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和歌の意味を教えてください。
「松たてる 園部にむかう 達磨どの…」 これは、江戸時代に作られたある和歌の上の句の五七五なのですが、この部分だけでくみ取れる特別な意味内容があると思うのですが分かりません。どのようなことが考えられるでしょうか。よろしくご教示の程お願いいたします。
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NO.4です。 「松立てる岡邊に向ふ達磨殿 暮行空をあはれとも見よ」の句を茶道具「岡辺」に小堀遠州が箱書命銘しているようです。 http://books.google.co.jp/books?id=6ubW4jAihHgC&pg=RA4-PA58&dq=%E5%B2%A1%E8%BE%BA%E3%80%80%E4%B8%AD%E8%88%88%E5%90%8D%E7%89%A9&hl=ja&sa=X&ei=ybfbUN6XOcqtlQWMhICwAg&sqi=2&ved=0CDoQ6AEwAQ#v=onepage&q=%E5%B2%A1%E8%BE%BA%E3%80%80%E4%B8%AD%E8%88%88%E5%90%8D%E7%89%A9&f=false 歌の意味としては、「冬の丘に立つ達磨師が、夕暮れの空をしみじみと感じているようだ」といったところかと。 この歌だけではイマイチ意図不明なので、やはりこの茶器に合わせて小堀遠州が詠んだものではないかと思われますね。
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- CC_T
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季語から正月ごろって事だけで、あとは何も判断できませんね。 マイナーな句は下の句も付けて下さいな。気になって落ち着かないです(^^ 江戸時代って事は園部は「丹波国園部藩」でしょうかね。しかしかの地周辺で達磨大師ゆかりの地なんてなかったと思いますし、そもそも達磨大師が生きていたのは更に千年前のことですから当人は関係なさそうです。 ってことで、ここでは達磨と揶揄された人が園部藩に赴いた事を指すのか、手も足も出ない虜囚を指してダルマと言ったのか、禅寺に安置された達磨像か角松の飾りなどに置かれた達磨人形の顔の先に園部がある・・・ってことは福井か兵庫の方の歌か? って憶測くらいですね。 あぁ、「達磨どの」と「丸窓の」を掛けたダジャレという可能性もゼロではないかな?
補足
ご回答ありがとうございます。補足の説明をさせていただきます。 歌の全体は 「松たてる園部にむかう達磨どの 暮れゆく空を憐れとや見む(小堀遠州)」 でして、これが松花堂昭乗筆の泣きべそ顔の達磨さんの絵に画讃として付けられたものが一幅の掛け軸としてあるのです。 そこで私はこの歌は、おそらく「悟りを開いて謹厳なイメージの達磨さんが(上の句)、意外にも夕焼けを見て感傷的になっちゃってるよ、面白いね(下の句)」との心で絵に当意即妙に付けられたものではないかと思うのですが、どうも下の句はこれで良いとしても上の句はどうなのか、この五七五の文句が本当に何か「謹厳なイメージ」を表現しているのか、それとも全く別の意味があるのかどうか、ということが疑問なわけなのです。 どうでしょうか、うまく説明できていないかもしれませんが、ご再考のほどよろしくお願いいたします。
- sporespore
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単純に お正月に園部にあるだるま寺での供養へ(想像で)だるまが向かっている様子なのかな・・・ 素人考えです
お礼
今晩は。どうもありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。No4さんのところで補足の説明をさせていただきましたので、もしよろしかったらご再考のほどを宜しくお願いいたします。
- usagidoshi7gatu
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こんにちは 下の句が分からず、推測だけになってしまいますが・・・ >松たてる は、どうやら松の木が美しい情景を詠んだ句のようです。 >園部にむかう は、検索した結果、「京都府南丹市園部町」の事では無いかと推測します。 >達磨どの・・・ 達磨は・・・達磨大師のことか、または置物のダルマさんの事でしょうか? あるいは、禅宗のお坊様のことかもしれませんし、そういった風貌を持つ個人かもしれません。 >「松たてる 園部にむかう 達磨どの…」 この句から浮かぶのは、 松の木が美しい情景の中を 京都府南丹市園部町?へと向かう ダルマさん(禅宗の僧侶?)の様な風貌をした人物・・・・ うーん、ちょっと意味不明ですかね?
お礼
今晩は。どうもありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。No4さんのところで補足の説明をさせていただきましたので、もしよろしかったらご再考のほどを宜しくお願いいたします。
- Him-hymn
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難問です。 答を出すのは無理かもしれませんが、考えますので、もう少し前後の言葉もつけていただけますか?
お礼
今晩は。どうもありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。No4さんのところで補足の説明をさせていただきましたので、もしよろしかったらご再考のほどを宜しくお願いいたします。
お礼
今晩は。ご再考ありがとうございます。 なるほど、「園部」ではなく「岡部(岡辺)」という「場」だったのですね。(園と岡の草書体が似てるので間違えました。) また「向かう」も「行く」でなく「対面する」こととすると、上の句全体としては、「松のある岡に向かって立つ達磨さん」ということになり、これはまさに壁に向かって面壁九年の修業をした謹厳な達磨さんの姿を模した表現ではありませんか! そしてこれが下の句の達磨さんの意外な親しみやすさとコントラストされ、ウイットに富んだ讃として泣きべそ顔の達磨さんの絵に付けられたということになりそうです。 またさらに驚いたのは、遠州 が「岡辺」と名付けた名物茶道具(茶入)に、この歌を同巧に讃として箱書していたという事実です。(鶴田鈍久という方のブログにイメージの掲載がありました。http://story.turuta.jp/archives/6481/) もちろん茶入と戯画という対象の違いから歌の末尾をそれぞれ絶妙に変えてはいますが、この両者の比較も大変面白そうです。 ということで、大変ありがとうございました。おかげさまでほぼ完璧に疑問を解くことができました。 今年は都合四~五回質問させて頂いたのですが全敗でして、ストレスが溜まっていたところへ年の瀬にきてクリーンヒットとなりました。 重ね重ねお礼申し上げます。ではどうぞ良いお年をお迎えください。失礼いたします。