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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:“たかが電気”発言から考える。)

“たかが電気”発言から考える - 音楽アーティストの言葉に込められる意味

このQ&Aのポイント
  • 著名な音楽アーティストの方による発言内容を知った直後、天を見上げてため息するしかありませんでした。
  • 音楽の才能を収入に変えることができたのは、電気で稼働する放送手段、電気で稼働する録音再生手段、電気で大量生産される録音媒体や包装パッケージ類、こんなものが揃っていたからなんです。
  • 昭和16年の大日本帝国が戦争突入を選択せざるを得なかった理由は、“たかが石油”でした。戦後の日本が原子力発電の開発に邁進してきたのは、“たかが石油”に国の運命を左右されないようにすることが狙いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yashu2002
  • ベストアンサー率27% (50/182)
回答No.14

私は「たかが電気」大いに納得ですね。 原発事故は私たちにどう生きるべきかを強烈に迫ってきました。 原発がなければ経済発展が・・・。何よりも経済が大切だ!それには電気が欠かせない!原発必要派は、このような脅迫観念にとらわれているのではないかと。 でも、別に電気がなくたってどうにかなりますよ。100年前、200年前電気はありませんでしたが、幸せな生活を送ることは十分可能でしたよ。今は100年前、200年前より豊かですか?じゃあ不幸な人はいないんですね! ・・・そんなことはないですよね。 だから「たかが電気」なんです。 70~80年前、「たかが石油」と考えることができなかったために、大変な惨事となりました。「たかが電気」と考えられないと、また同じようなことになりますよ。 新興国や途上国は、いわゆる経済発展をとげてきます。そうすると、欧米や日本が、新興国や途上国から搾取して成り立っている現在の世界が成り立たなくなります。地球は70億人を支えられなくなるでしょう。今ここで考え方を変えないと、70~80年前よりさらに大変な惨事になります。 原子力の開発が、技術立国のものさしなんですか?誰がそんなこと決めたんです?科学技術はありとあらゆる分野があります。原子力はほんの一部に過ぎません。 もう経済が電気が原子力が人間を幸せにするという幻想を脱出すべきです。そうしないと繰り返しになりますが、更なる惨事を生み出すことになります。

ohno1108born
質問者

お礼

視点の異なるご回答ありがとうございます。 yashu2002様のお考えは、〔“自由競争による経済発展の中で他者を負かすor呑み込む”ことが大前提の社会構造が、限界点に達しつつある〕ということかと思います。私もそのお考えに賛同いたしますが、一方で、現状の社会構造に置換し得る新たな社会構造がどんなものなのか、まだ見えてこないのがとても残念です。

ohno1108born
質問者

補足

電気がないと、どうにもならなくなるものを、2つ例示しておきます。 〔上下水道設備〕と〔医療設備/用具〕です。

その他の回答 (17)

回答No.7

発言全文を知りませんが、 (1)反原発 と 反電気をないまぜにした発言 … これは ちょっと彼に対し同意できません。「電気」がわるいわけじゃない。 (2)A(電気)よりB(命)が大事は正論ではあるが、では Bだけが大事か、というと、Aだって「なくてはならないもの」 であることに違いはない。たんに「相対評価」での順位にすぎない。 また、そもそも電気はそれにより「命・生活」を守るものである (ライフライン」という表現もあるし …

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すべての原因は、〔電気/原発〕が目に見えず手に触れられない、という点にあるのかも。目に見えず手に触れられないから、減らしても廃しても特段の支障はないだろう、と想像されるのではないでしょうか。 これに対して、目に見えて手に触れられるもの、例えば【自動車】については、毎日のように死傷者を伴う交通事故をひきおこすにも関わらず、これを減らしたり廃したりする意見が発生することはありません。

回答No.6

>“たかが電気”発言から考える。 マスコミがよく使う手ですが、 なぜ彼が言った言葉の一部分だけを取り出して、批判の対象とするのか? 彼はこういったのです、 「言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のためになぜ命を危険に晒されなければ  いけないのでしょうか?たかが電気のために、この美しい日本、そして、国の未来である子供の命を、危険に晒すようなことをすべきではありません」 彼は人の命と比較して「たかが電気」と言ったのです。 今の日本で電気や石油にお世話になっていない人はいません。 ミュージシャンでも、作家でも、サラリーマンでも、国会議員でも この発言を批判するということは、 電気や石油について、誰も批判するな!! 誰も問題提起すべきではない!! と言うことでしょうか? 逆にどういう人だったら、批判する資格があるのか 感情論でなく、論理的な答えを教えてほしい。 で、質問は何でしたっけ?

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すでに書いたかもしれませんが、自分は電気を学んで技術屋になった人間なので、“たかが電気”発言にカチンときた。これが発端に間違いありません。 ついでに記しますと、〔人の命は他の何よりも価値がある〕というのは、たいへん非現実的な理想と思われます。なぜなら、事故死や意図的な殺傷が地球上に溢れているにもかかわらず、事故や殺傷を誘発する道具類の生産が中止されることはありません。これは、【マネーは人の命よりも価値がある/人の命はマネーを生み出す手段】というのが現実的だからではないでしょうか。 もちろん、極・理想論と極・現実論です。

回答No.5

ミチオ・カク(加來 道雄)さんという理論物理学者の方が話しておられましたが、自然エネルギーが市場や生活を支え社会の到来はあり得ることだけれども、20ー30年後のこと、と話しておられました。現在の技術では、コスト的に見合わないということです。 「たかが電気なのだから停止」という意味は、「電気の時代になって増加した人口が減る」「危険を伴う作業が電気ロボット化された工場を人力にもどす」ということです。 「自然状態で生きられない、電気の力がなければ生きられない人間は最初から生かさなければ良い」という意味でもあります。 つまり、原発存続の是非を問うことって、「電気の存在に支えられる命を切り捨てるか、将来の発症しうる癌やその他の病気に苦し見ながら死ぬ可能性におびえて暮らすか」の選択です。 反原発の人がそこまでの認識をしめして運動をされているのなら、まだ、考える余地もあります。が、例えば、「原発が原因で死ぬのは汚い死で許せないが、自然死はきれいな死。経済苦による死や、自然淘汰・自然死を選ぼう」という反原発サイドの意見は、これまでに見聞きしたことがありません。 あと、石油利権にからんだ戦争に反対という方々、この音楽家さんの場合は今回「さよなら原発」運動に参加するためということですが、気軽に飛行機よく利用されますよね。だったら、「食わせて行く使命」がある人達が「石油を必要とする」ことも理解できそうだと思うのですが・・。

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 電力供給手段のみについて一律に是非を考えるのは、無理があるかと思います。電力消費者側の対応についても、任意でない拘束力のある規制が必要ではないでしょうか。 ただ、これまで料金さえ支払えば必ず電力供給を受けられるのが当然という状況でした。電力消費に規制が加えられるとしたら、事前の意識改革などが必要不可欠でしょう。

ohno1108born
質問者

補足

positive_fair様がご指摘される〔原発存続の是非を問うことって、「電気の存在に支えられる命を切り捨てるか、将来の発症しうる癌やその他の病気に苦し見ながら死ぬ可能性におびえて暮らすか」の選択〕、これは少し大雑把な二者択一かと思われます。けれども、今回の原発事故により、これからの選択肢をわかりやすく明示する必要性が格段に高まったのは間違いないでしょう。

  • sync-mag
  • ベストアンサー率57% (98/171)
回答No.4

 坂本龍一さんの「たかが電気」発言はネット上で批判を浴びているようですが、ご指摘の点は百も承知であえて究極の選択として提示したのだと聞こえました。「電気が大事、命も大事」、それはみなわかっていることですが、それでも最終的にどちらかを選ばなければならないのなら迷う余地はないでしょう、と言っているわけです。  命を脅かすことなく電気を使う方法を考えなければならない。これはみな賛成できるでしょう。意見が分かれるのはその方法と現状の認識であって、どちらかを選ばなければならない状況はだれも望まないと信じます。  もっとも、坂本さんの言葉はかなり刺激的なのはまちがいありませんので、これに拒否感を示すのは理解できます。  >完全な開発中止は“日本が〔技術立国〕を放棄する”ことを内外に表明する結果となってしまいます。欧米諸国は落胆し、西方の隣国は狂喜し、優秀な日本人技術者たちは意気消沈して海外に能力活用の場を求めるのではないでしょうか  →これは現状に対する誤認があるように思います。  まず、いまだ確立されていない廃炉の技術や核廃棄物の処理問題、現行の原子炉に対する安全対策などの必要性から、稼働反対派の中でも「完全な技術開発の中止」を求めている人はいないのではないでしょうか。  少なくとも、わたしは知りません。別にケンカを売っているわけではなく、ほんとうに知らないのでご存じでしたら教えていただけますでしょうか。  稼働反対派には原発について、いまだ確立されていないにもかかわらず過去の技術になりつつある、と考える人が多いです。ほんとうに過去の技術なのか、わたしには技術的な側面が理解しきれないので即断は避けます。  ただ、世界の趨勢としては、いまだ原発技術に依存しながらも再生可能エネルギーの将来性をもっと現実的にとらえているように見受けられます。  たとえば、再生可能エネルギーの主力である風力発電に関して、中国の施設容量はすでに世界一であり、日本のおよそ18倍に達しています。従来中国では水力と風力、太陽熱には熱心でしたが太陽光にはさほど力を入れていませんでした。にもかかわらず、この太陽光でも日本は抜かれてしまいました。  たしかに中国は原発を推進していますが、同時にちゃんと次の時代も見すえているわけです。ですから、むしろ日本が再生可能エネルギーに後ろ向きになってくれることは「ありがたい」とさえ思い、「喝采」を叫ぶでしょう。  むろん、こぞって「欧米諸国が落胆」することもありません。落胆する人たちがいるのはまちがいありませんが。  とはいえ、わたし自身は再生可能エネルギーがただちに発電の主力になる、などと考えているわけではありません。おそらくこれを推進しようと訴えている人でも、ここまで主張する人はまずいないと思います。  なにしろそのためには電力の自由化を皮切りに、発送電の分離および送電網の拡充とスマート化、買い取り制度の制定と普及、そして当然のごとく技術革新とそのための資本投下が必要であり、その手間を考えれば一朝一夕で実現するものではありません。  その意味では、質問者様のいわれるとおりまさしく「国家改変の契機」でしょう。  稼働反対派といっても一様ではなく、現状の安全対策では認められないという人もいれば、原発の廃止(といってもかなり長期にわたって廃炉作業が必要になりますが)を求める人もいます。また、再生可能エネルギーの将来性に対する評価でも意見が分かれているようです。ただ一致しているのは、節電の必要性とその技術開発に対する期待、そしてこれまで原子力政策を担ってきた人たちに対する不信であるように思われます。  わたし自身は原発の即時停止を求める立場ではありませんが、いっぽうでこれまで原発を推進してきた人たちが目指す「改変」は結局「今までどおり」でしかないのではないかと感じています。要するに、本気で「改変」する気なんかないんじゃないか、と疑っているのです。  賛成派も反対派も、もう少しお互いの主張に耳をかたむけて冷静に議論をして、これからどうするかを真剣に考えてほしいものです。ポジショントークにはもうあきました。  長文回答失礼しました。

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私の文章について、字句を惜しまず詳細な解説を加えていただきまして、本当にありがとうございました。

ohno1108born
質問者

補足

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++  >完全な開発中止は“日本が〔技術立国〕を放棄する”ことを内外に表明する結果となってしまいます。欧米諸国は落胆し、西方の隣国は狂喜し、優秀な日本人技術者たちは意気消沈して海外に能力活用の場を求めるのではないでしょうか  →これは現状に対する誤認があるように思います。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ご指摘の対象は“完全な開発中止”と記した辺りと想います。かなり強い表現を明確な定義なしに記してしまい、申し訳ありません。ここで言いたかったのは、〔“完全な開発中止”へとつながるかもしれない、または、見做されるかもしれない、社会的な状況の変化〕ということになろうかと思います。

  • kumap2010
  • ベストアンサー率27% (897/3218)
回答No.3

>日本近海に眠っている資源に対する開発着手について、国家レベルで検討に入るべきと考えます。 その通りですが、政府がアレでは何も期待できません。 原発ありきでの動きしかせず、資源の権利を主張し合ってる中国にも何も言えない政権ですから。

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、現政府には期待できません。阪神地区の方が開始した人材育成が早く実を結ぶよう、遠くから注視するばかりです。

  • matsu_kiyo
  • ベストアンサー率42% (683/1590)
回答No.2

ご質問、拝見しました。 所詮彼らの認識は「電気は空気のような存在で、作ってくれた人への理解も、愛情もまったくない」ということの表れだということです(ここで言う彼ら、とは、あの集会に参加した、知識人といわれる人々全体に言えることです。でも参加者の多くは動員であり、全員が彼らと同じベクトルをむいているとは考えにくいでしょう)。だから、「(電気が作られるのなら)原発でなくてもいいじゃないか」という趣旨の発言とも受け取れます。 人間を2者に分けるのはあんまり好ましくないとは考えていますが、この集会そのものが「赤っぽい」雰囲気に包まれ、そっち系の団体ののぼりが林立しているさまを見るにつけ、「左派政権で勢力を増した反体制派の逆襲」が始まったのかな、と思わざるを得ません。 その意味で質問者様が言われている「国家改変」は実際始まりつつあるかもしれません。すなわち、脱原発で火力への依存度を高めて電気料金を上げていき、結果的にじわりじわり疲弊させていき、最後は「日本自治区」にしてしまおうという策謀ではないか、ということです。 勿論これは最悪のシナリオ。いい意味のシナリオとしては、自前のエネルギー開発を進めて、エネルギー自給率を高め、原油や天然ガスを買わなくても済むようなことにでもなれば、国力はたちどころに復活します。そう。良くも悪くも、エネルギーが今後の日本の行く末を決めてしまうように思います。 浅はかな「左派」の物言いは、いらだたせるくらいしか効果はありません。アカデミー賞をもらったとか言う人でもひとたびトチ狂うとこんなことしかいえなくなるのは、本当に悲しいです。

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「赤っぽい」あるいは「左派」といわれる方々の目標は、〔(1) 先人が築き上げてきた秩序を根幹から破壊する / (2) 権力を獲得したならその権力を手放さないため最善の努力を惜しまない〕、この2点に尽きるでしょうね。獲得した権力で何をするか、これは大した問題でないらしいことに、多くの方が気づいてきただろうと思われます。 少なくとも「赤っぽい」あるいは「左派」へのしがらみがない方には、次回の正しい選択を期待したいものです。もっとも、別の選択肢が提供されないことには仕方がありませんが......。

ohno1108born
質問者

補足

よくよく気を静めて考えれば、〔自分がやりたいことの実行を最優先に考え、他のことを意識の中に置かないようにする〕といった性向の持ち主が、アーティストの道を選ぶわけです。あまり腹を立てることもなかったかもしれません.....。

noname#243800
noname#243800
回答No.1

何千万の人命と国の未来に比べれば「たかが電気」は間違っていないと思います。 といいますか、電気のおかげで今がある人がいうな、というのは理屈としておかしい。そうしたら、国民全てそうなんだから誰も何も言えませんものね。今ある国民の暮らしのために、将来的に落ちるかもしれないものすごく危ない橋を渡っていても文句を言うなってことですから。 今までが自分さえ良ければ理論で、楽をしすぎたんでしょう。しわ寄せがきてしかるべきです。 でも、ここまで諸外国との状況も含めて、原子力とずぶずぶになって抜け出せないのは、おっしゃるとおり事実ではないでしょうか。 抜き差しならない状況のときは、日本人は黙って嵐が過ぎるのを待つタイプの国民です。 こればかりはどうしたらいいでしょうね。 原子力鈍化も当面は良いと思いますが、多分禊終わったら人知れずにリスキーな開発が進むでしょう。 無責任だとおっしゃるかもしれませんが、自然エネルギーも、優秀な日本人技術者たちが力を入れれば案外いけるかもしれませんよ。

ohno1108born
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 原発事故の発生前まで、電源開発は〔原子力発電所の新規設置〕にほぼ等しいものでした。が、原発事故の発生後は、〔原子力発電のチェック〕/〔自然エネルギー発電の本格検討〕などを議題にしやすい状況となっています。これは、たいへん望ましいことと思われます。 むしろ問題は、“何千万の人命と国の未来”について、誰がどんな基準で判断して舵を切るのか、これをいつまでも明確化できない点にあるんでしょうね。

ohno1108born
質問者

補足

努めて冷静な意見を述べたつもりですが、やはり文面の端々に感情が見え隠れしているんですね。私は電気関係の技術開発に関するNHK番組を見て育ち、自分もあんな技術開発に関わりたいと思って電気分野の進路を選んだ人間です。だから、電気のため命を削っている人々に聞こえるところで「たかが電気」と言われれば、どうしても腹が立ってしまうんですよ。

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