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大学の質について思うこと
田中真紀子元文科相のお粗末はともかくとして… 今日の大学は多すぎると思いますか? 志望者にはパソコンを贈るまでして入学人数を確保しようとする大学、事実上破綻状態の大学、 在籍とは名ばかりで講義に出席するものも居ず、どこか水商売などで日本円を稼ぐ外国人学生 ばかりの大学、こうした大学の質の低さをどう思いますか? わたしたちの時代には10倍とか20倍とかという競争倍率だったことへの、なにか感慨がありま すか?
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多すぎますね。 大学誘致や経営には、市町村や当事者を巻き込んだ利害が渦巻いています。 教育・学問を、町おこしや儲けの道具としてしか見てこなかった結果だと思います。 そうなると、学ぶ側も学問を学ぶという崇高な志が薄れて、単に“ちょっとハクが付く”“就職で何となくいいところに行けそう”“高校を出ていきなり働くのはしんどいから”という浅く軽いものになりがちです。 ひとつの原因は、AO入試かと思います。 これが大学のハードル・難易度を一気に下げました。 頭を鍛えて入試に立ち向かうという厳しい試練を経験せず、何となく取り繕えば入れるという制度は、極端な話、“子供は馬鹿だけど、お金がある家庭”には救世主でした。 大学側も、入学者数=経営に直結しますから、難しい入試で足切りをして定員割れするよりも、目新しい学部・学科で寄せ付けて、そこそこ定員を満たせば何とかやっていける・・そういう考えが、今の大学過剰となったのかと思います。 こうなってくると、“大学を出た”という学歴は何ら意味を持たず、“○○大学を出た”という学校暦がますます重要となるかも知れません。 危ない大学の見分け方というのをテレビでやっていましたが、ひとつの目安は、意味が分からない学部や学科のあるところは注意が必要なのだそうです。 「○○環境・・」「○○コミュニケーション・・」「○○デザイン・・」「情報○○」「マルチメディア・・」「○○マネジメント・・」「キャリア・・」・・みたいなところは、今どきの単語を並べて興味を引くことが先行して、肝心の中身はどうかといったら学ぶべき内容も志向性もイマイチ分からないんだそうです。 官の事情としても、大学は優良な天下り先ですし、落選議員にとってもおいしい再就職先です。 こういうこともあって、野放図にされてきた事情も大きいでしょうね。
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田中真紀子氏の発言はいつも通り尻すぼみではありましたが、無視してはならないと思いますよ^^ 「箱もの行政」の件です。そりゃ内部から叩かれますよね。 少子化で小中高校の統合や廃校が進んでいるなか、不景気で生活さえ困窮している家庭が多いなかでの大学新設に疑問を持つのは寧ろあるべき姿勢だと思います。 しかも何だか分からない大学が増え過ぎています。そこを卒業してどこの企業のどこの部署に配属するんだと。悪いけどそんな人材を雇う余裕はありませんというのが今の日本の企業の実態。実際に就職難民が増えています。 大卒が有難がられた時代は過去のもの。そこを理解せずいた人がフリーターやニートになり社会問題になっている部分もあります。一流大卒であればまだしもです。 ただ、学べる環境が少なくなるのには反対です。高校が義務教育かと見まごうばかりの進学率を遂げている昨今、次のステップは大学でのより高度な学識を目指すのが全体としての利益に繋がるのではありませんか。 多くの人に大学進学のチャンスを与えること。 それには諸外国に見習い、入り易く出難い大学のシステムを形成することが不可欠です。 質の向上を図るといった点においてそう考えます。
お礼
ご回答有難うございます。 田中真紀子さんの発言はともかく、この度の三校の申請はある意味良いタイミングで社会に大切な ことを投げかけたと、わたしも思っています。 大卒が有難がられた時代は過去のもの…、だとしたら、知名度などあって無いような地方の小規模 な大学に進もうと考える学生さんたちは、就職などは当面の目的ではなく、ただ芯から好きな勉強 を続けたい…、しかし、自身の学力からしても、家庭の経済力からしても、大都市に下宿してまで一 流校に進学できるほどの可能性は低い。だから地元の小規模な大学を選ぶ…、こういう図式なので しょうか。 そしてそこのところに「需要」を見込んだ者たちが、簡易にに遊学できる地元大学を作り上げる。では、 その需要とはなにか…、つまりは最高学府としての高度な教育とは言い難く、なにかと便利な地元で 楽しく学んでしっかりお金を払ってください…という、もはやサービス業的大学。 だとしたら、…次のステップは大学でのより高度な学識を目指すのが全体としての利益に繋がる… のかどうだか、その質の維持に於いては、わたしはとても心配になります。 ですが、学びたい者には学べる環境を十分に与えたい、それはわたしもそう思います。そうしてみる と、やはり答えはひとつ…なのでしょうか。多くの人に大学進学のチャンスを与えるが、一定のレベ ルに達しない者は振り落すという、諸外国のようなシステムを形成すること…については、わたしも 必要なことだと思います。
- cucumber-y
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社会が求めたからこれだけの数ができ、「とりあえず」の学歴も社会が重視するため皆が欲しがっていると思います。 大学に問題があるわけではなく、私たち大人が作った社会に問題があり、その社会が変わらない限り大学だけが変わることはないでしょう。 現在40代後半の私が受験生だった頃には既に「行こうと思えば誰でも行ける」状態だったので、10倍とか20倍という時代はよくわかりません。
お礼
ご回答有難うございます。 「とりあえず」の学歴であっても、社会が重視してきた以上、誰もが欲しがる…、それは事実だと 思います。大卒であれば、多くの企業でいまだに給与水準が高いまま置かれているからです。 給与水準というのは一種の線グラフのようなもの。タテ系は基本給のレベル、そしてヨコ系は入 社時から定年退職時までの勤務年数。大方は右肩上がりの線で描かれていますが、描かれた 線はただ一本ではなく、グラフには中卒、高卒、大卒、その他と複数の線が描かれているもの です。 そして、その中から高卒と大卒の2本の線だけを見ますと、2本の線はスタート時点からすでに 上下に分かれているもの。それは入社時の年齢の違いもありますが、それだけでなく、明らかに 大卒の方が好条件に設定されているものです。しかも2本の線は年代とともにますます離れて 行きます。こうした給与水準表は、どんな企業でもトップシークレット扱い、役員やほんの一部の 社員しか目に出来ないものです。 さすがに、近年はこうした給与体系や昇格考課基準などの見直しが図られ、いわゆる実力重視 の方向に移りつつあります。しかし、そうした傾向も謳われだしてから、もはやかなり久しいこと。 だとしたら、社会が大卒を求めたからこれだけの数の大学ができた…とする論拠にはやや不審 なものを感じるのです。 ご意見に逆らうようですが、というわけで、わたしはやはり、安易に開校し、「大学」の名前をあえ て売り物にする一部の大学そのものにも問題の根幹があると思ってしまうのです。 現在40代後半のご回答者様が受験生だった頃には既に「行こうと思えば誰でも行ける」状態だ った…、ええっ、そうなんですかぁ。何年か後輩にあたるわたしの場合、あの当時の受験校の倍 率はたしか9.5だったと記憶しているんですけど。でも、私立だし、二股かけている人も多いだろ うから、実質はもっと低いだろうと踏んでいたものでしたが…。
- w_letter
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こんばんは。 大学の質 質を考える場合に、大学という大きなくくりで判断することはムリがあるのではないか。 質とは、個々のものについて考えるべきではないでしょうか。 電化製品でも、このメーカのテレビは質が悪い、または良いと判断するのであって、市場に流通している全てのテレビを一まとめにして質が悪いとか、良いとかを考えませんから。 >今日の大学は多すぎると思いますか? 大学というものを、過剰に生産された商品としてみれば、売れ残りは確実に生じ、廃棄処分になります。 現時点では、補助金等によって生き延びることができ、廃棄処分になった大学は、少ないと思っています。 したがって、多すぎると考えることは、需要を無視した見解ではないでしょうか。 当然のことでありますが、質の低い大学もあります。 また、その質の低い大学を選んで進学する人もいます。 そして、そのような大学に進学した者によって、 そのような大学にも進学せず4年間ただ食って寝て過ごす者の人数が名目上でも減少しているわけですから、そのような統計を気にする機関や、世間体を気にする家族にとっては、必要なのでしょう。 >わたしたちの時代には10倍とか20倍とかという競争倍率だったことへの、なにか感慨がありま すか? 私見ですが、ウソツキの時代の高校と同じレベル、またはそれ以下の大学が増えたように感じています。 それが、悪いとは思いませんが、もう少し、補助金等の金額を減らして、他に回してもらいたいと思います。わずかでありますが、納税している者の感想です。
お礼
ご回答有難うございます。 …大きなくくりで大学というものを判断することは無理がある… そうかもしれませんね。ただ、イージーに入学でき、漫然と4年間を過ごし、トコロテンのように押 し出されてしまう大学生が増えれば増えるほど、総体的に、つまり…大きなくくりで…大卒者のレ ベルが下がる、だからこそ、…大きなくくりで…大学というものの見直しが求められる…とは考え られませんか。 …大学というものを、過剰生産に陥った商品に例えれば、売れ残りは確実に生じ、廃棄処分に… 補助金等を頼りに細々と生き延びている大学の増加が只今社会問題になっています。補助金等 を頼りにせざるを得ない…ということは、お金の出所である学生が採算に見合うだけの人数に達 せず、本来の自律的な安定経営が困難だからではないでしょうか、それはそのまま…需要が無 い…ということの証しではないでしょうか。 補助金等によって生き延びるしかないのに、事実上廃棄処分になった大学は少ない…、その現 状そのものが社会の無駄であり、血税の無駄使いだとわたしは思うのです。 質の低い大学も事実存在し、またその質の低い大学を選んで進学する人も居る…、でも、だから こそ大学卒という(既成概念的ではあるけれど)価値が下がってしまうのではないでしょうか。 そのように考えて行きますと、やはり、本来の大学の意義、そして学ぶ者の意欲や知的レベル、そ うした両面ともに、総体的な、大きなくくりで見直しが必要ではないかと思えてくるのです。 でなければ、いっそのこと、企業も仲人さんも、大卒だから…という既成概念的なイメージを忘れ てしまうことが大切でしょう。何々大学の何々学部だから…と、特定の大学のブランド化しか答え は無いのかもしれませんから。 とにかく、大学はニートの救済機関ではないのです。レベルの高い人材を育成するのが本来の目的 であるなら、もう一度原点に戻って、大学はどうあればいいかを考え直すべきだとわたしは思うので す。エラそうなことを書きまして申し訳ありません。
- asgas
- ベストアンサー率38% (114/300)
「ばかり」は言い過ぎだろうとしても、定員割れする大学も出るくれぇだから、多過ぎるっちゃあ多過ぎるんだろうよ。 昔は大学に行く奴も今ほど多くなくて、高卒中卒の奴らが日本経済を支えていたんだよな。大卒がブランド価値持ってたとも言えるし、大卒連中は高校卒業しても働く準備と気概が整っていねぇノータリンの集団だったとも言えるってこった。 今は、金の問題を別にすれば、行きてぇ奴なら誰でも大学に行ける時代だ。大学のブランド価値がすっかり下がっちまった。その代わりに、特定の大学のブランド価値が高騰しちまってるんだよな。 価値が目減りするほど、価値の幻想にすがろうとするのが人間の性だ。すがればすがるほど価値は土台から崩れていき、やがて全部崩壊するもんだ。今は学歴って価値の土台が崩れてきたとこで、そのうち高学歴のブランド価値も崩壊するのだろうよ。 東大京大はじめとした高学歴産出大学が危機感で色々動いてるのも、その表れだろうな。それでも、日本てぇブランドの価値が国際社会の中で相対的に下がっていくのと歩調を合わせて、日本の大学のブランド価値も今以上に下がっていくんじゃねーのかな。 俺ぁ、それは悪いことじゃねぇと思ってる。ブランド価値にすがって生きていけるような甘っちょろい時代から、個人の価値、人としての価値で生きていくような自立した時代に移りつつあるってことだからな。自分てぇ価値で勝負するってことだから、俺ぁ歓迎だ。 価値を崩壊させるためにも、大学は多くつくっちまっておいて、少しずつ崩していきゃあいいんだよ。
お礼
ご回答有難うございます。 なかなか面白いご意見、楽しく読ませていただきました。 わたし、大学の数や質を考えると、いつも連鎖的に思うのがドイツの現状です。もちろんご存知の ことでしょうが、彼の国ではマイスターという地位が確立しています。 マイスターとは、マスター、つまり親方のこと。言い換えれば、その道その道でしっかりと仕事を極 めた親方クラスの職人衆のこと。ドイツではそうした職人をとても大切に考えています。 わたしが折々に仕事で訪れるある機関、そこにはマイスターの方と、工学博士の称号を持った方 とが働いています。驚かされるのは、マイスターも博士も、ほとんど同格の尊敬を集めていること。 この日本ではなぜか、中卒よりも高卒、高卒よりも大卒…と、企業はより高い学歴を持つ者をより 強く求める傾向が根付いてしまいました。個人の人柄や能力ではない、ただ学歴だけが採用時の 判断基準だとは、なんとも馬鹿馬鹿しいことです。 大卒がそんなに価値があるのか…となれば、大学が無暗やたらと林立するのも無理はないことで す。しかし、入学が簡単になり、大学生の人数が増えれば増えるほど、その質はどんどん低下す る、これはもう定理のようなものじゃありませんか。 その結果、算数さえ出来ない大学生が跋扈する事態に…。でも、価値を崩壊させるためにも、大学 は多くつくっちまっておいて、少しずつ崩していきゃあいいんだよ…というご意見、気が短いわたしに はそんなに悠長なことはどうも納得できないんですぅ。 大学出なら間違いなく貴重な人材だと思い込んでいる採用企業側に一発カツを入れる方が早道じ ゃないでしょうか。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
少し過激かつ独断的な意見もみられますが、基本的には大学の数が多すぎると考えています。そして学部構成にも偏りが目立ちます。 >国立大学と医学部、薬学部、歯学部のいずれかのある私立大学だけで十分 これは暴論ですね。70年代の後半に盛んに設立された学部の実例として「経営学部」がありますが、そこで専門とするのは経済学でもなければ商学部のカテゴリーともかけ離れた存在で、いつの間にか組織改編と共に消滅したケースもあります。大学が世間に阿った実例です。そして近年の実例からすれば「法科大学院」があり、既に学生の募集を停止している大学もあります。 単に医歯薬系の学部があればといっても、単科大学ならば幾らでも実例はあり、文系・理系の総合大学にこれらは適用できないことになります。 医療の現場で「ダ・ヴィンチ」などのロボット工学を応用した医療もあり、それらは工学系の成果なくしては成り立ち得ない技術でもある。更にいえば、そのロボットに組み込むプログラムの問題を考えるならば情報工学や人間工学そしてその基礎科学分野の成果が全て結合した形です。ですから短絡的な指摘は無意味であり、受験生の寝言としか言いようがありません。 日本を海外の文化水準と比較してみれば、まだまだ未熟な部分も多く政治学などはお寒い状況ともいえます。また基礎科学分野も日本はまだ理論モデル構築には至っているともいえません(その根拠としてノーベル経済学賞を日本人が受賞する可能性は先ずあり得ないとの現状があります)。こうした現状を踏まえるならば、学生の数を以前の様に絞り、徹底した理論形成の場とすべきでしょう。つまり大学は高度な専門教育を自らが主体的に習得する場であるとの認識を改めて前面に打ち出すだけの改革も求められていると個人的には考えます。先日認可された3つの大学でも、最後まで残る可能性は札幌の大学だけでしょう。女子大に認可を下ろすことが妥当だったとは僕には思えません。 少なくとも理系の人間が文系の学問領域に接し、文系の人間が理系の発想を持つことが求められる形が望ましい。国立大学にも、自分の書いた本を紹介するだけや十年も前の講義録をそのまま使い続けているアホな教員はゴロゴロしています。先ずはこうした老害を排除することから始めるべきでしょうね。若手が気の毒です。
お礼
ご回答有難うございます。 これだけ長文のご回答を頂戴しましたが、わたしのお礼としてはとても短くなってしまいます。 なぜなら、全体を通じては、ほとんど同じように思うからです。同じ意見を言い重ねる必要も なく、もちろん反論もないからです。 不要な学部などはもうすでに消え去ってしまっている、これも事実です。工学部でもひと頃は 経営工学科などがあちこちに出来たものでしたが、これらもいつしか淘汰されてしまったよう に思います。 ただ、大切なことは、学部ごとの必要性の多寡や価値判断ではなく、様々な分野の専門知 識や技術や考察力が相互に組み合わされた総合力こそがこれからの時代に必要なのだと いうこと、わたしはそこに大学ならではの価値を見出したいのです。 その意味から、企業がこれまでとかく重視しがちであった大卒という学歴を徒に増やすので はなく、逆に、たとえ厳しい英才教育的であってもいい、もっともっと質の高い教育や研究成 果を身に着けた、真に優れた人材を世に送り出せるような大学が欲しい。 それがために、大学の数が減ろうが、入学時に大変に狭き門になろうが、そんなことは二の 次の問題、とにかく質の高い大学だけに一気に絞ってしまいたい思がします。 ただ、今回の三校の問題にについては、今現在の判断基準となる制度や法律条例などの限 界がすべて。現段階の判断基準に適合させて申請が行われている以上は認可するしかない、 それが良かれ悪しかれ公平というものだと私は思うのです。
日本の大学は、勉強するために行く場所で無くて、学歴を取得するための機関に過ぎないのだから、もっと増えても良いでしょう。 ただし、大卒時には、義務教育くらいの知識と教養、そして社会人としての最低限のマナーは、身につけていて欲しい。 高偏差値校でも、マナーを知らない学生が、けっこういるし、超難関校を卒業した官僚や国会議員たちがやっている政治でも、日本がよくなる可能性はない訳だから、新しいタイプの大学生を求めて、全入するしても、義務教育化しても良いと思います。
お礼
ご回答有難うございます。 …日本の大学は、勉強するために行く場所ではなく、学歴を取得するための機関に 過ぎないのだから、もっと増えても良いでしょう…。 たしかにそのように思えることは確かです、ですが…、 大学は勉強をするために行く場所ではない… 大学は学歴を取得するための機関に過ぎない… このふたつの定義は、現実にそうであっても、本来は誤った考え方であるはずです。 だとしたら、このような誤った風潮が社会に跋扈し定着しているなら、それをそっくり 是認するのでなく、そうした風潮をまず、元から正そうとする努力こそが一番求めら れるのではないでしょうか。 …高偏差値校でもマナーを知らない学生がけっこういるし、超難関校を卒業した官 僚や国会議員たちがやっている政治でも、日本がよくなる可能性はない…。 学生がマナーに欠ける風潮はたしかに見られますが、それは家庭や社会や、それま での教育現場の責任であり、大学はマナーの指導までを行う場ではないはずです。 超難関校を卒業した官僚や国会議員たちがやっている政治でも、日本がよくなる可 能性はない…、ならば、新しいタイプの大学生を求めて全入制、さらには義務教育 化にすれば、本当に真摯に国の利益を思う官僚や政治家が生まれると本気でお考え なのでしょうか。 わたしはそのお考えに疑問を感じます。なぜなら、自由な校風で四年間を過ごした 学歴を持つ数人の国会議員を観察してみたうえで、彼らが超難関校を卒業した議員 たちよりもリベラルで先進的、そして視野と判断力と指導力に優れているとは到底 思えないからです。 でも、この問題はここまでにしましょうね。お礼の言葉にふさわしくありませんし、 教えてGooでは議論は禁じられているからです。 ただ、奨学金の返済が滞ったまま、天文学的な金額まで膨らんだ未返済分を取り戻 せないから仕方がないと放置し、防衛大学では在学中に給料に相当する金額を支給 されながら卒業後は民間に流出してしまう、これらもすべては学生の質にあるわけ でしょうが、それが現実であるがゆえに、今以上の教育指針や制度の早急な改革が 必要なのだ、その一環として今後の大学の在り方も問われるべきだとはわたしも思 います。
- mjtennsai
- ベストアンサー率28% (4/14)
現役高校生です 一応、進学校と呼ばれる学校に通ってます 今の大学は多すぎます 僕個人の意見ですが 国立大学と 医学部、薬学部、歯学部のいずれかのある私立大学だけで十分だと思います。 また、偏差値が高くても、教員がゴミだったり、ほとんど遊んでいる学生しかいない大学もあります。 正直、田中さんにはがんばってもらいたかったです ついでに、いらない大学も潰してほしかったですね 受験地獄が緩和されても、 そんな大学に行った人には、就職地獄が待ってますからね
お礼
ご回答有難うございます。 今では大学が多すぎる、これまでのご回答はすべて同じご意見です、皆さん同じ思いなのですね。 ご回答者様のお考えですと、国立大学と、医学部、薬学部、歯学部のいずれかのある私立大学だ けで十分…ということですが、お気持ちはよく分かります。 ただ、やはり工学部、理学部など理系の学部は、技術立国としてこれまで発展して来ながら、今や 科学離れが甚だしい若い日本国民にとって今こそ大変大切な教育コースだとわたしは思います。 さらには、他の学部だって、国立大学よりもはるかに高く優れた教育が受けられる私大があることを 忘れたくありません。つまり、良い大学の良い学部であれば、それぞれ存在価値があるもの、あとの すべては不要だなどとわたしは思わないのです。 偏差値が高くても、教員がゴミだったり、ほとんど遊んでいる学生しかいない大学もあります… 受験に向けて、大学に対する観察力を鋭敏にしていらっしゃるご回答者さまが、そうお感じならそう なのかもしれません。ですが、教員がゴミ…とか、遊んでばかりの学生しかいない、そういった極端 な表現は適切なものだとは、わたしは思いません。 大学というところは小中高のように教わる一方の教育機関ではありません。自らがテーマを見つけ て自分なりに勉学をするのが本来の姿です。ですから、自らが研鑽を重ねようと志さなければすべ てが無駄、たしかに遊んでばかりということも起こり得るでしょう。 問題は、そんな無意味な四年間を過ごした学生を安易に卒業させてしまう大学側の考え違い、そし て、自らを無為に過ごしてしまわせた学生自身の愚かさ、ここにあると思います。ですが、そこのとこ ろを理解しているなら、教員がゴミだったり、ほとんど遊んでいる学生しかいないといった見方も少し は違ってくることでしょう。 田中さんにはがんばってもらいたかった、いらない大学も潰してほしかった… ほんと、そうですよね。ただ、あの人にはそれは無理だったと思います。大学に関する様々な制度や 決め事はすべて、どんどん急速に変遷を見せる現実の教育現場の様相に十分に追いついたものと は言えなくなっています。今日の大学教育をどのように考えるか、どのように整備したらいいか、まず そこのところから時間をかけて考え直し、その上で最適なスタンダードを構築すべきだと思うのです。 そして、それをまず指導し導くのが担当大臣の職務ではないでしょうか。 と同時に、そのような考え直しや改善修正が成されていない今の段階では、問題の三校が今現在の 決め事に則って適正な申請をした以上は、仮にそれが理想に合致しないものであったとしても、それ に対して認可を与えざるを得ない、それは当然の公平な考え方であるはずです。 なのに彼女は最初から「認められない」と口にしてしまった。彼女の気持ちは分からないわけでな い、今の大学の状況は好ましくないと彼女が憂いていたとしても、今の制度や決め事を無視し、 自分の考え方だけで突然のようにダメと言うのは大臣として最低の判断だと思います。 これから総選挙を迎えます。そしていずれ新しい文部科学相が誕生するでしょう。意味もない大学、 経営的に破綻している大学など、要らない大学は、ほんと、新しいスタンダードのもとでどしどし 潰して欲しい、わたしもそう思います。
- yuu6139
- ベストアンサー率8% (12/136)
確かに大学は多すぎるかもしれません。 しかし、別の見方をすれば「大学」「大学卒」というものに対して、 「あっ、そう」と軽くいなし、特別視しなければいいだけではないで しょうか。 我々の時代には「大学卒」はエリートのような受け止め方をする人が多く、 その弊害も大きかったと思います。 周囲の人が本物を見極める目を持つことが大切ではないでしょうか。 (60代 大卒)
お礼
ご回答有難うございます。 たしかにおっしゃる通りだと思います。日本人は古くから大学という教育レベルやそこに学ぶ 大学生を特別視してきたように思います。夏目漱石の「三四郎」などを読むとそのことがよく 分かります。たしかに以前は大学側も矜持を保ち、学生たちもそれなりによく学んだことでし ょう。 ですが、そうして大学というものを過大に評価してきた一方、熟練した技を地道に身に着けた 本当の意味の職人さんの価値を低く見てきた、そうした社会的風潮が今日の大学の過剰な開 校と質の低下を招いたと言っていいのではないでしょうか。その意味で、こうした状況もつま るところは目先重視で肩書重視の愚かな日本国民全員の責任ではないかとわたしは思うの です。
多すぎでしょう。 能力のない者に大学の門戸を開く必要はないし、 意欲のない者を卒業まで面倒見る必要もない。 大卒の粗製乱造は、害悪しかもたらしません。
お礼
ご回答有難うございます。 やはり多すぎるとお感じなのですね。そして、能力のない者に大学の門戸を開く必要はないし、 意欲のない者を卒業まで面倒見る必要もない…、まったくそう思います。 不純な動機で開校し、一定人数の入学希望者を確保するために能力のない者まで入学を許す、 どう考えてもこれが正しい姿だとは思えませんが、まさにそんな低レベルの大学の多い今の 実態、腹が立つ思いです。 ええ、いいんですよ、それでも。入学は許しましょう。ですが、最高学府の卒業生としてふ さわしくない者にまで安易に卒業証書を渡してもらいたくない、これが私の実感です。
お礼
ご回答有難うございます。 やはり多いとお感じなのですね。ちなみに、ただ今、東京には134の大学と40の短大がある そうです。 大学と言えば、当然のことながら最高レベルの教育を求め、自らが目的を持って研究にいそし もうとする者に与えられるべき学問の場…であるはず、なのに、新設大学の中の無視できない ほどの多くが、それこそ街起こしや金儲けなど不純な思惑によって開校され、それをまた食い物 にしようとする輩が黙認してきたこれまでの実態。 おかげというか、学生は思うように集まらず、実力のある教育経験者にはそっぽを向かれ、経営 不振はもはや慢性化。大学側もそんな程度なら、学生の側もそれなり。今朝のテレビでも見まし たけれど、捏造、咄嗟、軋轢といった熟語が読めず、分数の掛け算が出来ない、小学生並みの 大学生の粗製乱造。これじゃ日本がさらなる立派な発展を遂げられるわけがない。 彼らのおかげで、大学卒…という三文字の価値が大暴落し、残る価値判断基準は大学のブラン ドだけ。でも、そんなことになるのはかなり以前から分かっていたことじゃないですか。熟練した 技を地道に身に着けた本当の意味の職人さんの価値を無視し、ただ大学卒と言う文字にイリュ ージョンを見た愚かな日本国民全員の責任だとわたしは思います。 それにしても、わたしたちが受験したあの頃の過酷なまでの狭き門、今はどうなっているんでし ょうね。