以前から感じていたことですが、♯1と6の方は慶応がどうのこうの東大ではどうのこうのといった閉鎖社会に生きて暮らしているようですので、このような屁理屈を並べ立てています。
実際の入試会場にパソコンやタブレット端末を持ち込む事ができますか、許容されていますか?
年寄りがどうのこうのと苦しい言い訳をみせていますが、現在の私は50代。学部は一橋経済、学士編入で中央の文学部日本史学科、都立大学の院で歴史学を専攻し修士および博士を修了しました。慶応や東大でしか学んだことのない貴方様からみれば低レベルですが、中央でなければ師事できない専門の教授がいたからこその選択です。名前だけで選ぶならば専門的に学問する意味はありません。
生計を立てる仕事は学部卒業と共に就職した企業でシステムの設計と構築そして社員教育およびCSR・コンプライアンス推進室の仕事に従事しております。
こうした一方で、世話になった学問への恩返しとして特任教授の任にあたってもいます。なぜこの様な個人のプライバシーに関する事項を話したかと申しますと、近年にみられる「何のためにこれがあるのか、こうした仕事をするのか」との根本への問いかけが殊に日本では軽視されていることに危機感を感じることに起因します。仕事がら海外のシステム設計者や文献に接する機会も多く、彼らに共通する部分として「仕事と社会の関わり」が必ずある。この点が日本とは根本的に異なる。もっと端的に記すなら、人間のためのシステムかそれともシステムのためのシステムかとの問題の組み立て方が異なる。
ブラインドタッチに習熟することは文字をキチンと書くことが出来ることとは意味が違う。クライアントや学会の関係者に文書を記す時、PCで作成した文書だけを送ることとそこに何か一言を直筆で書き添えるのでは相手に対しての礼儀や配慮といった点でも異なる。
私にだって東大や慶応にも友人知人はいますよ。けれども貴方のようにそれを鼻に掛ける様な人物は一人としていない。
話は質問者様の本題に戻りますが、質問者様はペーパー試験の記述でお困りですのでこうした場に質問を投じられているのであって、そこにはプラインドタッチの必要性など一言も求めてはいないのです。質問趣旨を理解できていない答案は当然の事ながら合格答案になりません。その程度のこともお判りにならないのでしょうか?
※質問者様ならびに他のご回答者(1および6の回答者を除く)の皆様には多大なご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。
お礼
確かに、テスト中にも文字を書き直していることがあります;; 遠視ではないので、やっぱり文字の形に気合いを入れ過ぎてるのかもしれませんね(`・ω・´) 普段から素早く書くように心がけてみようと思います ありがとうございました!