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自分の障害を受け入れられない・・・
よろしくおねがいします。 私はもうすぐ45歳になる先天性脳性麻痺の男です。 障害の等級は一種一級で全介助、在宅で両親の 世話になって暮らしています。 タイトル通りなのですが、この身体と長い付き合いになりますが、 今だに障害を受け入れられず、くよくよ悩んでしまいます・・・。 心底なんか障害者の気持ちになりきれなくて、 他の障害者を目にするとき、どちらかというと健常者の視線に近い感じで 見てしまいます。これまで交友関係も無く、友達も居ないので 誰にも相談できず、ただ悶々とした気持ちで生きてきました。 世の中には自分より辛い状態の方はたくさん居られることも 重々分かっているつもりです。が、反面「それが何なの?多かれ少なかれ 障害者は障害者。」とネガティブなことしか考えられません。 ついつい基準が健常者になってしまい、あれもできない、これもできない。 「障害者はやっぱダメだ・・・」と心の中で連呼する日々です。 生まれてくるとき、身体と魂が誰か別な人と入れ替わったんじゃないのか? そんなことまで思うほど、障害のある自分に違和感があります。
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- もぐ っぴ(@choro_1129)
- ベストアンサー率0% (0/1)
障害を受け入れられない気持ち分かります。 自分も産まれつきの障害を抱えています。程度は1種2級ですが・・・・ 両親の世話になっているということも、質問者様と同じです。 あの子の、どこが障害者なんだ??普通やん!!って正直思うときあります。 何も出来ないって決めつけるのではなく、ひょっとしたら出来るかもしれない。 という気持ちを抱けるようになったら、何でも楽しくなるし、意欲もわいてくると思います。 受け入れることが全てではなく、気持ちは健常者でもいいんじゃないでしょうか?? 自分は、産まれつきの障害ですが、途中から手帳取ったということもあり、自分は障害者なんだって感覚なくなるときもあります。 脳性まひとのことですが、そう言った会?みたいなのに顔を出したり、インターネット上だけでも交流してみたりすると気持ち変わってくるような気がしますよ。
- ochamango
- ベストアンサー率30% (39/127)
いまはただ時が経つのを待つ時期です。 やがて諦めの感情が出てきて、最終的に受容できる段階に至ります。 そしたら何かをあなたがやりたいことを始めれば良いのです。 いまは何もしなくてもいい。絶望状態でしょう? それを通り越した時に諦めが来て、やがて受け入れられて楽になれます。 ただ、それを待っていてください。生きて。
お礼
アドバイスありがとうございます。 本当にその通りなのかも知れません・・・。 もっと歳を重ねると考えも変わってくるかも知れません。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
先天性脳性麻痺の方のボランティアをして、八年ほどになります。 僕自身も脳卒中になって、まともには歩けない時期もありましたが、又施設に通ってボランティアをしています。 施設に居る方は、話すことも身体を動かすことも不自由ですが、キリスト教会の礼拝に通っています。 そこで言葉にすることは、「私も、誰かのお役に立ちたい。」です。 放せない、手が動かない、出来ないことを数えたら、両手の指の数以上でしょう。 その人に何を教えられると思いますか。これをしたら、みんなに喜んでもらえるよ、と言えますか。 今日の日曜日は、礼拝の受付で、お手伝いをするそうです。 人は何の為にこの世に産まれて来たのかを、その人に話をしています。 世の為、人の為に役立つことをする為に産まれて来たのですよね。 それなら、人の為になること、人を元気にすること、元気を分けてみましょうと、教えました。 施設に暮らす人たちを見れば、誰だって気が付くはずです。笑顔での挨拶「お早う」を言えたらと。 言葉が出なければ、笑顔と手振りだけでも、元気を分けることは出来ます。 皆さんも、自分の生活だけではなく、周りの人に何を分けることが出来るのかを考えて欲しいと思います。 それが出来たのなら、健常者と先天性脳性麻痺障害者の違いは無くなるでしょう。 同じ線に並んで、他者に元気を配り、幸せを感じさせることが出来る様に成るにハンデなどありませんから。 彼女が礼拝の受付で出来るお手伝いの一部になっていると思います。
お礼
大変良いお話ありがとうございます。 自分も誰かのために役に立てたらいいのですが、 助けられる一方です。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 >心底なんか障害者の気持ちになりきれなくて なりきらなくてもいいんじゃないですか? どうせ、人間は自分の気持ちしか、心底理解することはできません。また、自分の気持ちさえも全て把握することもできません。 あなたは、あなたでしかないのですから。 >それが何なの?多かれ少なかれ障害者は障害者 ネガティブですか? 達観されているだけでは? それに誰でも死ぬまでの間に1度は障がいを持ちます。それが、あなたの場合、生まれる前からだということで、精神が熟成される前に、試練が来てしまったという感じなのでは、ないでしょうか?(失礼なもの言いで、ごめんなさい) >ついつい基準が健常者になってしまい、あれもできない、これもできない。 >「障害者はやっぱダメだ・・・」と心の中で連呼する日々です。 >そんなことまで思うほど、障害のある自分に違和感があります。 ならば、障がいがない自分ならば、挑戦してみたいことに、取り組んでみてはいかがですか? 全く無理ですか? 私の生徒にも、幼児期の脊椎損傷のため、全介助の卒業生がいます。 彼は親元を離れ、アパートを借り、障害者年金と生活保護を受けながら、ピュア・カウンセラーとして作業所を運営しています。自分にできる「おしゃべり」を武器にして。 彼は彼。あなたはあなた。ですから、同じことをする必要はないでしょうが… あなたが、あなたらしく取り組めることを見つけられるように、祈ります。
お礼
アドバイスありがとうございます。 自分の心も分からなくて、混乱することがあります。 親の前では陽気に振る舞い、そのウラで 「なんでわらわないといけない?」って考えてしまう自分が居ます。
- green351
- ベストアンサー率43% (185/430)
ご質問の内容拝見いたしました。私も先天性脳性麻痺で、たぶん同じ年齢くらいかと思います。(40代半ば) 傍から見れば立派な障害者なのだそうですが、私は自分を障害者だと思っていません。なにせ生まれたときからこの身体と付き合っているので、なんで障害者なのか未だに理解できていません。 幸いなことに、私は補装具も杖も無しで歩けるので、他の方と比較すれば随分遅れましたが仕事は何とか出来ています。どういう運命の巡り合わせかは解りませんが、今の仕事は病院のソーシャルワーカーです。 私の知り合いに一種一級の先天性脳性麻痺ながら私と同じくソーシャルワーカーをやっておられる方がいます。私も最初にお目にかかったときには自分より障害の重い方がワーカーをやっているということに驚いたものです。その方にも障害のことを聞いてみましたが、やはり「生まれつきなので自分が障害者だとは思っていない。」という返事が返ってきました。 全介助での生活ということで大変だろうと思います。私だって正直、ペンすらロクに持てないのに面談記録を書くことがいかに苦痛であったか思い出すと今でもうなされそうです。 “障害は個性だ”という方もいらっしゃいますが、やはり不自由だし不便であることは隠しきれません。でも結局はなるようにしかならないので、行き当たりばったりでも悪くはないかな、とも思っています。 “障害のある自分に違和感があります。”とありますが、いいじゃないですか。私や知り合いのワーカーの方も結局はどこかで妥協しているからこその「開き直り」なのだと思います。多分、違和感を感じなくなったら終わりだと思いますよ。 “あれもできない、これもできない。”ではなく“あれはしなくてもいい、これも出来ないと言えばいい”くらいで行かないと障害者なんてやってられません。その程度のものは「健常者」と呼ばれる方々に丸投げです。
お礼
レスいただきありがとうございます。 障害の等級がが同じでも、身体の状態が 違いすぎる方が居られるんですよね。 自分はほぼ寝たきりなので、働くことはとても無理です。 何か少しでも自分が社会貢献できていれば 自信に繋がると思います。 これからも頑張って下さい。
- りな(@rinarina0301)
- ベストアンサー率26% (164/626)
はじめまして。 片目0.04でほとんど見えない障害者です。 ドクターストップも色々とかかっています。 それと、先天性の発達障害もあります。 こちらは少し回復しています。 できないことは沢山有ります。 例えば読み書きや体育・人間関係など、生活の支障は沢山あり、精神疾患にもなってしまいました。 それでも、沢山支えてくれる人が居るので、できる限りでボランティアに行ったり(福島県南相馬市) 社会貢献を目指しています。 自分なりでいいんです。 きっと貴方らしく生きていけるから。 肩の力を抜いてください^^ 余談ですが、私は出生後に直ぐ死んでしまうかもしれなかったらしいです。 そんな私も18になっています。 一緒に生きましょう!
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご自分の生活も大変でしょうに、被災地に出向いて ボランティアされておられて頭が下がります。 これからも無理されない程度に頑張って下さい!!
以前発達障がいに関わるボランティアをしていた者です。 親族にも障がい者がいます。 私なんかが質問者様の気持ちが分かるなんて言ったらおこがましいし、何の説得力も 慰めにもなりませんが、多くの障がいのある方を見てきて、少しくらいはお気持ちがわかるつもりです。 障がいを持ちながら生き生きと過ごすことが出来る人もいますが それは本当にわずかな人なのだと思います。 多くは、日常生活もままならず、結婚や就職にも悩んでおられる人ばかりです。 もちろん、そこには知能の発達の遅れのために自分の事は何も分からず 不安になるのは親御さんばかり。。。という方もおられます。 障がいを受け入れられない方も多く見みてきました。 自分の体を脱ぎ捨てたい、感情をコントロール出来ない、イライラから家族や者に当たり散らす、 と言う方いろいろ。。。 私達ボランティアの辛さは、手伝ってあげることは出来ても 理解したり、辛さを取り除いてあげることが出来ないことです。 世の中は<健常者>と言われる人間が生活しやすい場所になっています。 それゆえ、生活する上での<障がい>なのであって、あなた自身を<枠に閉じ込める>言葉じゃないのを 分かっていただきたい。。。 言いかえれば、体に不自由があっても生活出来る基盤があれば なんの<障がい>も無いと言う事なのですよ。 世の中は変わりつつあります。閉じ込めることでしか方法が無かった 知的の遅れのある障がいの方でもほんの一部ですが就職出来るようになってきました。 全ての<障がい>のある方が自力での生活が出来る基盤が出来れば <障がい>ではなく<個性>として成り立つと思いませんか? 少なくとも私は<障がい>ではなく<個性>だと思っています。 その体はあなたの<個性>です。 その体を生かして何かするのも、何もしないのもあなた次第。。。 あなたにしか出来ないことがきっとあるんだと思えませんか? 違和感があっていいんですよ。 誰だって100%自分に満足している人なんていないのですから。
お礼
暖かいお心遣いありがとうございます。 よく障害は個性だとあちこちで見聞きしますが、 正直うんざりします・・・。 簡単に個性なんて軽々しい・・・ そんな個性なんていらないです。 贅沢は言いませんから普通の身体だったら・・・ それだけでいいんです
お礼
レスありがとうございます。 テレビなどで中途障害の方が苦難を乗り越え、 いきいきと頑張っているお姿を見るたびに 「自分はいったい何やってるんだろう・・・」と そうずっと思い続けてきました。 昔はネットで交流して友達作ろうとしましたが、 やはりネットはネット、付き合い方が分からなくて。