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The Uses of History in Sociology
- Exploring the relationship between history and sociology
- The shift in the stance of sociologists towards history
- The importance of not disregarding the distinction between history and sociology
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1。 that are of an entirely transhistorical kind of a kind は、下記のように「同じ種類の」という意味です。 http://eow.alc.co.jp/search?q=of+a+kind ここでは、「全然」と「超歴史的な」の二つの修飾語が入っていますから、「まったく歴史とは関係のない種類の(ものである)」ということになります。 2。 訳 再び、社会学に置ける歴史の使用を問題にするのは、時代を遡るように見えるかもしれない。というのはそうすることは、言うまでもなく今では容認されない、歴史学と社会学とは区別されるという立場を意味するからである。 こうして、例えば非常に影響の大きい『Historical Sociology』という著書で、フィリップ•アブラムズは、「歴史と社会学は常に同じ物であった、従って双方の間に関係があると言う議論は誤っていることになる、と述べ「正しく作り上げられていれば、社会科学と歴史学の間には、論理的にも、方法論的にも区別がない」と言ったギデンズを引用している。 確かにアブラムズも気づいているように、彼が採る立場は、彼より20年ほど前の社会学者たちの間で通常だと考えられてい立場に比べると、顕著な対照を示す。 そのころ(=彼より20年前)社会学者たちは歴史学者とは研究対象が異なることを強調することに忙しかった。例えば、'idiographic' 分野と ‘nomothetic’ 分野の相違が大きく取り上げられた。 歴史学は、特殊な、他に類の無い、現象を扱うので idiographic であり、社会学者は、現象の範疇に適用される理論を形作って一般化することを求める点で nomothetic である。 しかし、これは(Sir Keith Joseph の出現を待つ)イギリスの社会学界が、「社会科学」の概念に恐れをなす前、知性的保守主義と政治的改革主義が手を握る新しい雰囲気が作られる1960年代後期から1970年代のいわゆる「ポジチビズムへの反動」の前、の話である。 「歴史学と社会学」の議論で私の最初の貢献は、この prelapsarian 時代に遡り、事実上 idiographic-nomothetic の区別の批判に遡る。 私の考えは、歴史学者たちにも社会学者たちにも、別に快く受け入れられはしなかった、この今の私の考えも、同じように冷遇されるのではないかと思う。 というのは、私が今重要だと思っていることは、アブラムズたギデンズのような歴史学と社会学とは一つの物であり、区別できないと言う立場が、強く反対されるべきだと思うからである。 できれば、誤解を避けるために、強調しておくが、私は idiographic-nomothetic の区別を、あるいは少なくとも原則の一つとして(その区別を)、再確立しようと企図するものではない。 第一、私は、例えば、社会学者たちが完全に超歴史的な理論に到達するとは信じないし、歴史学者たちが社会活動、社会過程、構造に関して一般的な概念の無い記述が出来るとも信じない。 しかしながら、歴史学と社会学の間に境界線を引くことは意味が無いという立場を拒否する理由には十分な根拠がまだ残っている。 3。文は長いですが、著者は歴史学と社会学は別だ、と言っているだけです。
お礼
迅速な対応ありがとうございます。 納得いかなかったところがすっきりしました。