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自分の判断が正しいかどうか、わからない時・・・
23歳の女です。 今日、少し気になることがあったので、質問させてください。 私の実家は石材店です。 今日、お客様の納骨式があったのですが、父が別件とかぶって行けなかったので、 母と私で式を行いました。(他に従業員はいません) 私は今回が2回目で、母は父の手伝いで何度も参加したことがあります。 今日は暑くて、お客様や和尚さんのためにパラソルを2本立てていましたが、 お経を唱える時、和尚さんはパラソルのない所に立たれました。 そしたら、母はそわそわしだして、 「和尚さんに日傘をさしてあげたほうがいいんじゃないか」と言い出しました。 しかし、私たちは日傘を持ってきていなかったので、母はお客様の日傘を借りようとしたのです。 私は、お経の最中にゴソゴソ動いてたら感じが悪いし (お客様のご先祖様にお祈り?している神聖な時間なのだから)、 暑いけどそんなに陽は照っていないし、なによりお客様の日傘を借りるなんて・・・・と思い、 「今はやめておいたら」と言いました。 (お金を払っているのはお客様なのだし、 お客様が気が散らないようにするのを優先したほうがいいと思ったのです) そしたら、お客様の一人が察して日傘を貸してくださり、結局その場は上手くいったのですが、 こういう時は本来どうすべきだったのかわからず、帰宅後、父に訊ねてみました。 父によると、母の判断は和尚さんのことを思ってのことなので、間違っていないそうです。 それに「お経を唱える時は、そんなに神妙になる必要はないよ。 実際、しゃべってる人とかもいるし」と言っていました。 でも、私としては、お経の時に神妙にするかどうかはお客様が決めることであって、 他にそうしている人がいるからといって、私たちが勝手に決めていいのかとも思います。 神妙にしたい人もいるかもしれません。 でも、父と話していたら、現場の経験を多く積んでいる者の意見に従うべきだと言われました。 確かにその通りですし、私もよそで働いている時はそうしますが、 私の母は世間知らずで、時々突拍子もないことをしだしたりするので、 私は、今回もそのパターンかもしれないと思ったんです。 正直、母に任せてしまって大丈夫なのか?とも思っていました。 ・・・と、これはほんの一例で(長文失礼いたしました)、 私はよく、自分の判断が正しいのかどうか、わからなくなります。 もしかしたら、過去にも、こんな風に自分は正しいと思っていたけれど、 世間的にはそうではなかったという事が、何度もあったのではないかと思うと、不安でたまりません。 父の言う通り、仕事の時は、上司・先輩の意見に従えばいいのでしょうが、 それ以外の時は、どうすればいいのでしょう。 皆さんは、こんな風に悩む時、もっと常識を学ぶべきだと思いますか? (その場合は、どのようにすれば、常識が身につけられると思いますか?) それとも、自分なりに考えた結果の行動であれば、気にする必要はないと思いますか? 皆様のご意見が聞きたいです。
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- organic33
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充分常識的ですよ。 石材店との事で、その仕事の事が書いてありませんが、納骨の時石屋さんに期待するのは、ろうそく立ての移動と(お骨を入れる口を出す)終わったらろうそく立てを戻す。 納骨式が終わったら、墓の境内を掃除する。だと思います。 それは滞り無く終わったのでしょうから、合格点です。 その上でお坊さんの日よけなど、気が利く石屋さんじゃないですか。 日傘などで影を作ってやるのも気配り、何もしないのも気配りです。 お母様のように傘を借りようとするのも良し、何もしないで立っているのも良しです。
- ariakun
- ベストアンサー率37% (186/494)
まあ、今回の場合は「段取り不足」つまり事前の話し合いが出来ていなかった事によるミスですね。 ただ、これに関しては「式をする家の方」つまり檀家さんの領分なので、あまり気にすることではないかと思います。(サービスとしての考え方が出てしまったのでしょう) 一般的な「常識」ですが、余程特殊な例を除けば(専門や仕事関係ですね)普通に身についている物ですが、「自己中心的」な考えの方にはあてはまりません。 それぞれの育ち方や教育で「常識」の考え方は変わってしまいますが、貴女は特殊な例でしょうか? 普通に義務教育をうけていたならば、世間一般の常識は身についているはずです。 悪い言い方ですが、いわゆる「ゆとり世代や子供の権利」を重視した頃の学生では、「自分中心」の考え方が身についてしまっている方もいると思います。 「常識を学ぶ」には「経験」しかありません。そして時代によって「常識」は変化します。 少なくても「相手に不愉快な想いをさせない」ことが一般的な常識なのではないでしょうか。 もちろん、「自己中」な人の考えに賛同する事を良しとはしません。 「常識」というのはある意味「民主主義の原則」、つまり少数の意見よりも多数の意見を優先することです。自分の考え方が「少数派」であるなら考え直さなければなりません。 過去、「天才」と呼ばれた人は「少数派」でしたが「専門分野」においての事です。 世間一般という事であるならば、多数派に属することが「常識」になるのだと思います。
- fujitapari
- ベストアンサー率20% (240/1199)
大切なことは、事の重要性を正確に把握することですね。 些細なことは、どちらに転んでも大したことはないですが、大事に至る可能性のあるものはそれに相応しい人が判断すべきです。 貴方か、そこにいる他の人か、それともそこにいない誰かかにすべきかです。 それで決断し起こした行動の結果については、良く記憶し、改めるべきところは改めて、今後の参考にすればよいと思います。 その辺の知識は、常に問題意識と観察力をもって行動すれば、自然に身についてくるものです。 今回の場合は、それほど大きな問題ではないと思います。 私も、どうすべきだったのか、よく分かりませんが、「餅は餅屋」と言いますから、お父さんに従ったらよいのではと思います。 ある本に「どちらにすべきか、よく考えたけど判断がつかないときは、どちらも間違っていない」といことが書いてあったのを思い出します。 時には、こんな考えを持っても良いと思います。 後は「間違ったら改める」事です。 貴方は今のまま、面目に仕事に取り組めば、それで良いと思います。
お礼
>その辺の知識は、常に問題意識と観察力をもって行動すれば、自然に身についてくるものです。 問題意識と観察力ですね。これから意識していきたいと思います。 >ある本に「どちらにすべきか、よく考えたけど判断がつかないときは、どちらも間違っていない」といことが書いてあったのを思い出します。 この言葉はすごく心に響きました。こういう考え方もあるんですね。 悩んでいる時に、心が軽くなりそうです。 >後は「間違ったら改める」事です。 私は頑固なところがあるので、「間違ったら改める」という素直さを、 もっと持たないといけないと思いました。 自分が間違っていたことを認めるのは、少し恐いけれど、 その素直さを忘れてしまったら、もっと嫌な人間になりますもんね。 ありがとうございました。
お礼
>それぞれの育ち方や教育で「常識」の考え方は変わってしまいますが、貴女は特殊な例でしょうか? 「特殊な例」というのは、仕事関係のことですよね?(違ってたらすいません) 実は私、現在求職中でして、この歳にして既に2回目の転職活動なんです。 私は専卒なんですが、学校・これまでに経験した仕事ともにジャンルがバラバラで、 どこも長く続いていないことも、常識が身に付いていない原因(結果?)の一つなのかもしれません。 あと、私の両親は、身の回りの世話はとても焼いてくれるのですが、 放任主義で、子供に甘く、ちゃんとした躾を受けた記憶があまりありません。 そのせいもあってか(親のせいにしすぎてもいけませんが)、 この歳になっても、いまだに常識というものがよくわからなかったりして、困っています。 (親には「幼い頃、躾をしようとしたけど、あんたが言うことを聞き入れなかった」と言われました) 父はまだマシなのですが、母がとにかく世間知らずでズレているので、 最近はこういう悩みがあっても、親には相談しません。 >悪い言い方ですが、いわゆる「ゆとり世代や子供の権利」を重視した頃の学生では、「自分中心」の考え方が身についてしまっている方もいると思います。 確かに、私は「ゆとり」だと思います。年代的にも、性格的にも。 自分では自己中なつもりはないんですけど、 無意識の内にそういう振る舞いをしてしまっている気がしてなりません。気を付けます。 >少なくても「相手に不愉快な想いをさせない」ことが一般的な常識なのではないでしょうか。 なるほど。わかりやすいですね。 あとは「経験」を積む努力をしたいと思います。 ありがとうございました。