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瞑想について

瞑想とは最終的にはトランス状態を目指す物なのですか? 私は子供の頃暗くした部屋で集中して音楽を聴いていたときに、異常な集中力というか、 半覚醒のような状態になった経験があります。 で大人になってからちょっと瞑想をしてみると、同じような状態になったので この状態を目指してんのかな、と考えたんですが ただ最初に抱いていたイメージと若干違うというか。 もっと平穏、落ち着いた気分を得る物だと考えてたんですが どうも逆に知覚が鋭敏になってる気がします。 これ、リラックスしてるんでしょうか。どうなんすかね

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  • mijinco
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回答No.2

no1です。 例えば、こういうことを質問されて、私が答えると、まるで私の方が何かを分っているみたいになってしまいます。 そんなことは、まったく分らないのに、「瞑想」の類は、そういう関係に陥っていく危険があると私は思っています。 要するに、「分ったふりをしたもんがち」みたいなところがあるんですね。 そういう気持ちではないということを、ぜひご理解いただいた上でのお話ですが、 「瞑想は精神修養というかちょっとした鍛錬」という捉え方に緊張(リラックスしていない)を感じるのですが、ある種の「仙道」のような不自然な?過激な?呼吸法をする瞑想なのでしょうか。 「ずいぶん明確に意識に変化が起きる」「若干の興奮状態」という感覚というのを聞いて少し心配になりました。 その変化は何をさしているのでしょうか。 半覚醒というより、意識はますます鮮明でクリアという感覚になりますが、過呼吸的な半覚醒ではないですよね? ただ落ち着いて自然呼吸での瞑想ですと、例えば、意識だけ点のようにあって、体はないというか透明感があって、その意識はたいへん鮮明なclear感じになるかと思うのですが、その意識のことでしたら、どんな変化なのでしょうか。 意識の空間が広がる感じ?散漫になってしまうのは良くないと思いますが、意識の広がりを追わないでそこにただいるような感覚でいるのが良いように私は感じています。 「知覚が敏感」になっているというのは、瞑想をしているときではなく日常の中でということですか。 そのことならば、日常に、いろいろ感覚の変化や偏差は出てきますが、「瞑想」と日常をしっかり区別するというか、「瞑想」の終了をきちんと自分に伝えてあげることが大切かと思います。「瞑想」の取り消し作業とでも言うのでしょうか。 それをしないとバランスを崩すことが多くなってしまいます。 また蛇足になりますが、かなり前から私は動かない「瞑想」から、立って動きながらの「瞑想」に関心が移りました。 ほんとの深い「瞑想」は動いてはだめだという方もいるかもしれませんが、深さを追求するというより、立って動く緊張感の中の芯のあるリラックスに意味を感じるようになったからです。 私自身はその方が体にも良いように感じています。 ただ瞑想が深くできることだけでは、人として立派というか悟りを開いているとか落ち着いているとかとは、ほとんど関係ないように見えます。 やはり、書くと分ったような偉そうな文章になっていますね。 日々、色んなことに動じています(^_^;)。 お許しください。

oisisoasis
質問者

お礼

回答ありがとうございます。ちょっと誤解を招くような書き方ですいませんでした 方法については、おそらくごく一般の方法です しばらくの間思考を止めてゆっくり深呼吸する程度です。 >意識だけ点のようにあって、体はないというか透明感があって、その意識はたいへん鮮明なclear感じになるかと思うのですが、その意識のことでしたら、どんな変化なのでしょうか。 まさにこんな感じです。ただ普段から若干追い詰められたような精神状態になりやすいので、 瞑想によって落ち着くと結構意識ががらっと変わるんだと思います 普段は目の前の事にこだわり過ぎて視野が狭くなってるのが、 落ち着いて周囲の事に気を配る余裕が出来る感じですね。 軽い興奮状態と書きましたが、ちょっと勘違いしてたかもしれません。 あとそんなにこの状態が長続きするわけでもないので大丈夫かもしれませんが、 たしかに日常としっかり区別する必要がありそうですね。 生活していく上で軽く緊張する事も大事な時がありますし

その他の回答 (2)

  • eld3399
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回答No.3

古くから、瞑想は「祈り」の特殊な形態だと言われています。

  • mijinco
  • ベストアンサー率25% (87/346)
回答No.1

例えば、リラックスしたいという目的でも感覚を研ぎ澄ますという目的でも「瞑想」は利用できるのだと思います。 自分の無意識の世界に入るためだったり、不随意筋に働きかけるためだったり、中には、宇宙人との交信??や幽体離脱??のため、自分の内臓を見るという方もいます。 「瞑想」そのものに一つの目的があるわけではないと思います。 だから、間違った方向へ進んでしまうこともあるわけです。 鋭敏だけどリラックスという感覚もあると思います。 いわゆる、針が落ちても気づくが大きな銅鑼(どら)が鳴り響いても動じないという感覚です。 感覚が鋭敏になっていてリラックスできていないと感じられるのでしたら、その鋭敏さをそのままちょっと放っておく(ああ鋭敏になっているなあ)というか、そんな鋭敏さも川にのって流れていってしまうような瞑想が良いと私は思っています。 何か特別な目的がない限り、鋭敏さの方向は無理に追究しない方がよろしいと思います。

oisisoasis
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございます。 瞑想は精神修養というかちょっとした鍛錬のように思っていたのですが、 ずいぶん明確に意識に変化が起きるので、もしかしたら 皆さんと若干違う状態になっているのでは、と考えて質問しました。 たしかに無駄な力が入って無いという点ではリラックスしてる感じです。 ただ普段よりも意識に入る物の範囲が広くなるので、その点では 若干興奮状態にあるのかもしれません。 現状のもう一歩先、色んな事に動じない方向を目指すのがいいのかもしれませんね

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