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スピリチュアルな方法。

心理的な問題で、いろいろと調べているんですが、 スピリチュアルな方法を調べているうちに、 スピリチュアルというのは、ホリスティックという言葉に代表されるように、 非常に包括的、全体的というか、 むしろ、体の問題で(例えばガンとか)、現代医療ではどうにもならないために、スピリチュアルの方法に救いを求める、という風に感じますが、どう思いますか? もともと、スピリチュアルと言う言葉は「魂」から来ているのはずなのですが、実際は 体の問題を治すことのため、になっている気がします。

みんなの回答

noname#189246
noname#189246
回答No.15

スピリチュアリストは境界性パーソナリティに詳しいのではありません。 あなたは境界性パーソナリティとチラと述べただけで、私は検索までしました。 でもよく分かりませんでした。 私はスピリチュアリズムについて、誠意をこめてたくさんのことを述べ、 あなたに考えのヒントを提供してきました。 それが、せめてもの霊的真理の実践だと思ったからです。 インドの問題と日本の問題を混同し、霊性を推し量ろうとするのは、霊的真理を理解しているとは言えません。マザーテレサは私より霊性は高いと思いますよ。そうだと言っているでしょう。じゃあ、あなたを放っておいてインドのスラムに行けばいいんですね。目の前で苦しむ人を放っておいて、遠くの苦しむ人のところへ、言語が分からず力の無い施しをしに行けばいいんですね。なぜ日本に生まれ、日本の言語を何十年も習得してきたか、という、江原先生の述べる「宿命」を棄てて、インドと比べろと言うのですね。 先生の著作を何冊も読んだ? 文字を追っただけではないですか。 あなたに誠意があるなら、あなたの抱える症状や、日常生活の問題点などをもっと詳しく述べるべきでしょう。 スピリチュアリストは精神科医じゃないのだから。 そこの判断もつかずに「なんですかこの答えは、だめじゃないですか」 あなたの本当の問題点がチラと見えてきたように思いますけど、いまいちはっきりしないので、何も言うことは出来ません。類推は傲慢の危険を呼ぶでしょう。 あなたを愛していましたけど、私程度の霊性では、さすがに腹が立ちますね。ご病気は精神科医にご相談を。さようなら。

cibone
質問者

補足

スピリチュアリズムについて、言及しろなどと言っていません。 スピリチュアルな方法、と言っています。 スピリチュアルな方法、というのは、例えばサイキックなどの特殊な能力で クライエントの心を読み、現在の悩みや苦しみの原因を的確に把握するとか、 また、リコネクションだとかシータヒーリングだとか、そういう現代医学ではまだ認められているとは言えないような方法論が有効であるか、といったことです。 あなたは、質問者ありきですか?あなたの持論ありきですか? スピリチュアルを語る人間が、超自己中心的なのには笑えます。 スピリチュアルは素晴らしくても、スピリチュアル信者は嘆かわしいですね。 まあ、そういう事例はいくらでもありますが。 インドに行け?w あなたは、そこまで理解力がないのですね。 インドだろうが、日本だろうが、 霊性の高さに関係ないでしょう。 つまり、スピリチュアリズムというのは、知識があるかないかの話しではないということですよ。 文字が読めなくても、シルバーバーチを知らなくても、スピリチュアルな人はいます。 私の言わんとすることをきちんと把握することもできないとなると、知性も疑わしい人ですね。 たかだか、相談掲示板の質問者に「愛する」という言葉を使うあたりも、 変ですよ。 私が従順で、あなたを持ち上げていれば、 私を「愛する」のでしょう。(笑) あなたの「愛する」は、あなたの自己愛を満たす相手であるかどうか、ということだけです。 つまり、あなたは自己愛と自己顕示の塊です。 私がおとなしくしていると思ったら大間違い。 あなたはスピリチュアリストではありません。

noname#189246
noname#189246
回答No.14

この場を利用させて頂いて申し訳ありませんが、(ネット上の問題としての)本題に戻ります。 ちょっと別の記述を引用して良いのか分かりませんが、私と感覚の似た記述があったのでご紹介します。 http://d.hatena.ne.jp/cerefica/20060122/p1 <<なんと言ったらよいでしょうか・・・そうですね・・・こちらに知らず知らずのうちに「罪悪感」やら「居ても立ってもいられない気持ち」を抱かせる・・・それが、ニューズレターの一つのスタイルです。 「私って、なんて駄目なんだろう」と思わせる、これです。 誰でも、読んでいるうちに、あまりにも数多く細かい「罪悪感」が、じんわり自分にわきおこるので、それをなんとか打ち消したくなってきます。 そして、その「罪悪感を打ち消す一番手っ取り早い方法」こそが、「ニューズレターの内容を、疑問に思うことなく受け入れること」なんですよね・・・。 脅されると同時に、「真理を知っているということは、いまだ一般の人々が知らない救いの方法を知っているという特別な立場に立っているということを意味します。」・・・と、つまりは「あなたってもともと特別な存在なのよぉ~ 選ばれた人なのよぉ~」と「煽てられて」もいるので、「受け入れる」ことは案外簡単に進みますが、こうしてイビツな「選民意識」まで植え付けられることで、さらに新たな「罪悪感」が発生します。 そう、何度も書いた「反動形成」です。 自分の中の「罪悪感」を打ち消す為に、「そういう不愉快な感情を与える相手」を受け入れようとしたり、それに同化さえしようとしてしまう心理です。 そして、これに縛られると、大抵の人間は、なかなかそこから抜け出すことができません。 かなりオソロシイ、心の不思議な一面です。 でも、このカラクリにさえ気がつけば、人は、そうそう「ニューズレター」に影響されたり、ましてや信じ込んでしまったりすることはないと思いますが、いかがでしょうか・・・。>> 原書シルバーバーチは、こんなことはないんですけどね。なので、私は原書を読んでほしいです。 最後に、質問者様には、質問内容である境界性パーソナリティについて粗末な見解しか述べられず、別のことを多く投稿してしまったことを申し訳なく思っております。どうかお許しください。

cibone
質問者

補足

最後に・・を読みましたが 境界性パーソナリティ、それ様の悩みをなんとかすることが第一目的です。 シルバーバーチの霊訓も含め、スピリチュアルが、 それに応じることができるのか、が本題です。 境界性パーソナリティは、、情緒不安定で自殺に陥りやすい?ウィキでざっと読んだ、江原が良いだろう? シルバーバーチの教義?について、そこまで熱く語るわりには、随分おざなりですね? シルバーバーチは古いものだから、現代の心の問題には対応できない? じゃあ、スピリチュアルも何の役にも立たない、ってことになりますよね? あなたは、ただの頭のでっかちの、シルバーバーチ信者、自己顕示の塊で、 シルバーバーチの言う、人のために役立つことをしなさい、ということの実践は ないですね。

noname#189246
noname#189246
回答No.13

私のプロフについてはご理解いただけたということでしょうか。 自己流解釈の具体的中身について言葉を濁されていると思いますよ。 ここの場所で説明をすることは悪いこととは思いません。

noname#156274
noname#156274
回答No.12

徹底的に読んでいないのならばまず徹底的に読みなさい。自己流解釈を加えず公平無私な態度でよく吟味しなされ。そして抗議文を送りなされ。こんな所で声高らかに演説をしているより余程建設的であろう。

noname#189246
noname#189246
回答No.11

「私に課せられた課題は、本物を見極めるに至っていない者の霊性をどうやって上げるように工夫するか、である。」 なるほど。そこでしたか。 >私を ということは、「かの人」は先ほどと同一人物なのですね。 いえいえ、知らぬで通すつもりはありませんよ。なにぶん、プロフの文字数制限が少ないので、満足なことも言えませんでしたしね。私がこの質問よりだいぶ前にプロフ文を取り下げたのは、この言葉のせいではないのです。どんな親であれ、その劣等性を露呈するのは良くは無い、という点を反省したからなのです。 そして今でもあのプロフの理念の元に、私は活動を続けているのです。 話を始める前に「かの人」に一言述べておきましょう。人を貶める前に、ちゃんとした理由があるなら、それを前面に持ってきてからにしてください。さもないと、ただの悪口であるということは述べましたね。そして、一瞬入会即退会という態度も「言いっぱなし、責任回避」という印象を与えます。誤解かまことかは分かりませんが。これまで、同じ手口の牽制的投稿が何度かありましたが、本当にそれがスピリチュアリストの態度なのかな、と疑問に思います。 シルバーバーチの霊訓1巻35ページ12行目~ 「議論をしてはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません。無理して植えても不毛の土地には決して根づきません。根づくところには時が来れば必ず根づきます。あなたを小ばかにして心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねてくることでしょう。」 シルバーバーチの霊訓1巻43ページ7行目~ 「いずれにせよ大切なのは人のために役立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。その地上生活を無知の暗闇の中ではなく、叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋をまっすぐに伸ばして、怖れを抱かず堂々たる落ち着きをもって生きるべきです。」 シルバーバーチの中にこの2文があります。 人間の霊性は千差万別です。霊的真理を受け容れる準備の整った人も居れば、そうでない人も居ます。もちろん、私がこちらのサイトで回答するときにも、霊的真理を受け容れる準備の整った人が、これを閲覧し、そしてスピリチュアリズムに興味を持って頂き、最後には原書を読んでいただく。これが「簡単な方の」目的です。 では、霊的真理を受け容れる準備の整っていない人はどうなるのでしょうか? 放っておけばよいのですか? 暗闇の中で、唯物主義におちいり、現世の苦しみに喘いでいる人を、無視しろと言うのですか? 私はこう思っています。「人類総類魂である」と。簡単に言えば「人類みな兄弟」ということです。 >シルバーバーチ「議論してはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません」 この言葉は、果たして私の問いかけに「YES」というものなのですか? 私は違うと思います。苦しみに喘いでいる人が、霊的真理を受け容れる準備が整っていなかったとしても、何かしらの奉仕を施すことが大事だと思います。それを通して、「真心」とは何かを伝えることが出来るのだと思います。つまり、霊的真理の説明(という簡単な方法)をするのではなく、なにかしら、真心で接する、または(別の方便で)回答する、ということだと思うのです。 それが、「私に課せられた課題は、本物を見極めるに至っていない者の霊性をどうやって上げるように工夫するか、である。」 という言葉の意味です。別に私の霊性が高いと言っているのではありません。真心を用いれば、魂の琴線に触れる人は居るから、そのためにどうやって工夫して真心=利他的精神を伝えるか、発揮するかということなのです。言葉尻を短絡的に解釈してはいけないと思います。もっとも、プロフ文の短さでは無理もないですが。 さて、これをうぬぼれと解釈するなら、どうぞ。 一説にこういうのがありましたね。 「2012年、レベルの高い人間と、レベルの低い人間が、天体のうんぬんによって2分する」 というような噂が。 私はそれを聞いた時傷つきましたし、霊的真理から照らし合わせてもそんなことは絶対に起こらないと思います。 >シルバーバーチ「議論してはいけません」 これは、霊的真理を受け容れる準備の整っていないひとに、無理強いはするなということだと思います。私は「心の道場」の暴走解釈を説明しているだけで、議論しているのではありません。また、この文も私自身の説明であり議論ではありません。 >シルバーバーチ「伝道者ぶってはいけません」 権威主義に陥り、「私を信じろ、私が正しい」と無理強いするな、ということだと思います。ですので、私は説明に終始しているだけです。「シルバーバーチはこう述べている」と言っているだけです。私を信じろとも言いません。これを読んでもうぬぼれと解釈するなら、どうぞ。 かの人が「虚言者」かどうかは、かの人自信が決めれば良いでしょう。 「心の道場」に抗議文を送りましょう。もっとも、送るなら開くのも抵抗のあるページを、今よりさらに徹底的に読んだうえで、ということになりますけど。

cibone
質問者

補足

私はこう考えます。 以前、マザー・テレサの本の中にあった話です。 インドのスラムの子が、マザーに頼みます。 お金を下さい、と。 マザーはその子の家に行きます。 その子の家に行けば、たくさんの子どもが暗いスラムの小屋で、白い目を光らせておなかをすかせています。 母親もいます。 マザーは、母親に米を与えました。 すると、母親は隣の家まで飛び出して行きます。そして「裏の家の人も食べるものがないのです。」と言ったのです。 マザーはその行動に、愕然とするのです。 この人たちは、自分たちが飢えているのに、隣の人のことを思いやる心があると。 私は、スピリチュアル、霊性の高さとはこういうことを指すと思いますよ? スラムの家だから、シルバーバーチどころか、文字も読めない人たちだと思います。 そこまで飢えていても、心の豊かさが失われていない、そのことにマザーが感動したのです。 どんなに知識があって、シルバーバーチを知的に理解できても、 このインドの人のような行いや心持ちがないなら、その人たちよりスピリチュアルではない、と言えます。 そして、私も、自分が飢えているときに、裏の家のことまで考えません。 自分のこと、自分の家族のことしか考えません。 だから、あなたも私も、その方たちより霊性が劣ります。 そのことを自覚できれば、 シルバーバーチの解釈が微妙な点で間違いであるとか、と息巻くことはできないと思います。 知識ではなく、どれだけ豊かな心を持てるか、をシルバーバーチは説いているはずです。 日本や先進国などでは、 金持ちや経済的に成功した人を、崇めます。 その人たちにあやかりたいと、その人たちの講演会に足を運びます。 誰一人、スラムの人の家に言って、スピリチュアルな教えを請いに行きません。 極貧でも霊性の高い人になりたい、と思っていません。 でも、シルバーバーチやスピリチュアルでは、そのような経済的成功を成功と見ることはしないでしょう。 むしろ、スラムの家の人を尊ぶと思います。 それが霊的視点でしょう?

noname#156274
noname#156274
回答No.10

心の道場(現:スピリチュアリズム普及会)を野放しにしておけないのであれば、4年間堂々とスピリチュアリズムを思索してきたという自負のもと、真摯に手紙を書き誤謬の訂正を求めるがが宜しい。ここに住所を記載しておく。 住所 〒441-3141 愛知県豊橋市大岩町字北山468-1スピリチュアリズム普及会 http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/help/index.htm 「私に課せられた課題は、本物を見極めるに至っていない者の霊性をどうやって上げるように工夫するか、である。」 これは誰の言葉であったか。聞覚えはないだろうか。他者の霊性を上げるとは、なんたる自惚れ。 私を虚言者にして、知らぬ存ぜぬで通すのもよいだろう。 いけない霊にやられている人ほど、自分の考えがよいと思って反省しない。

noname#189246
noname#189246
回答No.9

>主体的 まさにその通りです。シルバーバーチでさえ、「私の述べることがあなたの理性にかなわないならば、拒否なさることです」と申しております。今までの私の回答は、あくまでもシルバーバーチの述べていることを、なるべく正確にお伝えしようとしただけで、千差万別である霊性の人間の、全ての人に対して画一的に「こうしろ」ということではありません。あくまでも自分の理性や感性で選び取ることが大事だと思います。 はっきり申し上げますと、スピリチュアリズムは宗教ではありません。1848年ハイズビル事件をきっかけに、クルックス管を発明した物理学者ウィリアム・クルックス、ノーベル生理学賞シャルル・リシェ(エクトプラズムを造語)などを擁する科学者たちが検証し、裏を取り、霊の存在を証明した科学です。シルバーバーチはイギリスですが、フランスに同時発生した哲学者アラン・カルデックの研究(スピリティズム)との世界観の共通性、崇高性において信憑性を認められているものです。日本でも英文学者浅野和三郎先生による、霊言の裏取り研究から発した「小桜姫物語」「新樹の通信」などがあります。裏取りや共通性によって信憑性を認められているものがスピリチュアリズムなのです。ですので、釈迦入滅500年後の口伝を巻き物にして1500年、聖書改ざんを何度も受け、きらびやかな教会を重用するキリスト教、1500年前の残虐な社会を縛った時代遅れのマホメットとは全く性質が異なるのです。 現代科学が心霊学を認めない理由は、「潜在意識の作用の域を出ないということで説明できる」とするからでしょう。現代科学では、人間の潜在意識が超すごいのであり、魂が存在するのではないということになっているのではないかと思います。しかし、科学の解釈は不自然ですよね。とりあえず心霊学は「信憑性のある説」くらいの扱いが妥当なのではないでしょうか。 そして、精神障害についてです。境界性パーソナリティについては、wikiでざっと斜め読みしましたが、症状があまりにも広範にわたるようなので、はっきりと何と認識することは出来ませんでした。ただひとつ分かったことは、精神状態が不安定になり易く、自殺に走り易いということです。 シルバーバーチは霊媒のモーリスバーバネルが他界してからもう30年ほど経っていると思います。そして説かれた社会はイギリスについてです。実はシルバーバーチでさえ、時代と社会が現代日本とは違うと思います。私が、現代日本の中に蔓延する、精神状態を不安定にさせる諸問題に、ダイレクトに対応していると考えるのは、実は、江原スピリチュアリズムです。もし、精神安定を目的として紐とくなら、江原啓之先生の著書を選択するべきだと思います。江原先生の著書のどこかに、あなたの体験とリンクする問題が説かれていると期待されます。 人生は大変なことと思いますが、諦めずに挑んでいきましょう。

cibone
質問者

補足

江原さんの本なんて、とっくに何冊も読んでます。

noname#189246
noname#189246
回答No.8

>でも、神ってほんとにいるんでしょうかね? 大霊という概念、言葉はありますが、その実体とはなんだろう、、と考えてしまいます。 シルバーバーチの言葉は、主体性を言っているんですよね? シルバーバーチは神はいると言っていますね。 大霊の実体は人間にはつかみきれないと思います。霊性の高さは無限に続いて行き、階層は無限だからです。たぶんシルバーバーチにもイエスにも把握しきることは出来ないと思います。その理由は無限だからです。(シルバーバーチの霊訓には「神」という述べ方と「大霊」という述べ方がありますが、これは訳者の近藤千雄先生の述べ方で、原文ではGreat white spiritなどとなっています。) 全ての魂には神性が宿っています。その部分だけ見れば完璧な善性です。その部分だけは大霊の属性のものだろうと思います。 人間が何を施す時にも、真心(利他)と打算(利己)は必ずついて回ります。動機の中に常に真心と打算が混ざり合っているものだと思います。その動機の中から、打算(損得勘定や名誉名声欲)を、より減らし、真心(本当に尽くす気持ち)を、より増やすほど、霊性は高まると思います。それが霊界の視点だと思います。そして、その心の状態に常に注意することは霊的真理の実践と言えるのではないでしょうか。(だからこそ、表面の行動だけ見ても人の霊性は判断できないということです。だから、現世の人間に人の霊性を裁定するなど傲慢だというのです。) ・・・主体性、とは何に対しておっしゃっているのかよく分かりませんが、自分の行動の動機に注意することに対して、主体的であれ、というならその通りでしょう。 ただシルバーバーチの発言には以下のような言葉が多いです。 『シルバーバーチの霊訓』1巻48ページ10行目~12行目 シルバーバーチ「故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません」 もちろん利他の精神で行動する生活は大事だと思います。自分の動機の状態に注意することも。ただ、それもこれも、今取り上げた言葉通りなら、今取り上げた言葉通りにしていれば霊界から良いように計らってくれるということだと思います。 「主体性」も自分に無理をしたようなことでは適切ではないと思います。 そう言えば「心の道場」は、馬に鞭打つように主体性だの何だのと述べていたような気がしますね。本家とはだいぶ温度差があると思いますよ。 イエスやマザーテレサは人霊のなかで頂点の霊性を誇っていたようですね。打算が最も少なく、真心が最も多かった生活だったのだろうと思いますよ。 霊的真理を理解すれば拒食症が治るのかという問題ですが、それは微妙なところですね。根深い学びの問題かもしれないし。霊的真理を理解するに越したことはないんですが。そういうのは、原因をよく分析して、治すことに真剣に取り組む姿勢が大事なんでしょうね。それも学びの一環でしょう。

cibone
質問者

お礼

主体性というのは、 心の道場の言っていることに対しても、他の本の言っていることに対しても、鵜呑みにしないということを言いたかったのです。 つまり、世間で偉いと言われているから、すごいのだと思う、だから信じる、というのは主体的ではない。人の考え、世間の考えに依存していて、自分がないということです。自分で考えて、自分で判断しようとしていないので、主体的でないということになります。 良い意味の批判精神を持って、人の言うことも聞く、そして自分で判断する、自分で考えて答えを出す(どこがどうおかしいのか、逆に正しいのかを自分で考えて判断する、ということです。 私は拒食症ではないのですが、ボーダーラインパーソナリティ様のパーソナリティなのか、そのことでも苦しんでいます。それで、シルバーバーチやスピリチュアルに救いを求めるようなことになりました。 宗教に救いを求めるのと似ていますね。 悩みがあれば、そうなるのは、よくあることですね。 でも、スピリチュアルで、その悩みが消えるのか、というと・・・よくわからないんです。 それで質問しました。 本家、とはシルバーバーチの霊訓(原書)を指しているのですか?

noname#189246
noname#189246
回答No.7

私の解釈が違うと言うならシルバーバーチの何ページ何行目に私の解釈を覆す具体的記述があるのか示してもらおう。 と言っても私の解釈は補完する「おそらく」であり「心の道場」のような「断定」ではない。 私は逆に、「邪霊集団のついた独自のうぬぼれた解釈」であるところの「心の道場」を糾弾しているにすぎない。 それはシルバーバーチが権威主義の既成キリスト教を糾弾する気持ちと同じことだ。 私がシルバーバーチに遠く及ばない波動なのは当然のことだ。そして私は一貫して原書を読めと言っているだけで、自分が人を導くともしていない。ないことをあるかのようにでっちあげる手法はまさにただの悪口。 私の波動が高くないからと言って「邪霊集団による独自のうぬぼれた解釈」であるところの「心の道場」を野放しにしておいて良いということではない。粗末な波動ながら、ちゃんとシルバーバーチ原書の何ページ何行目かを示して「心の道場」の暴走解釈を暴いているだけだ。私の解釈がどうあれ、「心の道場」の解釈が暴走なのは間違いないことだ。それを示すことは悪ではない。 私が言いたいのはこれだけ 「原書を読め」 一貫している。 「心の道場」だろうが何だろうが、人間のフィルターを通したものに過ぎない。それがどうしてシルバーバーチの波動を踏襲出来るだろうか。 具体的なことを何も言わず、言葉を濁してうわべだけ人を貶めて、一瞬入会即退会の責任回避。そのずるさで、4年間堂々とスピリチュアリズムを思索してきた者に何を言う資格があるのか。

cibone
質問者

お礼

熱心に、教え(シルバーバーチの、或いはスピリチュアルの)を説いて くださろうとした親切心が あだになるような結果になり、すみません。 正しさの判断は、声の大きさではなくて、 よく中身を見ようとしないとわからないと思います。 ネット上では、中身よりも 表面で判断され、糾弾されることがあります。 キリストが処刑されたように・・ 私は、心の道場の言うことは、おおよその部分で間違っていないと思っていましたが、 おおざっぱによんでいたし、真剣みが足りなかったし 道場の言うことをそのまま、信じていました。 読み方が主体的でなかったと反省することになりました。 ありがとうございます。 ただ、最初の質問では 心の道場の間違いを指摘したいことが趣旨ではなく、 私の個人的な悩みに、スピリチュアリズムが対応できるか、というものでした。 シルバーバーチは大は小をかねる、ということですが、 大すぎて、不安なのです。 例えば、私が拒食症だとします。 それが、シルバーバーチで対応できるか、というと・・・ ヒーラーを通して、エネルギーを注がれることで(スピリチュアル・ヒーリング)拒食症がなおるのか、というようなことです。 シルバーバーチの霊訓を読んでも同じです。

noname#156067
noname#156067
回答No.6

よく喋る者がいる。 彼の言葉が放つ波動はどうだろう。 彼は己の判断力を過信している。 ようするに思い上がっているのである。 我が人々を導くのだ、それが我の使命であると。 高慢霊が執拗に付き纏う。 引き寄せるのは他ならぬ彼自身。 自惚れが目を狂わせる。 脇長生という者がこう言った。 「ある教団では、まことの心でいけと教える。しかし、背後に邪霊がいるときも、これが〝まことの心″だと思わされてしまい、次には背負い投げを食って大失敗をする。だから人は常に、我はないか、うぬぼれはないか、と実践を通じて鍛えていかねばならない。反省だけではいけない。また指導原理を理解しただけではいけない。自惚れの強い人は、自己流の解釈をして済ませてしまう。だから精進、これでなければならぬ。すなわち、心霊の正しい指導原理を理解した上で、毎日の生活を通じて、事に当たり、これは自惚れではないかと、厳しく実践の中で鍛えていく。この毎日の積み重ね、これが精進である。」

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