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いじめた側にも人権…「自殺練習」真偽確認せず
- 市教委によると、生徒16人が「自殺の練習」について回答していたが、事実確認はされず非公表になった。
- 市教委は「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要」として、「自殺の練習」について聞き取りを行わなかったと説明している。
- しかし、16人が目撃していることから、自殺の練習は存在する可能性が高いと考えられる。調査結果の非公表には疑問が残る。
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> これはやはり「調査したが、いじめはなかった」ことにしたい大人の打算的配慮でしょうか? 99%それです。 正確には、大人の打算と言うよりは、他の回答者さんも指摘されています通り、具体的には裁判を想定した上での常套的な流れです。 裁判を想定すれば、被告(=行政,学校)側が精緻な調査を行えば行うほど、原告(=被害者遺族)側に有利な証拠を、被告側が作成・提示することになる様な場合、被告側としては、調査を打ち切るのが当然の流れと言うことになります。 違う視点で言いますと、いきなり裁判などすれば、相互に弁護士費用,係争費用などが無駄になりますので、裁判の前に、当事者レベルでの和解(示談)交渉が行われますが、和解交渉の時点で、両者に合意が得られていれば、裁判になどなりません。 そこで決裂したから裁判になるわけですが、決裂した時点で、裁判を想定し、当然ながら被告側としては、原告側が有利にならない様な動きに切り替わります。 またそもそも原告側が勝訴するための立証責任は、原告側にあります。 こと裁判と言う観点においては、一般的な善悪の感覚で「学校側が悪い」と言うのは、気の毒な気もします。 更に言いますと、行政と言う立場上からは2面性があって、自ら調査を行う義務もありますが、その一方では、そもそも「行政に間違いはあってはいけない」と言う前提もあり、行政の自主的な調査には限界もあります。 学校,行政側は、非常に「不誠実」な対応ではありますが、裁判は「正義」を争うのでは無く、「事実」を争う場なので、こういう争いを見る国民は、非常に不愉快ながら、裁判と言うものは、こういう流れになるのも、仕方が無い部分は多いです。 最終的には、裁判の中で、原告側がアンケートの結果の提出を求め、裁判官が被告にそれを命じるか?と言うことになるかと思います。 ただ、それもあくまで被告側が所有・管理しているものなので、うがった見方をすれば、改ざんとかの可能性もありますし、「紛失した」などと言い出す可能性もあります。 そこまで不愉快な事態にならぬことを、祈るばかりです。
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- mibuna
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滋賀県はね・・・人権教育が盛んなんですよ。 関西では京都や大阪の某えせ部落団体が超有名ですが滋賀県はもっとブラックなんですよ。 滋賀県のハローワークに登録されている求人情報を見ると判るのですが 同和問題窓口って言うのがある程度の企業規模だと必ずあるんですよね・・・。 (これ以上書くと削除かな) えせ部落廃絶希望!(なんで部落活動に朝鮮人が混じってるねん)
- miraidehikari
- ベストアンサー率35% (140/394)
私がこの手のニュースを聞いていて腹が立つのは、自分たちの不手際を「人権」を言い訳にしているところです。いじめを疑っているのかと不信感を抱かれるかもしれないと思った??はぁ?ただ、逃げていただけじゃないか、と思うのです。 犯罪者であっても人権はありますし、少年となれば余計配慮が必要なのは当然です。 しかし、死んでしまった少年はもう戻らないのです。先生や、教育委員会の人たちにとっては大勢の生徒の一人でも、親にとっては世界でただ一人の大切なわが子。まさかこんな形で失うなど思いもしなかったでしょう。 同じ子をもつ親として、胸が締め付けられる思いです。 いじめた少年たちが悪い、だから厳罰にすべきだ、と加害少年個人の問題に収束させてしまうと、問題の本質を見誤ることになりかねないと思うので、冷静になるべきだと思います。 加害者の子どもたちがなぜそんなことをしてしまったのか、そして教育現場はなぜそれを止められなかったのか、被害少年のことになぜ気づいてあげられなかったのか、すべてを明らかにすることが大切だと思います。 そうでないと被害少年のご両親は救われないし、同じ事件は続いてしまうと思います。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
ちと、本題から外れますが、雑感吐露です。 学校がそう言わざるを得なくなったのは、管理責任は親も同等なのに、学校にも責任と、金銭的補償を求めるから、大人の理屈で認められなくなったのだと思われます。 まずは、子どもにいちばん物理的時間接していなければならないのは、親です。子どもをイジメをしないように育てなければならない。少々衝突があっても、持ちこたえられるような強い子、自分の意見を言える子に育てなければならない。子どものお金の管理が親として出来ていなければならない。それは、両親とも仕事をしていても、それは両親の人生設計上のひずみであり、自己責任です。 とはいえ教育現場でも、同等に子どもを見ていなければならないのは免れません。ですが、本来迷惑を掛けられたハズの学校があれほど、そちらだけに責任があるかのように叩かれるのは、理不尽さを感じずにはいられないでしょう。これをなくすには、もう学校には行かず、家で衛星放送授業でもするのでしょうか。イジメは子どもたちだけしかしないのではなく、大人もしているではありませんか。 連日の報道でも、「いじめはいけないでしょう!!」と有名キャスターがおっしゃいます。ですが、あの人たちの職場では、ヒトの軋轢は全くないのでしょうか。いじめは大人でもなかなかなくせないモノであることは周知の事実です。なのに、教育現場では、少子化故、部署の掛け持ちが普通で、一日に1回以上は会議がある。当然子どもにフランクに接する時間が皆無に等しく、また話す単語も同じモノをしゃべることを新人の先生は強要されます。これでは先生も育ちません。同じ言葉で言わないと、モンスターにやられるぞなんてモノがあると聞くからです。 これらの問題(なぜ学校は悪かったと言ってくれないのか)は、作用がなければ反作用は起きません。親の責任を棚上げにして、まるで育てのミスが一点の曇りもないかのように、被害者であることを盾にしての報道は疑問を感じます。そこに至るのでの、何かが必ずあり、周りの大人が学校以外でも誰も働きかけず、荒んだ地域であるのではないのかと、うがった見方をしてしまいます。 報道で言う生徒たちは、学校だけを恨んでいるのではないと思います。地域の大人皆、信じていないから、全国に「自分の学校=地域」が異常だとさらけ出すのだと思います。
- pusai
- ベストアンサー率38% (451/1161)
> 普通に考えれば16人が見聞きしているわけですから、自殺の練習をさせられていたのは間違いないと思います。 『見聞き』したという事実も確認できていないので、「間違いない」とは断定できないと思いますよ そもそもこの16人も「噂で聞いた」とか「誰かが言っていた」とかというだけで、直接当人が見聞きした人はいなかったとテレビでは報道されていました。 現状分かっている範囲では、「自殺練習」は当事者不在のある種『都市伝説』や『学校の怪談』的な伝聞でしかないような話しです。 > あるいは、これはやはり「調査したが、いじめはなかった」ことにしたい大人の打算的配慮でしょうか? むしろ「当事者不在で伝聞しかない、実態が見えない話をどこまで突き詰めるか」の問題ではないでしょうか?
- ykaori
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裁判を考えてのことじゃないですかね? いじめで自殺した子の遺族が裁判を起こして、学校や相手を訴えるということはよくあります。 自殺になれば賠償金はすごいと思いますよ。 交通事故で人殺した場合も何千万とかじゃないですか。 学校の場合、校長とかが払うわけじゃないし。 結局は行政ですよね。 加害者の方もそうですよ。 子どもに支払う能力がなくても親にかかってきます。 遺書に個人名での恨みや、被害などを書いていたらアウトですね。 いじめっていう犯罪はないですが、暴行、恐喝、人権侵害などなど「いじめ」に含まれる犯罪要素は満載なので、そこをうやむやにするって犯罪を見逃すってことですよね。 これは国民が黙っていないという姿勢を見せることも必要です。 市や文科省になにやってんだよ!!!という意思表示を出すことで、きちんとせざる得ない状況に持っていくという。 尾木ママこと尾木直樹先生が立ち上がってこの問題を取り上げています。