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人間の地球支配についての考え方と聖書の記述との違い
- 人間は他の生物全てを「支配する」ために地球に配属されたという考え方と、聖書の創世記の記述や16世紀の哲学者フランシス・ベーコンの主張とは異なる。
- 「as」は非制限用法の関係代名詞であると考えられるが、なぜ「異なり」と表現されているのか疑問である。
- 「この考え方では、聖書の創世記の記述や~主張で言われている通り」ではなぜダメなのかを教えてほしい。
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[試訳] この見方は、聖書の創世記に記され、16世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンが主張するような、人間は他のあらゆる生物の上に「君臨する」ために地上に置かれたという考えではない。 青本の訳)この考え方では、聖書の創世記の記述や、16世紀の英国の哲学者フランシス・ベーコンの主張と異なり、人間は他の生物全てを「支配する」ために地球に配属されたのではない。 この,asを,whichと同じく、非制限用法の関係代名詞だと思ったのですが、何故「異なり」なのですか? →「異なり」という訳は、 聖書とベーコンの言うような「支配」ーーということではない これを言い換えると →聖書とベーコンの考え(人間が支配する)とは異なり、人間が支配するのではない となります。このような翻訳上の操作をしたのが青本訳です。 「この考え方では、聖書の創世記の記述や~主張で言われてる通り」 では何故ダメなのですか? あなたの考えでよろしいと思います。ただし、 聖書の創世記の記述や~主張で言われてる通り、人間は他の生物全てを「支配する」ために地球に配属されたのではない。 と訳すと、聖書の記述やベーコンの主張が 1.人間は他の生物全てを「支配する」ために地球に配属された 2.人間は他の生物全てを「支配する」ために地球に配属されたのではない の2通りにとれそうですね。それを避ける工夫をした訳です。私が訳したようにしてもこの曖昧性を取り除くことができます。 ★事実関係 聖書の創世記には 神は男と女(つまりアダムとイブ)に「海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」と言っています。 フランシス・ベーコンは、 旧約聖書の創世記から天地創造の最後六日目に人間が創られ、そして神がこの自然や動植物を人間に与えたという記述の解釈として、「人間は神から与えられた自然の主であり、自由に自然を改造・操縦してもよい」という考え方を打ち出した。 http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub16.2.html より抜粋 彼も生物を支配するような考えを持っていたのです。 以上、ご参考になればと思います。
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- sporespore
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argued by を異なりとしたものです。Baconは聖書に書かれていることに異議を唱えたわけですから「異なり」と訳したものと思います。