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スピリチュアルな方法。
心理的な問題で、いろいろと調べているんですが、 スピリチュアルな方法を調べているうちに、 スピリチュアルというのは、ホリスティックという言葉に代表されるように、 非常に包括的、全体的というか、 むしろ、体の問題で(例えばガンとか)、現代医療ではどうにもならないために、スピリチュアルの方法に救いを求める、という風に感じますが、どう思いますか? もともと、スピリチュアルと言う言葉は「魂」から来ているのはずなのですが、実際は 体の問題を治すことのため、になっている気がします。
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度々失礼します。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-nature/sp-nature-5.htm (2)霊界サイドから見たスピリチュアリズムの定義 何故「心の道場」は、霊界から見たスピリチュアリズムの定義、という、すこぶる重要な解釈を間違ったのか。 『シルバーバーチの霊訓』 目次からざっと見るに、 イエス・キリストについての記述は、 3巻6章「イエス・キリストとキリスト教」 5巻6章「イエスは今何をしているか」 9巻10章「質問に答える―イエス・キリストについて―」 です。このうち、「心の道場」の主張の根拠となりうる言葉は、 3巻104ページ11~13行目 「ナザレのイエスが手掛けた仕事の延長ともいうべき、この(スピリチュアリズムと言う名のもとの)大事業の総指揮に当たっておられるのが他ならぬイエスであることも知っております。」 この一言の言葉尻ただひとつです。 しかし、この3つの章の全体をよく読んでいただきたいと思います。イエスは神ではありません。私が前回答で述べたままの位置づけです。それはシルバーバーチ自信が随所に述べていることです。 確かにイエスはスピリチュアリズムの総指揮に当たっているのかもしれません。しかし、シルバーバーチに言わせれば、「そういう役割」です。総指揮に当たっていることは、ただそれだけのことに過ぎません。 それが「心の道場」になると、 <<イエスを中心とする高級霊たちが、もし地球人類を救済しようと決意しなかったならば、現在、地上で展開しているスピリチュアリズム運動は存在しませんでした。スピリチュアリズムのすべては、地球人類の救済を願う高級霊たちの決断から出発しているのです。>> という解釈になります。さっそく「心の道場」は見解を間違えたのです。なぜイエスが居なかったらスピリチュアリズム運動が存在しなかったと断定できるのですか?。 いやむしろ自然法則が大霊から出ている限り、それがイエスではなかったとしてもスピリチュアリズムは法則としておこったであろう、というのが自然な解釈です。 9巻146ページ3~6行目を読んでください。 シルバーバーチ「他人が良いと言ったから、賢明と言ったから、あるいは聖なる教えだからということではなく、自分の旅にとって有益であると自分で判断したもを選ぶべきなのです。それがあなたにとって唯一採用すべき判断基準です。」 ↑いいですか!これが本物のシルバーバーチの言葉なのです。
>心の道場は良くないですか? ならばもう一度「心の道場」をひも解いてみますか。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-nature/sp-nature-5.htm (2)霊界サイドから見たスピリチュアリズムの定義 ここではイエスを中心とする高級霊が人類救済計画を立てて、スピリチュアリズム運動を起こしたことになっています。 しかし、ここの解釈はとても大事な基本的説明にも関わらず、解釈が浅くて、後の認識に誤謬が発生し始め、最後には大きな間違いに発展する可能性がありますよ。 霊の高みは永遠に続いて行くから、イエスといえどもさらに高級界からの善の意思を上から下に流している(受容している)にすぎません。その状態においてシルバーバーチもイエスも同じです。究極的には、スピリチュアリズムは、神(というか無限の霊の高み=大霊)による霊界、神界の巨大な流れなのです。だからスピリチュアリズム運動に主役、主導者を定義すること自体がナンセンスです。「心の道場」の述べ方だとまるでイエスがスピリチュアリズムの親玉(というか創造者)のような解釈になってしまいます。イエスといえどもあくまで「神のしもべ」です。霊格には無限の高みがありますが、「人霊」と区切った時点で霊格に限界が出来ます。イエスが人霊最高の霊格を持っていようとも、大自然の潮流は人霊が発祥なのではありません。イエスは人間の(しかも西洋世界という部分の)監督を任されているに過ぎません。たとえば東洋世界では監督者はもっぱら高級自然霊です。東西の区分はシルバーバーチには述べられていませんが、たとえ東洋もイエスの管轄だったとして、イエスが人霊の先達、年長者として人間を引っ張っているのは事実だとしても、全霊を通じてイエスが最高なのではありません。 たとえば、シルバーバーチに言わせれば、自分の指導者はイエスだと言うでしょう。それはイエスが人霊を指導する立場にあるから。しかし、もし、イエスが1848年ハイズビル事件からのスピリチュアリズム運動の計画を立案したとしても、それはイエスが発祥なのではありません。あくまで無限の高級界からの善性がイエスにそうさせたのでしょう(イエスの自由意思だったとしても、人間の愚かな自由意思とは訳が違います。もっとずっとはっきりと、より高級界の善を感識出来るはずです)。だから聖書ではイエスは絶対に自分に祈れとは言いません。むしろ自分が神に祈っています。実は現世の聖書には、イエスが自分に祈れと言ったくだりもあるのです。自分に祈れとは全く傲慢ではありませんか。しかし、自分に祈れと言ったくだりは、西暦300年ごろの政治的聖書改ざんによってもたらされました。今、「心の道場」は聖書改ざん側に回ったのです。 むしろ、大事なのは「霊性には無限の高みがある。どんな霊でも上からもたらされる善のエネルギーを下の階層に施す(指導する)ことによって、霊性進化の営みをする。それが自らの霊性をあげ、また施された魂の霊性も上げる。その条件に例外などない。たとえ、シルバーバーチであろうと、イエスであろうと、条件は同じだ」という世界構造を理解することではないでしょうか。それが霊的真理を理解するということです。それがひいてはあなたの生活態度をも左右することになるでしょう。 それを、いとも簡単に「トップはイエスだ、イエスの高級人霊団だ」と断定してしまうような、不注意なサイトが、検索トップに来てしまう日本の無知な現状ということです。「心の道場」の述べ方だと、イエスの高級霊団がスピリチュアリズムの正体なんだと、短絡的解釈になってしまいます。これでは霊的真理を理解したことにはなりません。たとえば、イエスだけは法則が当てはまらない特別な存在なんだという誤解を招きかねません。法則が当てはまらない魂など存在しません。全ての魂に数学的精密さで行き渡っております。たとえイエスであろうとも。だからイエスですら、上からの善性を遂行しているだけだ、と言えるのです。「心の道場」は、はたしてこのことが読解出来ているのでしょうか。すこぶる疑問です。 善性の詰まるところは大霊にあるのです。 善性の詰まるところは大霊(無限の彼方)にあるのです。 シルバーバーチ原書をちゃんと読みこめば、「心の道場」にいずれ違和感が出てくるでしょう。 以上が1例です。 続いて実践哲学の件についてですが、今調べましたところ、私が過去に見たページはなかなか見つかりませんね。私が述べたいのは以下のようなことです。 シルバーバーチは言います。全ての魂には神性が宿っていると。だから安心して自分に自信を持って生活することです。恐怖こそ最大の敵で、それが心の中の神性=善性を萎縮させ隠してしまいます。要はリラックスして自らの心の中から湧き出してくる真心をキャッチして、それに素直に従って生活することです。それが各々の霊性に見合ったカルマと学びをもたらすのです。これが霊的生活の実践というものではないでしょうか。 それが、「心の道場」の言い方だと、なんだか塾の講師が「そんなことじゃ受験戦争に受からないぞ」と言わんばかりの口調でだれかのことを「落ちこぼれ」だのなんだのと記述していた覚えがあるので、追いつめられるような気になる、と申したまでです。「心の道場」の指導が人々の生活を画一化し、各々に適切なカルマと学びにならないという気もしました。 シルバーバーチは言います。「私がもしあなたの理性に反すること、傷つけるようなことがあったら、すぐに拒絶なさい。私とて、いつ間違いを犯すか分かりません。」と。「心の道場」がはたしてあなたの理性にかなっていて、受け入れられる言霊(ことだま)でしょうか。それ以前に、「心の道場」では、自分たちの思想が受け入れられないとするならば、それは受け手が悪いことになっています(この辺も私が探しているページでとても傲慢な言い回しで述べられていましたが、今はちょっと見当たりませんね)。 「わたしとて、いつ間違いを犯すか分かりません」(シルバーバーチ) この言葉も、おそらく原書を読まないと出てこないでしょう。なぜなら「心の道場」は権威主義、シルバーバーチ絶対説のような態度だからです。まるで既成宗教さながらです。 続いて簡潔で分かりやすい件ですが、それが霊的真理を正しく紹介しているという根拠にはなりません。 続いて核心の件ですが、全てのスピリチュアルの源流は霊訓で、しかも「シルバーバーチの霊訓」が大が小を兼ねており、霊界通信の中では最も古い年長者(現世生活から)でしょうね。そして、ヒーリングのこともシルバーバーチが詳しく述べております。 こちらの回答もご参照ください。 http://okwave.jp/qa/q7400275.html
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ご説明ありがとうございました。 私は、他の本についてもそうですが、 本を拾い読みで、熟読玩味しない読書の傾向があります。 (もともと、本好きではないせいかもしれません。) 心の道場の記述に関しても、おおざっぱに読んでいたと思います。 ただ、「イエス」についてのくだりに関しては、私も覚えています。 心の道場での説明を読んだときに、 心の道場は、キリスト教の手先?というような錯覚?を覚えたのを思い出しました。 スピリチュアルと宗教は、ちがうものですが、 スピリチュアルについて何も知らない人は、胡散臭い宗教と思うようですが、 いろんな胡散臭い宗教でも、スピリチュアルの思想とかぶるところがありますね。 まあ、スピリチュアルと宗教は、違うと言えば違うのですが、 宗教はもともとスピリチュアルであるのですが・・・ 精神世界と宗教はちがいますが。
>例えば、不登校とか、パーソナリティの問題とか そういうのは、どう考えるんでしょう・・・ 精神的な悩みなどは、原書シルバーバーチなどを読んでいくのが一番だと思います。色々と検索されているようですが、「心の道場」は検索トップに出てくるし、霊訓本文の引用もあるので、ここで済ます人が多いと思います。しかし、解釈がおかしい点が多分に含まれており、霊的真理を誤解して認識することになると思います。だからお勧めはしません。 例えば、本家シルバーバーチは、 「自分の心の中の自然な善性に従って生活することです」 と言っており、要はそれが霊的真理の実践だと思われるのですが、 「心の道場」は 「(スピリチュアリズムは)厳格な実践哲学」 などと、読み手を焦らせ追い詰めるような解釈です。 今、日本では様々な「スピリチュアル」が蔓延していますが、みな断片的な癒しの雰囲気を重宝しています。しかし、結論に至る世界構造を理解しないことには、本当の悩みの解決には至らないと思います。なんだかモヤッとした「スピリチュアル」たちの元ネタに、本当の核心があると思います。核心を理解すれば「スピリチュアル」は自分で考えることが出来ます。言葉は自分から出てくるものです。
お礼
シルバーバーチの霊訓は、少し読んだことがあります(購入して)。 「心の道場」は良くないですか? 厳格な実践哲学、という表現は、間違っているのでしょうか? 厳格であるし、哲学は哲学ですが 知的理解に留まっているのでは意味がなく、行うことが大事と言っているだけでは? 読み手を焦らせ、追い詰めているというのが よくわかりませんが・・・ 心の道場の文章は、簡潔でわかりやすく感じます。 核心が、霊訓ですか?
医学的な分野から見た場合、スピリチュアルヒーリングは身体の治療に携わる、霊的な力ということになるでしょう。 しかし、元々はヒーリングを通じて、霊的真理(死後の実際)を人間にもたらすのが、霊界側の狙いです。ヒーラーの中には、ハリーエドワーズのような優れた功績を残した人物もあります。スピリチュアリズムによると、ヒーラーの背後には、霊界の医療技術者がたくさん控えております。治療はヒーラーがするのではなくて、ヒーラーを霊媒として霊が行うのです。これがスピリチュアルヒーリングです。 また、施行者の念力によって実現する治療をサイキックヒーリングと言います。あとは、手の磁気によって症状が緩和するようなことをマグネチックヒーリングと言います。ヒーリングにはこの3種類があります。 スピリチュアリズムでは、病気には霊的な原因と物理的な原因の2種類があります。単に物理的なものもあります。例えば栄養失調は間違いなく物理的なものでしょう。骨折も物理的なものです(ただし、スピリチュアリズムでは、どんな災難であれ、カルマの返済や学びのために起こるのであり、突き詰めれば魂のためということになります)。 霊的な病とは、要は魂の不健康ということです。魂が自らの善性に素朴に従って生活する場合は健康ですが、自らの素朴な善性をどこかで無視した部分があると、その魂の状態に応じて身体のどこかが呼応し、その部分が病むというものです。 実は魂(霊体)と幽体と肉体は重なり合っており、霊体(オーラ=想念や記憶=心そのもの)が悪ければ連携する肉体も悪くなるのです。 理想的なスピリチュアルヒーラーは、カウンセリングによって魂の不健康をただし、同時に霊界の技術者によって、霊体、幽体の欠陥が正され、最終的に肉体を治します。 ところで、どんなスピリチュアルヒーラーも、寿命を変えることはできません。寿命は霊界によって誕生前から計画された宿命です。その学びの計画を、現世の都合で捻じ曲げることはできません。現代の人間の寿命が長いのは、それだけ学ぶべき霊界の計画が多いからと言えます。 これらが「スピリチュアルな治療」の核心だと思いますよ。
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「スピリチュアルヒーラーグループ」でも、そのように書かれていますね。 身体の問題に功をなすのでしょうか? 精神的な病気も治しているようですが、 病気というレベルじゃなくても、例えば、不登校とか、パーソナリティの問題とか そういうのは、どう考えるんでしょう・・・
- pluto1991
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スピリチュアル これは、マーケティング用語ですよ。 霊感商法では聞こえが悪いから、英語に置き換えて言っているだけですね。 スピリッツは精神だけど、霊の意味もありますよね。 人間の心と体は密接で、単純に言えば「幸せな人の肉体は正常に機能する」 みたいに科学で証明できないけど真実なことってあるでしょう。 会社が倒産した→1晩で10個の胃潰瘍ができる 給料2倍の就職先が見つかる→1晩で胃潰瘍消滅 なんていうのも本当に倒産が原因かどうか科学的に証明はできないけど推察は出来る。 みたいな。 だから、あながちウソとは言い切れないんだけど、それを利用して商売をする人がいる。 困っている人、絶体絶命の人、不幸な気持ちの人、は「神だのみ」 のようにそれに乗っかってしまうんです。 というのが問題ですね。 「あなたの家系に成仏していない人が1人いますね。それが災いのもと」 と言われただけで、困っている人はそれを信じる。 あとは、ツボを買えと言われようが、毎月供養が必要だと言われようが、名前を改名しろと言われようが、もうなんでも言われ放題になってしまうでしょう。 「心の救いは大切なことだけど、それは自分の心であって、ご先祖様とは関係ない。それを商売にしている人には相談するな。」 難しいけど、そういうことだと思います。
お礼
心身相関は嘘ではないと言うのはそうですよね。心身相関医学は、科学的に根拠があるのでしょう。 しかし霊感商法となると、それは詐欺ですか? 詐欺ならば、それをする人は悪人ですよね? スピリチュアルを謳い、商売する人は、詐欺つまり悪人でしょうか? 本来のスピリチュアルというのは「利他」を目指しているので、むしろ逆ですね。 占いも詐欺でしょうか? 宗教も詐欺ということになりましょうか?
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お礼
イエス=神のような印象を持つ文章ですね。(心の道場の記述について) イエスも、実在していた人類ですもんね。 といっても、私はマザー・テレサを尊敬していまして、イエスよりは偉大なイメージもありませんけど、 やっぱり凄いと思います。 多くの人は、私も含め、利己的です。 マザーは、そうじゃないと思うし、イエスももちろんそうです。 そういうことを言ってるんじゃない!と思われるかもしれませんが シルバーバーチの霊訓を、より正確に理解するかどうか、ということよりも(それは知性や主体性の問題であったりするので)スピリチュアルの目指すものは「利他」であるので イエスやマザーのように、自分の命を捨ててまで他の人を救おうとする崇高な心は、神に近いものだと思います。 というか、一部神性なのでしょう。 でも、神ってほんとにいるんでしょうかね? 大霊という概念、言葉はありますが、その実体とはなんだろう、、と考えてしまいます。 シルバーバーチの言葉は、主体性を言っているんですよね?