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怒鳴るだけで褒めなかった80年代の母親の躾
- 80年代の母親の躾について、センセーショナルなタイトルを生成すると、怒鳴るだけで褒めなかった80年代の母親の躾について明らかになる
- 80年代の母親の躾は、テストの低い点数や校内暴力に対して怒鳴り散らすだけで褒めることはなかった
- 戦中生まれで厳しい環境で育った母親が80年代の子供を育てる中で、怒鳴るだけで褒めない躾が一般的だった
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例外のない法則はないという言葉が好きな私には、 《みんな》という言葉は1人のこらず全員 という意味であるとしたら、ひとり1人、 全員の裏をとる必要がありますので、使えない 言葉の1つなのですがまぁそれはともかく、 個人差はあるでしょうが……日本では、 ネガティヴ - クリティシズム式を それと知らず採用しているであるケースが 少なくないのですね。 余計なことになりますが、 職人の世界では、暴行=教育で、 日常的に暴行しながら教え込んだ 親方さんたちが少なくなかったのではないでしょうか。 企業の上司の教育的言動も、いまで言うと、 パワーハラスメントに該当してしまう言葉が 少なくなったかと思われます。 曽野綾子さんの『絶望からの出発』を初めて読んだ際、 彼女が進んだ学院の最初の授業が 脅迫から始まったと記されていて、あちらの世界も ネガティヴ - クリティシズム式であることを知りました。 なぜ、いろいろな分野で、 ネガティヴ - クリティシズム式っぽい方法が採用されたのか、 一方の謙譲の美徳との関係なども研究してみると、 いい研究になるのではないでしょうか。 更に、余計なことになりますが、私は、 《みんな》《筈》《心算=つもり》は、無責任な感じがするので、 使わないようにしています。N○Kさんを含めたメディアが多用している 〈~~とされる〉という言葉を目にしたり、 耳にした際には、キチンとした取材を積み重ねれば そうした無責任な言葉を採用しなくてもいいのに、 と思ってしまいます。 余計なことを書いて、 五月蠅くて、ごめんなさい。 Good Luck!
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- hekiyu
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たぶん、そうだと思います。 一般論ですが、指導する場合、 日本では短所を無くそうとするが、 欧米では長所を伸ばそうとする、 そういう傾向がある、という 話を聞いたことがあります。 テニスのヒギンズは、怒られたことが 無い、と言っていました。 その代わり、上手くいったときは もの凄く誉められた。 だから、練習が楽しかったという ことです。 お国柄の違いもあるでしょうが、私は 次のように考えています。 1,誉めて育てるというのは、天才には 向いているが、一般の人にはどうでしょう。 2,誉めて叱らない、というのは甘やかしに なりやすいです。 厳しく躾けられた子供は修正がきくが、 甘やかして育てられた子供は修正がきかない といいます。 3,誉めて叱らない、という育て方をすると 子供がひ弱に育たないでしょうか。 少し怒られると、極端に落ち込んだり、自殺 したり、反対にキレたりするように ならないでしょうか。
- kanakyu-
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こんにちは。 うちの両親は戦後生まれですけど、 やっぱり怒鳴られたり、批判されたりするばかりで、ほめてもらった覚えがありません。 「みんなそうだった」というのは、言い訳が入っているでしょう。 みんながみんなそうではなく、やっぱり家庭によると思います。 ただ、親世代が子供だった頃のしつけをするのは、 たとえ当時は「そうだった」としても、今おなじことをすると虐待になることもたくさんあります。 その当時は、「とにかく子供を飢えさせないで食わせること」が子育ての中心だったのでしょうね。 あと、今の子は、繊細な子がはるかに多いです。 昔と違い、生命力の多少弱い赤ちゃんも、医療でふつうに生きられる時代です。 わたしも兄も、当時の医療がなければ助からない赤ん坊でした。 昔は、丈夫な子供しか生き残れなかったのでしょう。 しぶとくて鈍くきかん気なタイプの子供は、ムチがないとしつけられないし、怒鳴られてもケロッとしているものですが、 繊細で優しいタイプの子は、ほめて育てないと、傷つくだけで終わってしまいます。 でも親世代はそれに気づかないまま、しぶとい子供と同じように扱っているのではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。