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言葉のキャッチボール
私は友達とよく話をするのですが、自分だけ喋りっ放しでいわゆる会話のキャッチボールがうまく出来ません。 また、同じ話題を何度か繰り返す傾向があるように思えます。 そういう自分が嫌で治そうとは思うのですが、沈黙が怖くなかなか上手くいきません。 一時期、障害と疑いましたがそういうこともないみたいです。 ある程度落ち着いて会話が出来て、人の話を聞ける私になりたいのでアドバイスやオススメの訓練法があれば是非、お願いします。
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簡単です。既に知っている、今感じている「自分の世界」を語るのを控えて、まだ知らない、感じの分からない「相手の世界」の話を会話のテーマにするようにするようにします。知らなかったり、分からないことをどう話したらいいのか?とお思いかもしれませんが、だからこそ、「たずねる」という話し方を展開できるのです。知らなければ知らないほど、分からねば分からないほど「たずねる」ことができるのです。たずねられた相手は、その質問に「答える」。続いて自分はそれに「うなずく」、さらに「たずねる」・・・このような営みこそが“キャッチボール”の会話です。あくまでも、「相手の世界」にフォーカスし続けます。相手は何を聞いて欲しいのか?を勘ぐりながら続けます。もちろん、相手の答え方や、話すネタの種類によっては、会話がすぐ途切れるかもしれません。相手はちょっと言ってみただけで、それほど話を続けたいわけでもないのかもしれません。もし続かなかったときや、話が噛み合わなかったときは、それでよしとします。自分と相手の「間」やタイミングなどの問題もあるので、自分だけのせいだと責めたりは決してしないようにします。その代わりに、「この返しがイマイチだったかな?じゃぁ、次はどう返してみようか?」と結果を反省し、前向きに改善しようとします。もしも、2往復のキャッチボールができたら、その2往復を評価しましょう。自分と相手がともに生きていて、2人が触れ合うことができたのだから、そのささやかな会話が成り立ったのです。そのことを喜びましょう。「一期一会」のふれあいに感謝します。会話のきっかけは自分の話でもよいのですが、相手がそのテーマに関連した自分の話を始めたら、そちらにシフトするようにします。もしもその逆をしていたら改めるようにします。つまり、相手が振ってきた相手自身の話をきっかけに、関連のある自分の話を連想し、返す刀とばかりに自分の話に転換してしまうことです。もしも自分の話をしたくなっても、目の前のエサを我慢して待つ犬のように「待て」を自分でかけないといけません。振られた相手の話をじっくりと聞いてあげてこそ、そのあとで自分の話を聞いてもらえる権利も得られるというものです。こうして考えてみると、あまり「簡単」じゃありませんでしたね?習慣の問題が多々あります。満足のいく習慣を身につけるため、少しずつ進歩していくことを目的とした「トレーニング」だと思って、ぜひぜひトライしてみてください。ポイントは「相手の世界にフォーカスした話をする」「相手に何があったか(経験)、相手は何を知っているか(知識)、相手はどう感じたか(感覚)という、“自分の知らないこと”を聞きだしていく」「自分の世界のことを話したくなっても、しっかり『待て』をする」「うまくいかなくても自分を責めずに、代わりに改善しようとする」。それでは、頑張ってくださいね!
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- blazin
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会話って「相手」とするものだよ? キャッチボールという捉え方で言うなら、 受け止める相手を意識して「投げる」必要があるんだよね? 貴方の場合は、 相手が受け止めているかどうかに関係なく「投げて」しまう。 後はそちらで取ってね、と。 キャッチボールなら、 自分のボール(言葉)が相手にどのように届いているのか? それを確認しながら投げていく事が大事になる。 キャッチボールだって、 相手が受け止めたかどうかも分からないのに 次を投げても成立しないじゃない? 最初から全力投球は無いんだよ。 そして、 相手とのやり取りの中でペースが出来上がっていく。 貴方一人が勝手にペースを上げたり、早めても。 相手が付いてきていなければキャッチにならないじゃない? ただのコーチのノックになってしまう。 取れる取れないに関係なくただ投げるだけ。 それって面白くも何ともないよ。 訓練の為にコミュニケーションがある訳じゃないから。 お互いに「気持ち良く」やり取りしていけるのがキャッチボールでしょ? 最初は少しずつ、 お互いに肩慣らしでゆっくりとボールを投げる所から始まる。 それが段々お互いに肩が温まって来ると、 スピードも出てきたり、変化球も投げたくなったり、 より正確に相手の胸元をめがけてみたり、 相手のフォームを観察しながら丁寧に受け止めてみたり。 リズム良くやり取りをする状態を楽しんだり、 距離を狭めたり、遠ざけたりしてみたり。 バリエーションは様々なんだよね? でも、 それが「成り立つ」のは相手があるからなんだよ。 貴方が一方的に喋りっぱなしになれるのも、 沈黙を怖がって話し続けられるのも。 中心が「自分」にあるからなんだよ。 だから貴方一人で色々と引き受け過ぎてしまうんじゃない? 沈黙だって貴方「一人」のせいじゃないんだよ。 沈黙がそのまま悪でも無いんだよ。 ずっと喋りっぱなしでは疲れてしまうじゃない? どちらかが喋るだけ、聞き続けるだけでも偏ってしまうじゃない? お互いに呼吸を整える為の活きた沈黙だってあるし、 友達だからこそ無理をせずに成り立つ優しい沈黙もあるんだよね? 貴方はコミュニケーションを楽しんでいる? 貴方が楽しいなと感じるコミュニケーションってどういう形? 相手が伴っていない状態で、 ただ自分が言いたい事を、 全て言い切ってしまう事が「楽しい」コミュニケーションなら。 実は相手って必要無くなってしまうんだよね? 相手がどういう風に聞いているかどうかに関係「無く」、 僕は自分「が」話す事が好きなんですと。 貴方はそういう人? 本当に楽しいコミュニケーションって、 自分の話に相手が心地良く「付いてきている」状態でしょ? 伝わっているのを感じながら話せる状態でしょ? そう考えたら、 自分だけが話し続けてしまうという状態が不自然な事が分かるんじゃない? お互いに「違う」んだよ。 相手は沈黙があっても良いと思っているかもしれない。 そんなに被せて話し続けられても疲れちゃうよ、と。 もっと呼吸を整えて、 ゆっくりと話して欲しいと思っているかもしれない。 常に貴方に会話の主導権を取ってもらって、 貴方にその場をまとめて貰いたいなんて誰も思っていないよ? 貴方「一人」背負う問題では無いんだよ。 相手「と」創り上げていくのがコミュニケーションであり、 キャッチボールなんだから。 そして、 コミュニケーションは「義務」じゃないんだよ。 話さなければ「いけない」もので無いんだよ。 その当たり前の事実をもっと丁寧に受け止めないと。 訓練とか、 固く固く捉えてしまうと。 コミュニケーションの為のコミュニケーションになって。 「形」ばかりを意識した貴方が生まれてしまって、 大事な「気持ち」が付いてこなくなってしまう。 相手に自分を伝え「たい」、届け「たい」。 その裏側には、 相手の言葉や思いを丁寧に感じ「たい」、受け止め「たい」。 それがセットになってやり取りになっていくんだよね? 頭であれこれ考え過ぎても空回りするよ? 「お互い」に心地良く会話が出来るように。 お互いに、という目線があれば。 貴方は自分「だけ」に偏る事は無くなるんだから。 もう少し柔らかい貴方を大切にね☆
お礼
厳しくも温かい意見をありがとうございました。 また、ベストアンサーにしたかったのですがそれができず申し訳ありません。 心構えとして非常に参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 この回答以来、実践しております。 まだまだぎこちないですが頑張っていきたいと思います。