしにしておきます。こんにちは。 わたしもやはり、頑張れと言われて嫌な時と、嬉しい時と、あります。 わたしの場合は、自分の気分に応じて嫌だったり、嬉しかったりするわけでなく、言った相手によります。 身内に頑張れと言われるのは嫌いです。というのは、基本的に身内は、自分が頑張って失敗したときに休むところであって、弱音を吐いたり愚痴ったり、ほっとしたりするところ、と感じているので、そこで頑張れなんて言われようものなら、ぴりぴりするわけです。(めったに言われませんが。) 余所の人、これは大事な友達、恋人(は微妙)なども入りますが、この人たちに関しては、心がこもっていようがこもっていまいが、頑張れと言われれば、嬉しいです。 励ましてくれてありがとう、という感じで「何はともあれ、応援してるよ」にかなり近いのではないかと。 しかしそれにしても・・・頑張れといわれて見下されていると感じる方々が結構居られるのですね。わたしは、どちらかというと、頑張ろう、と気安く言われる方が引きますが。同じ苦楽をともにしてる仲間内でいうならともかく、公の場で言われていると、けっと思います。(まあ、こういう奴もいるということで。) 要するに、頑張れは他人に言う言葉、頑張ろうは身内に言う言葉、ではないでしょうか。 他人扱いするのは嫌だから一律「頑張ろう」と言おう、的な考え方の方が、他人に情緒的協働を強要されるのが大嫌いなわたしには気持ち悪いですね。
お礼
回答ありがとうございます。 すごくよくわかります、その感覚! がんばろうとか見守ってるよとか大丈夫だよとか、 家族とか恋人とか大事な人以外に軽々しく 言われたくないですもん! だってそんなこと言われたって、結局 自分ががんばるしかないんだし、 ほんとに見守っててくれるのか?っていったら そうじゃないだろうし、 そんなに事情を知らない人に大丈夫って言われたって 信用できないし・・・。 だって、しょせん、他人ですから。 「所詮何を言ったって、結局私ではどうもできないし 見守ってるなんて軽くいえないし、 大丈夫だなんて無責任にいえないけど、 でも、応援してるよ。」=がんばって。 あー、実は私のほうがひねくれているっていうか 人に心を許していないだけなのかもしれません。
補足
すみません、書いた後で、 他の方に書いたお礼と矛盾するところがあるかなと 気づいたので、この場で補足させてください。 「がんばろう、見守っている、大丈夫だよ」 に対する私の見解について。 相手の気持ちを悪意に取っているわけじゃありません。 あなたはそう言うけど、実際、あなたは私を見守るような関係じゃないよね? あなたは大丈夫だよっていうけど、あなたは大丈夫かどうかわかるほど事情を深く知っていないよね? 励ましてくれるのは伝わるし、そこはうれしいけど、 その言葉は私にとってとても深い言葉だから、 軽い気持ちでいってほしくない。 そういうことです。
- gorou3
- ベストアンサー率21% (35/166)
私は「頑張れ」って言葉好きなんですが、 もともとやさしいことばだったと思うんです。 包む立場の人からかけられるケースが多かったのではないかと。 ところが、最近はプレッシャーととられますが、ご指摘のように、阪神大震災のあたりからかわったのかと。 以前は、頑張れば結果が出たのですよね。 今は、景気が悪くて結果が出にくい。 でも「楽しんで来い」って、本音では「頑張れ」って言ってませんか。 素直に、また、「ガンバレーーーッ」って言いたいね。 大事な人に。
お礼
回答ありがとうございます。 阪神大震災、よく出てきますね。 こんなところにまで影響が出てきているんだ・・・。 >素直に、また、「ガンバレーーーッ」って言いたいね。 >大事な人に。 ほんとですね。 この人はそういわれるの嫌いかもとか、 悪意にとられるかもとか、 そんなこと考えずに言いたいし、言われたいですね
こんにちわ あの阪神大震災の後、神戸復旧のため一役買ったのが当時イチロー擁するプロ野球チーム「オリックスブレーブス」でした。そのときのチームのスローガンは『頑張ろう神戸』でした。なぜ『頑張れ神戸』じゃなかったのか…。イチロー選手も含め全選手が、口をそろえて言ったのは、地元神戸の人と共に神戸の復興を目指したいから!ということでした。 日本語解釈法の一を使って説明すると「頑張ろう」は「共に頑張ろう」につながりますが、「頑張れ」という言葉に同じように「共に」を付けてしまうと「共に頑張れ」になってしまい、ニュアンスの違いが強調されましたよね?「頑張れ」と「頑張ろう」これは同義語では無いということを表します。 労働者の代表である労働組合の委員長が、労働者に向かって「みんな頑張ろう!」といいますが「みんな頑張れ!」とは言いません。また健康な人が病人に向かって「頑張ろう!」というのも違和感がありますよね?この場合「頑張れ!」になっちゃいます。 つまり「頑張れ」という言葉は、掛けるべき人の気持ちや視点に立っていなくても発せられる言葉です。 極端に言うと「人ごと」です。対人関係の優位性にも関わってくる言葉ですので、時と場合によっては、「人の気持ちも知らないで大きなお世話だ!」となりかねません。人それぞれ境遇や感情にも温度差があるので、その人は、まわりの人たちとの境遇の違いに苛立っているのかも知れませんね。 orange__pekoさんにもそういう人たちの気持ちが少なからず解る時が来ると思いますよ。今は気にせず「ふ~ん…」「へぇ~」でいいんじゃないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 がんばれとがんばろうは同義語じゃないでしょうね。 「がんばる」の活用形ですものね。 でも、今回気にしているのは、日本語解釈ではなく 聞いた人の捉え方なのです。 がんばれもがんばろうも、自分が入るか入らないかの違いで、がんばることをしろといっているわけで、 だったらどちらも同じように嫌じゃないのかなあ、と そういう意味で同じかと思っていました。 どうやら、「がんばれ」が嫌いな人の中にも、 ・他人事ぽくていやだ ・がんばっているのにこれ以上どうしろと!? という二種類がありそうですね。 ひとつめの考え方で言うと、「がんばれ」はNGで「がんばろう」はOKですね。 ふたつめの考え方だと、たぶんどっちもNGですね。 共感はできないけど、理屈はわかってきました・・・ あ、ちなみに、どうでもいいことですが、 「オリックスブルーウェーブ」ですね。
- taru
- ベストアンサー率21% (9/42)
日本語は「高文脈依存言語」に属する言語です。簡潔に言うと、言葉そのものだけでなく、文脈の流れやその言葉が使われた場面に意味内容を依存する言語のことです。 つまり、「頑張れ」と言われたからといって、「もう頑張ってるよ」と返す(あるいは、感じる)のは日本語的な談話ではありません。「頑張れ」は「もっと頑張りなさい」の意味ではないのです。orange__peko__さんのおっしゃるように、「応援してるよ」の表現と捉えるのが妥当です。 もし、これが、英語のような低文脈依存言語の世界でなされた場合、「頑張れ」は「頑張りなさい」以外の何ものでもないでしょうが。(もちろん日本語でも、文脈や場面によってはそうなります) しかし、日本語ではほとんどの場合、「頑張れ」を「頑張りなさい」と捉えることは出来ません。むろん捉え方は人それぞれなのですが、たとえば、沿道でマラソンランナーに掛けた「頑張れ」の意味を「もっと頑張りなさい」と捉えるのは日本語的ではありませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 「高文脈依存言語」「低文脈依存言語」 初めて聞きました。そうなんですか。 ちょっと検索してみましたが、うまく 関連文書を探すことができませんでした。 もし資料があれば教えていただけるとうれしいです。
お礼
回答ありがとうございました。 御礼が遅くなってすみません。 心に余裕を持つって難しいけれど、 相手の気持ちを傷つけないような人間になりたいですね。