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カタチだけの謝罪の風潮について
- カタチだけの謝罪の風潮が日本に広まっているが、誠意の欠如や対話の不足が問題となっている。
- 謝罪の言葉がカタチだけであり、誠意が感じられないケースが多い。
- このような風潮は、問題の解決や責任意識の欠如を招き、人間性の堕落をもたらす可能性がある。
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質問者が選んだベストアンサー
まぁ、確かにそういうタイプいますよね。 質問者様がその手のタイプを嫌う気持ちもよくわかります。 この手のタイプの場合、謝罪するということは、自分の非を認めて【誠意】を表す行為ではなくて、自分の持論の【負け】を示す行為になってる印象を受けます。 つまり、「ごめんなさい」と「負けました」が同意語なんです。 で、このタイプの厄介かつ面倒なところが、誠意のない謝罪で全てが解決したと、一方的に決めつけることです。 だから、事件の後始末や間違った情報の伝達の訂正やら、事件にかかわった者ならばやらないといけない諸々があるときに、「負けを認めてるのにまだ言うのかよ」と逆ギレしたり、「私は加害者だから、被害者のあなたがやればいいんだ。だって、加害者の言葉なんて信じられないんでしょ?」と皮肉の言葉を言い捨てて協力しなかったり、相手に壊されたものの弁償を要求しても「謝罪した人間に追い打ちかけるのか!」と反発したり。 誠意のないうわべだけの態度だから、綺麗に片付けて大団円にしようとしている行動を否定する、自分の後始末をやりたがらない。 誠意のある人は、泥をかぶる覚悟で自発的に動くですけどね、こういう状況になると。 悪質なタイプは、被害者に不当に責め立てられる加害者と自分を言い、せっかく丸く収まりかけていた事件をぐちゃぐちゃにして、さらに厄介かつ面倒な事態に発展させるので、全く油断できない。 誠意ある謝罪をする人がいなくなったのは問題だけど、そういう人間が増えてるような感触が怖いです。 だって、過去に出会ったこういう人たちって、【負かされた】から【リベンジ】しようと、勝手に敵意やら競争心を燃やして、迷惑な絡み方してくるんです。 本当にかかわりたくないです、こういう人たちって。
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- BC81
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しかし、ちっとも文章上手くならないですねえ。考えてばかりでなく読書もしましょう。
確かに、そんなタイプの人居ますね。 ごめんなさい、すみません、言ったらそれでいいや。って感じの人。 書き込みにもありますが、臨機応変だと思っています。 特に大人社会の中では、謝罪して事を大きくしない、という場面もあると思いますので。 ただ、臨機応変に対応した後、どうしなければいけないか?は大切な事だと思います。 私はきちんと対応しきれている、とは思っていませんが。 小学生の息子も、ごめんなさ~い、なんてふざけ気味に言う時があります。 その時には、雷落としてますよ。 気持ちの無い、ごめんなさい、なんかお母さんいらん!!と。 どんな場面で、どんな対応をして、どうするか? 親が子に教え、自身の成長と共に身につけていって欲しいと思っています。
- hyuuma8579
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形だけの謝罪・・・とりあえず謝っておいた方がいい的な謝罪・・・ よく見るのが、テレビでお馴染みのお偉いさん方のワンパターン平謝りの惨めな姿ですね。 悪いことしておいて、まだいい子だと思われたいから謝罪するのだとしたら・・・本当の悪人や犯罪人の方が裏表がないだけまだましですね。本当に懲りない人達です!! 要するに心ない謝罪には、何の意味のないことは明白です。 それに、彼らは根本的な認識が甘いです。 謝れば許されるという思考がどこかにあるから謝るのでしょうが、気持ち悪いほど甘い考えです。 バカな三文謝罪の姿を晒すくらいなら、謝らなくとも済むような自浄作用を強化すべきです。 私が疑問なのは、彼らは頭悪いのかな?ってことです。 形だけの謝罪で、もっと印象悪くしている状況が、客観的に判断できていないと思えるからです。 また、許す側の「謝って済ませる」という風潮も問題だと思います。 風潮だけでなく、法廷での判例などを見ても、法律そのものが甘いのが日本です。 交通事故で、人一人死なせておいて動機が云々とか・・・アホもいいとこです。 どんな理由があるにせよ、殺した事実に対して結果責任を問うならば、死刑が妥当だと思います。 話が広がってしまいましたが、謝罪という行為以外でも、言葉だけの言葉ってのは気持ち悪いですよね。 「おはようございます」・・・形だけなら、挨拶しなくていいよ!!って教えてあげます。 太鼓もちの誉め言葉・・・「あなたに誉められても全然心に響かないし・・・不愉快なんで、もう私のこと誉めるのやめてくれる!?」いつも誉めてくれる女性にはっきり言いました。 誉められて気を良くするバカは、他にいっぱいいるだろうしね。 形だけの会話ってのもありますね。もう知り合いにすらならないように「シカトリスト入り」です。 話を戻します。 本来、謝罪の本質は心や誠意でもって謝ることです。 しかし、心がないため、頭(知識)でするしかないもの、それが、言葉だけの謝罪ということになります。 当然主体である心が入っていないので、誰の心にも響かないばかりか、一層信頼されなくなるのです。
誠意のない謝罪。 そんなものはどんなところにもいつの時代にも掃いて捨てるほどあります。 そんなものについてここで「問題はないのか?」などと質問してもまったく何にもなりません。 あなたが考えなければならないのは、ここでこんな質問をしたくなってしまうあなた自身の心の中についてでしょう。 細かいことはあれこれ書きませんが、あなたはご自身の生きづらさや劣等感、自信のなさを外部の問題に転嫁しているのではありませんか。 ご自身の内面について深く考え、改善を図る方がよっぽど大切だと思いますよ。 それができればテレビで誠意のない謝罪をしている人を見ても「ダメなやつ。こういうやつはいつの世にもいるよな」くらいですむようになりますし、自分に対して誠意のない謝罪をした人に対しても「ちょっと、そんな態度で謝られたって不愉快なだけだよ」とはっきり言うにせよ「まあいいや。この程度のやつなんだから放っておこう」と思うにせよ、その時々でいいと思う対応をすることができますし、あとあとまで不愉快な気持ちを引きずるようなこともなくなります。 もちろんその上で、社会の問題について改善を図るためにいろいろ活動されるのであればそれは有意義なことでしょう。 ただ、自分の内面に問題を抱えている人がそこから眼をそらすために「今の社会は間違っている!」と主張し、行動するのは危険ですし迷惑です。 高校の頃に誠意のない謝罪をされていやな思いをした、などというどこの誰にもありそうな経験がいまだ心から消えない自分っていったい何だろう、というところからスタートされてみてはいかがでしょうか。 それと、周りに迷惑をかけず内々に処理する、というという行動のもとになる心理を「侘び寂び」で説明するのは無理でしょう。意味が違いますから。
仰ること痛感する者です。 企業や役所などある程度の規模の組織の場合、以前にもまして その風潮が確立しています。マスコミ・世間対策なのでしょうね。 勿論、過ちをおかした組織の代表が責任をもって謝罪するのは 形式上はその通りだろうし美しくさえあるのだろうけれど、 問題が2点あります。 (1) 謝罪すると決めた以上は当事者の言い分をきちんと掌握しない。 ただただ、最も効果的な「タイミング」を見計らい本心は空の ままで最敬礼をしお詫びの「言葉」でもって謝罪したとされる。 ここには真実を求める被害者と真実を話したい加害者両方の心を 疎外しただ組織の維持をはかる幹部の意向しか通らない。 かといって「加害者」を謝罪に放り出せば良いと言う物でも無い。 時間をかけ、双方がゆっくり話し合い心からの言葉が出せて、 さいしゅうてきに組織の代表がお詫びと共にとれる責任をとれば 良いのだが。 現在はますます真実を隠すかのように形式上の謝罪が求められ 求められるように謝罪がなされていく。
- shadewalk
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そこまでとやかく相手のことを考えすぎるのは、なぜでしょう? あなた自身にどこか自信がなくて、 自分を正当化しようとしすぎてるところがなかったでしょうか? まずは、あなたが濡れ衣を着せられないように、相手にとって紛らわしいことはしないように努めることが、先決ではないでしょうか? 自分は問題ないと思っている部分には、危うい部分が潜んでいる場合があります。 失敗も成功もあわせのんで、主体的に行動して、 受け身でなければ、相手どうこうより自分主体であれば、お客様意識でなければ、 そこまでとやかく相手どうこうという感情は起こらないと思います。 どこの国にも良い悪いは必ずありますので、そこまで考えすぎたら、どこでも生きにくくなってしまいます。よろしくお願いいたします。