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情けは人の為ならずを実感されたことはありますか

利害関係がある人に対しては当然でしょうがそういう関係にない人にかける情けというものもあるでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.8

>利害関係がある人に対しては当然でしょうがそういう関係にない人にかける情けというものもあるでしょうか。 この質問文に対する回答は「ある」ですね。道に迷った人から声をかけられたら教える、目の前で落し物をした人がいたら声をかける、直接の利害は発生することはないのですが、情けをかけています。 その行動は個人的には何を目標にやっているかというともっと大変な状況が起こったとき、例えばその場で火災が発生した時など、自分が逃げることだけでなく、余裕のある状態であったとき、いかに他人を誘導したりできるか、そういう判断と勇気を養うために行っている面が強いです。多くは逃げるので手一杯になるだろうとは思うのですが、安全圏の一歩手前で、そこに誘導できる勇気や行動力、判断力は持ちたいなと考えて小さなことで練習をしているつもりで行動しています。 そういう意味で「人の為ならず」で行動しているのはいつも実感していますね。

kaitara1
質問者

お礼

できた余裕をすべて自分のための再投資に使う人も多いですね。

その他の回答 (8)

回答No.9

情けを掛けても出逢いは全くない、モテない、彼女できないし、まぁ、交番に財布を届けて、一割のお礼や箱のみかんをもらった事かな。

  • dolce0000
  • ベストアンサー率22% (217/951)
回答No.7

この諺は、表面の意味そのままに解釈するか、一段、深い層で捉えるかで分かれると思います。 「情け」がメインテーマと思っている人が多いようですが私は違います。 表面の意味は、他人のためと思ってしたことも、意外に自分のためになったりするということですが、それ自体を言いたいのではないと思います。 そこは犬も歩けば棒に当たる、風が吹けば桶屋が儲かると同じです。 まさか犬や桶屋がメインテーマなわけありませんよね? 犬や桶屋の話は例として出しただけで、それを通してもっと深いこと、出しゃばりは災難の元だとか、予想外の結果に結びつくとがある と示唆しています。 情けは人の為ならずもそれと同じで、情けは人のためになるばかりでなく自分のためになることもある、つまり、照準をどこに合わせるかによって損得が逆転することもあるし、物事を一元化して、わかりやすい結論だけに飛びつくのは危険だよ、という話だと思います。 近い諺としては「損して得とれ」「負けるが勝ち」「急がば回れ」「木を見て森を見ず」「一事が万事」です。 上記全て、表面のニュアンスは微妙に違えど、突き詰めると同じことを言っていると考えられます。 表面のわかりやすさに安易に飛びつかないで、本質(大局)を見誤るな、一元的に決めつけるなという意味だと思います。 という前提に立てば実感したことはとても多いですね。 それこそ今回の内容もそうだと思います。 表面しか読まなければ、人に良くすると自分が得することもあるよ、で終わり。 それではあまりにも気づきが少ないと感じます。 情けひとつとってもどのような意識で何に照準をあてて行うかによって得られるものも違ってくる可能性もあるのだから、ものはやりよう 頭は使いよう、そう考えることもできて実に深い諺だと思います。

kaitara1
質問者

お礼

仰ることすべて納得できます。ことわざはいろいろな方のお考え伺うと私が気が付かなかったことなどを教えていただけるので折に触れてお願いしております。

回答No.6

情けというほどではありませんが、 出来る事は人の為にやらせて頂きますと思い 結構人に親切にする事はありました。 そしてその事に見返りを求める事は一度もありませんでした。 だって自分がやってあげたいと思った事ですから 自分に出来る事なんて本当に大した事ではありませんが そのような生き方をしてまいりました。 考えれば、いろいろありましたが それで良かったのだと思っています。   

kaitara1
質問者

お礼

それが本来の情けというものでしょうね。ことわざもそのことを言っているのですね。

  • 5mm2
  • ベストアンサー率9% (329/3308)
回答No.5

今日初めて本当の意味を知りました。 「施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ、、、、」 質問を読んで、そんなこと感じたことは無いなと思いながら、自分の施した情けと、自分がかけられた情の関係をを考えてみましたが、よく分かりません。 その中でふと本当の意味はと調べたところ、上記のような文を見つけました。 自分が情けや施しをもらう事を考える必要が無かったんですね。 「良いことをすれば、自分の気持ちが良い」ただそれだけですね。 それなら、いくらでもあります。 言う程のことではありませんが(笑)。

kaitara1
質問者

お礼

基本的には仰る通りなはずですが、実際の場面ではいろいろな雑念や雑音が邪魔をすることも多いと思います。

  • nonamelane
  • ベストアンサー率28% (390/1358)
回答No.4

こんにちわ。少し歪んだ原義を感じる事をお話したいです。 海外におります。この国の生活保護は比較的基準が甘いですが、結局は何代も生活保護に陥るのがざらです。メンタル?、アル中?、堂々と昼間からカジノで散財しています。生活保護は住宅も良質な材料でコンクリが多く使われているので、私は払い下げ物件から目が離せません。(私のいる州の白人地域の物件)また、政治的意味から原住民に対する保護は特に手厚いですが、それがどういう意味なのか受ける側は全く考えていません。医学部すら無試験で入れるのに(一滴でも原住民の血が混ざっていれば優遇される)、そこまで行こうと思わない子供がほとんどでしょう。ぶらぶらしていても沢山のお金がもらえれば、立ち上がろう、頑張ろうと思わなくなるのは当然です。しかし一方で現金は白人よりはるかに多く与えても、環境(特に教育と住環境)が良くない点が白人受給者と違う印象を受けます。これはどこにも書かれていませんが、私自身が見た感想です。 情けは人の為ならず、こうやって過去の歴史そのものすら風化していくのだと分かります。確かに風化させる点で侵略した白人そのものに恩恵は返ってきますが、それが親切なのか、両者の為なのか疑問です。この諺の原義よりも誤訳の方がしっくりくると言いたくなります。

kaitara1
質問者

お礼

常時飢饉に悩まされているアフリカのある地域に外国から食糧援助があったところ人口が爆発的に増えて、かえって以前より深刻な飢饉が問題になったという出来事に似ているかなと思いました。

回答No.3

私は素行不良なので偉そうに言えませんが、普段からの小さなことの積み重ねが巡る巡って自分に返って来てるんじゃないか? と思うようにしています

  • q4330
  • ベストアンサー率27% (768/2786)
回答No.2

>情けは人の為ならず 人に対して情けを掛けておけば巡り巡って自分に良い報いが返ってくることです 直接の利害関係がなくても巡り巡り自分に戻ってくることはある。

kaitara1
質問者

お礼

巡るのがあまり遠回りになるとすべてはっきりしなくなるかもしれませんね。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1979/7610)
回答No.1

>関係にない人にかける情けというものもあるでしょうか 利害関係者は極端かもしれませんが、人間、何らかの利害があるかと思います。 そう考えますと、関係ない人に対して施した情けは、ご自分だけがそういった気持ちになるだけで、相手には伝わらないのかもしれません。 従いまして、答えは「ない」のだと思います。 余計なお節介のケースも考えられます。

kaitara1
質問者

お礼

なる程ですね。伝わらないような情けというのは、実在しないのでしょうね。

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