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集団が苦手な私が再び世の中に出ていくための心構え
- 集団が苦手な私が再び世の中に出ていくためには、まずは自分の過去の経験を整理することが重要です。
- 集団との関わりが苦手な理由を考え、自分自身を理解することで、他人との接し方についても答えが見えてくるでしょう。
- また、集団への不安や恐怖を克服するためには、少しずつ慣れることが必要です。自分に合ったペースで集団との関わりを増やしていくことで、自信をつけることができます。
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質問者が選んだベストアンサー
幼少期からの孤立癖を改善するのは 極めて難しいことですので、 猜疑心、被害妄想、被害者意識、 人間不信などが起きないように、 と言うか、起きるのを避けるために、 自宅で可能な学術的な お仕事を開発しませんか。 学術=学問と芸術。 〈ふろく〉 【類は友を呼ぶ】ということで、 過去、質問者さまが属した組織の 面接担当者は、質問者さまに、 自分たちと同じ【類】性を感じて、 採用に踏み切ったとおもわれますので、 これからは、 質問者さまが望まない 人たちとの出会いがないような【類】を 醸成しませんか。 〈ふろく 2〉 被害者意識は誰もシアワセにしませんので、 そうした環境を改善することにエネルギーを 集中しませんか。 日本では、ネガティヴ-クリティシズムが 主流ですので、その上司さんには、 質問者さまが、サーバントリーダーシップを 提案してあげるとよかったのではないでしょうか。 いまからでも遅くはありませんので、再訪して、 トップマネージメントの人に、提言してみませんか。 ネガティヴ-クリティシズムの環境で育った人は、 そうした方法でしか、人と接することができないというか、 前例や連鎖の方法になってしまいがちなのです。なので、 その上司さんも境遇の被害者なのかもしれませんよ。 イジメられている人のみならず、イジメている人の 心情や心理の深層に下りてみると違った世界が 見えて参ります。同様に、 質問者さまが孤立するようになった 原因を広く深く鋭く探ってみれば、改善方法が 明確になるでしょう。 決め付けないで、 もっと瞠目して、 世界を眺めてみませんか。
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「清濁あわせ飲む」という言葉があります。 人は皆、良い部分と悪い部分を持っています。人間である以上それが普通です。 あなた自身も完璧ではないはずです。 人の悪い部分だけをことさらカウントしても意味はありません。 他人は変えられませんから捉え方を変えていくしかありません。
お礼
ありがとう存じます。 「人の振り見て 我が振り直せ」というように、 ひとの欠点が無ければ、自分の悪いところも学べないし、 そこも感謝に値することですよね。 また、人の良い所を褒めるというのは、 脳の中では、自分を褒めていることと同じだそうなので、 より褒め上手になりたいと思います。
- -sofia-
- ベストアンサー率28% (39/139)
その気持ちわかるなぁ。 私も集団が嫌い…というか、人が嫌いなんです。 まぁまるきり人が嫌いなんて言ったらウソですが、どこか距離をおいてる自分がいるんですよね。 それは昔のトラウマとか、「人と接してもいいことなんてない」という思いがあるからなんです。 だから自然に人を避けてしまうんですね。 私も考えても仕方ないこととわかりながらも、なぜ集団では人を攻撃したり陰口を言うのだろう…と考えてしまいます。 でもそれって、集団というより人間そのものなんでしょうね。 もちろん集団だからこそ心強いという心理もあるのでしょうが、人間は誰しも心の中であれこれ思う生き物です。 そのひとりひとりの人間が集団になったことで、人間の性質が浮き彫りになるのでしょうね。 他人のことなんて気にする必要もないのに、本当にバカバカしい。 でも私もあなたも、ある点ではその集団と同じようなことをしてるのかもしれません。 それは、干渉です。 集団が陰口を言って干渉するならば、私もあなたもどこかで干渉しています。 そんなつまらない人間なんか気にすることないのに、いつの間にかその集団に干渉して疲れてしまってるのです。 精神病に関しては、受け入れられなくて当然ですよ。 あなたもなりたくてなったのではないし、受け入れることが良いことでもないですからね。 集団に関しても、受け入れる必要は全くないと思いますよ。 確かに考えても仕方ないことかもしれませんが、攻撃をする集団を見たら誰だって悩んだり考えたりするものです。 先ほど私はそれを干渉と言いましたが、やはりそういった干渉はしないほうが自分のため。 でも、干渉をして苦しんでしまうのも人間だと思います。 人間とはなんて都合の悪い生き物なんでしょうね。 悩みや思考がなければ、生きづらくもないのに。 でも、その悩みや思考がなければ楽しむことすらできない。 やはり不都合な生き物ですよね。 話は逸れましたが、心構えについて。 一番手っ取り早いのは、やはり気にしないことです。 でもそれが一番難しくて、理解に苦しむことですよね。 私も色々なことを気にしてしまい、疲れることが多々あります。 けれどそういう時は、こういう性格なんだから仕方ないと言い聞かせます。 要は、思考の転換というのでしょうか。 それを意識的に行っていくうちに、苦しんでる時より気持ちが楽になります。
お礼
ご回答、ありがとう存じました。 そうですね。 気にしないのが一番ですね。 わたしが、ひとりで居ることを悪く言う人がいることは、 考え方が色いろあるのだから、ある程度仕方がないと思うし、 長い経験の中では、とるに足らないことでしたので、 放っておくことが出来ました。 多くの人は、小さな集団の中で役割を持っているけれど、 わたしは、それを包む大きな集団の中で役割があって、 それは、 「小さな集団で困ったことがあった人の受け皿になること」だと 思って過ごしていました。 その為にわたしは、これまで人に学んできたし、 そこに気づいた時から、人とのコミュニケーションについても、 独学で勉強するようにもなりました。 そして、 わたしは、輪の外でドアを半開きに開いていると、 どうしても、吐露しに来る人々がいます。 わたしは、そこで「干渉」し消耗してしまうのだと思います。 そこで、わたしがやって来た人に誠実になりながら、 話が終われば、もう気にしないというような技があれば 良いのでしょうけれど。 離職すると、 すっかりその気苦労が疎ましく思えるようになったのだと 思います。 家に居れば、多少の気遣いはしますが、 創作を存分に出来るのだとしたら、 何も文句はないですし、むしろ感謝に値する環境です。 それを知ると、 最後に見てしまった「課内のいじめ」の光景と今とを 比較してしまうのだと思います。 そして、その格差に怖気づいてしまうのでした。 両親は、家にいて構わないと言ってくれるけれど。 バイトくらいした方が、幾らか経済的に余裕が生まれるので、 気持ちの整理がついたら、検討してみようと、 今回質問させて頂きました。 こうして、自分の考えをお話して、 少し「出来ていた自分」を思い出せています。 深謝です。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
「構えない」心。 それが貴方に必要な部分なんじゃない? 貴方が詩を書いている時って、 自分自身をニュートラルにして、 丁寧に「今」に、そして心の声に向き合っているでしょ? コミュニケーションもそうなんだよ。 丁寧さが最初の一歩。 色々な事を最初から持ち込み過ぎても何も出ない。 それって実は丁寧では「無い」スタンスなんだよね? 自分に対して誠実であって、 相手に対しては不誠実なんだよ。 今の、目の前の相手を感じていく事が大事なのに。 向き合う「前」から色々な先入観とか、 自分の歴史云々を持ち出してしまう。 そして相手と自分との間に高い心の壁を聳え立たせて、 その壁越しでちょこちょこと相手を見知ろうとしてしまう。 当然相手から見ても貴方って遠いよ。 勿論貴方から見た相手も遠い。 壁越しだからこそ、 気になる部分が何倍も大きく見えてしまうし、 壁越しでは相手の良さや多面なんて見えないから。 集団だって一人一人の集まりなんだよ。 集団として形成される個性のようなものもあるけれど、 基本は一人一人なんだよ。 貴方は今まで孤立しやすい自分を許してきた。 癖というよりは、 そういう自分を「選んで」きている貴方。 これからは、 一人で孤立、という自分から。 目の前の一人一人に対して丁寧に向き合う自分、を目指していく。 集団という鬱蒼とした言葉に囚われない。 最初から構えて入っていかない。 一人一人「違う」んだよ。 違いがあるのに、 貴方は集団という複数になると捉え方が「お決まり」になるんだよね? そして避けよう避けようとする心理が働く。 その思考の流れは「癖」かもしれない。 でも、 一人一人心が違えば、人間も違うんだから。 詩歌を好む貴方なら、 貴方は誰よりも「違い」を理解出来る貴方として、 改めて丁寧にコミュニケーションしていったら? 貴方なりに一人一人を理解していく中で、 その理解ある人間関係の広がりの中で生まれる集団なら。 今までの貴方の感覚とは違う筈だよ? いきなり集団、という意識は要らないんだと思う。 不器用な自分をどんどん背伸びさせる前に、 まず目の前の一人一人に対して丁寧に向き合っていく事。 貴方の経験が構えた心を創ってしまうのはよく分かる。 でも、 過去は過去なんだよ。 今は今なんだよ。 貴方と向き合っただけで、 貴方が過去にどのような歴史を経て、 集団が苦手云々を背負った人なのかどうか? 誰もそこまでわからない。 別に知らなくてもいいと思っている。 大切なのは「今」だから。 貴方が多少苦手意識があったとしても別に構わない。 ただ、 「だから」目の前の相手に丁寧に向き合えません。 「だから」私は集団に馴染めないし、馴染みません。 それって単なる言い訳になってしまうんだからね? 色々あったからこそ、 貴方のリスタートはシンプルな足元から始めていかないと。 今までを重たく重たく背負った貴方では無くて、 今に対して、今の目の前の相手に対して丁寧に向き合える貴方。 不安だからこそ丁寧になれるんだよ。 深呼吸を忘れずにね☆
お礼
ありがとう存じます。 補足も含めて、 もう少しお話させて下さい。 わたしは、社会を離れて、 ステレオタイプが大きくなっているように思います。 会社勤めをしていた時は、 一人一人に良いところがあることも、 忘れていなかったと思います。 寧ろ、一対一の関係は好きで、 今でも、友達は色んな所にバラバラにいます。 お返事を拝読して、 突然、「一緒にお昼を食べよう」と言われても、 にこやかに一緒に頂いていた自分を思い出すことが出来ました。 今でも、旅の列車に隣り合った人と、束の間ですが、仲良くなったりします。 そして、 出来るだけ昔のことは、 向き合っている人には言わないようにしてもいます。 ただ、 折々で沸き上がって来るのでした。 そして、 子供の頃の自分が、 もう独りにして欲しいと言うのです。 わたしは、彼女に何て言ってあげれば良いか分からなくて、 結局、彼女と独りになることにしました。 今も、何と言ってあげれば良いかわかりません。 目の前に居て、 人を悪く言っている方に、 相手の良いところを教えて差し上げても(目の前の方も誉めた上で)、 なかなかそれを認めて頂けなかったり、 自分は染まらずに、 他の人々にも、 良い気分になってもらおうと、 わたしなりに努力したけれど、 うまく行かなくて、 そんな時に、 異動した課で苛めがあって、 まるで昔の自分が舞い戻って来てしまったようで、 見るに堪えなくて、 何度も過呼吸になり、 仕事を休んでしまい、 辞めなければならなくなりました。 今のわたしと社会は、 その時で止まった関係なのだと思います。 うまくお話出来ている自信がありませんが、 長くなったので、 ひとまずここまでで、何かあればお願いします。
お礼
ご意見、ありがとう存じます。 今、医師からは、 このまま許される限り、家にいて絵を描くように言われています。 そして、結婚して家庭に入り創作を続けるのが 理想的だとも言われます。 ところで、サーバントリーダーシップについて、 既に離職して3年が経っておりますので、 同じ会社に復帰することは無理ですが、 いつも前の企業び在籍していて思っていたのは、 ひとりで販促を必要に応じて作って、 レイアウトのアドバイスをしていたかったです。 わたしは、 何をいくつ売るかということよりも、 何をどうみせて、どう喜んでもらうかの方が、 考えが及ぶ人間ですし、 その面では、多くの気付きを抱えつつ生かしきれていなかったからです。 ただ、そのような提案をして良いものか分からず、 自分の苦手な仕事を分担していました。 サーバントリーダーとして認めてもらうには、 専門知識と高度なコミュニケーション技術が 必要な気がしますが、 具体的に何を身につければ良いと思われますか? obrigadissimo様へ 申し訳ありません。 サーバントリーダーシップについて、 『その上司さんには、 質問者さまが、サーバントリーダーシップを 提案してあげるとよかったのではないでしょうか。』 という部分で取り間違えて、お礼を書いてしまいました。 obrigadissimo様の回答へ補足を書いたため、 他に追加する場所がありませんでしたので、 こちらにお詫びを書かせて頂きます。 以後気をつけますので、 またの機会に気が向かれましたら、 お願い致します。 陳謝。
補足
追記、 わたしが孤立してしまった原因は、 ・生まれつきの極度な人見知り ・幼いゆえの根拠のない優越感 ・完璧主義 ・思いつくまま、授業では発表していて、 臆することがなかった為、他の子の出番がなかった。 などが浮かびます。 いじめっこの心情の推測 ・80年代バブル期に重なり、 社会全体が物質主義であった影響。 ・好景気により、ご両親のお仕事が忙しく、 ストレスが子供たちに影響していた。 ・学歴主義が最高潮にあった頃、 子供たちは、常に優劣をつけられて、はけ口が少なかった。 ・嫌い嫌いも好きのうち などと、個人的に空想しています。