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アルコール依存性との生活
- アルコール依存性による生活の影響
- アルコール依存症の進行による体の変化
- 家族がアルコール依存者を放っておいた理由
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伯母さん、早く回復されるといいですね。 アルコール依存症になって行く過程は、非常に多種多様です。つつましく、ほろ酔いの晩酌を毎晩楽しんでいただけなのに、気が付いたら依存症になっていたという事例もあれば、普段は毎晩の大酒飲みなのに、必要があれば長期間全く飲まないで平気な人もいます。 ともあれアルコール依存症が、だんだん進行して来ると、ある特徴的なことが起きてきます。本人の自覚としては、飲んで寝て、起きてみたら、飲み足りていなかったような気がするようになります。ここで、飲んでしまうようになると、症状の進行が加速してしまいます。 こういう状態では、連日の飲酒で身体が不調になり、酒に弱くなってきています。そのため、いつもより少ない酒量や時間で横になりたくなり、そして眠り込んでしまいます。実際に1回の酒量が落ちているし、酩酊を楽しんでいる時間も少ないので、酔いがさめたら物足りなかったと感じるわけです。 そうして、酔いがさめたら物足りなくて、また飲むようになると、アルコール依存症患者が陥ってしまう最終段階に進んでしまいます。これは、そこまでの過程はどうあれ、おおむね皆同じです。食事をほとんど摂らず、飲んでは眠り、目が覚めては飲みます。周りには酒瓶、酒パックが散乱しています。痩せこけて行き、最終的には死に至ります。 家族を含む周囲がこの「現象」を止められるかというと、ほとんどのケースで止められません。仮に、そうなって行く人を威圧してでも止められたとしても、別の方向で問題行動が起きてきます。そして家庭内で「対等者」「上位者」であれば、威圧はできません。もちろん監禁というわけにも行きません。犯罪行為ですから。 仮に閉じ込めたとして、たとえば怒って大声で怒鳴り、壁を叩き、窓ガラスを割るなどの行為に出たら、近所や通報を受けた警察に咎められるのは依存症の進行を止めようとした家族です。もし、さめざめと泣かれてしまうと、やはり家族も辛くて、止め続けることは困難です。 患者本人自身が、動くのも辛いといった、自分でもどうしようないと感じるまで、病院に連れてくることはできません。本人の内心はどうあれ、表面的には「酒を飲んで何が悪いのか?」といった態度と主張をすることが多いのです。 医師が、アルコール依存症で痩せ衰えて連れてこられた患者を見て、「どうしてもっと早く来なかったのか?」と患者や家族を叱るのは、おそらくどの医師でもするでしょう。これには、大きく分けて二つの場合があります。 一つには、医師の無理解です。たとえば内科医で、精神科の心得(知識だけでなく経験も)が不足な医師はよくいます。一応、大学で基本は学んでいるはずではあるんですけど、それでは個々のケースの判断までは無理です。患者に対してはだらしないと思い、家族に対してはネグレクトだと思ってしまいます。 もう一つは、医師として本人や家族の事情は、分かっていはいるけど叱らないわけにはいかないというケースです。本当は事情を斟酌はしていても、型どおりのことを言わないわけにはいきません。早期治療は当たり前ですし、アルコール依存症が最終段階まで行くと、ある程度以上の回復が望めないことも多いですから。 そういう医師が、もっと理解が深いと、本人や家族を叱るということに別の意味も込められます。「なぜ原因を見つけて、取り除けなかったのか?」ということです。普通は、酒を飲んでも酩酊が楽しくても、家族や友人や自分の生活を犠牲にしてまで楽しむことはありません。酩酊状態に、そこまでの価値はありませんから。 アルコールを楽しむのではなく、アルコールに頼ってしまう状況が、なぜ発生し、なぜ対策されなかったのか、ということですね。「どうも飲まないと落ち着かない」「飲まずにはいられないような気がする」といった状態のとき、うきうきと嬉しいということはないです。なんとなく辛いわけです。その段階で原因を把握して、それを解消するなり、無害なものでアルコールの代替にするなりすれば、めったには依存症に陥りません。 そういう、アルコール依存症の背景ですね。アルコール依存症になっても、断酒会かAAに参加して、残る一生、全く酒を生ないと決意し、そう努力している人は少なからずいます。そこまで決意して実行するのは、アルコールに頼らなくていいような状態になって、ようやくできます。たとえば原因となったストレスを受け続けながら、禁酒を決意して実行できる人は、事実上いないと考えて差し支えありません。 飲酒行為だけを責めたり、止めたりしようとすると、それは再発を促しているようなものです。悲鳴を上げている口を押さえたからと言って、苦痛が軽減するわけではありません。口を押さえれば、手足を振り回します。 患者本人に身体的に回復してもらうのは第一義ですが、退院後にどう暮らしていくかは、精神科医などの助力も受けながら、少なくとも家族単位、多くのケースではもっと広い範囲で、何が起こっているかを探ることから始めるのが適切でしょう。その場合でも、誰かを責めるような、悪者を探すようなことは、問題を解決しないことが多いので、慎まなければなりません。 難しいことですが、過去の粗探しをせず、現在の状態を否定せず、未来についても、どう励まし、かつリラックスできるかという方針でないと、うまくいきません。しかし、そこまでしても、依存症で最も避けるべき飲酒の再開を防げないことも少なくありません。そのため、本人も周囲も、何度も一からやり直す根気も必要になってきます。
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- ROKABAURA
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やせてひどい状態なのは肝硬変のせいであってアルコール依存症はあくまで原因だ。 たばこにせよアルコールにせよ依存症そのものは 本人が直す気にならないと絶対直らない。 医者が責めるのはもっと早い段階で連れてくるべきだったということ。 そこにはむろん言えないが本人も含まれる。 本来自分から行くべきなのだが 行けばアルコールを禁じられてしまうので 行こうとしない患者も多い。 一番苦しいのは連れ合いを失う夫と子供達だ。 故意に死なせようとしたのでもない限り 今責任を追及するよりすべきことは できる限り安楽にできる限りのことをしてあげる事だけだ。
お礼
「本人が治す気にならないと絶対治らない」まさに、その通りだなと思いました。 叔母は、若いうちから更年期障害になったみたいで、年中病気がちでいつのまにか親戚の集まりには顔を出さなくなりました。 精神的に弱っているときにお酒に頼ったのかな、と推測しているのですが。 娘や夫が頼んでも絶対行かない!と、病院に行くことを拒んでいたようです。 本当に、叔父さんといとこが可哀想です。 いとこは子供が生まれたばかりなのに、子供を預けてずっと病院にいます。 アルコール依存性は、本人もですが、まわりの家族までが辛い思いをしなきゃいけないんですね。 回答ありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。 すごく分かりやすい回答をしていただきありがとうございます。 自分なりに調べたりしていました。 叔母は余命3ヶ月だそうです。 腎不全にもなっているようで、手の施しようがないということでした。 アルコール依存性の人との生活がどんなものか全く分からなかったけれど、回答を読んで少し理解できたように思います。 叔父さんやいとこの辛さもよく分かりました。 アルコールって恐ろしいですね。 叔母の最期が安らかであるよう、私も努めたいと思います。 アドバイスをありがとうございました。