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中学時代のいじめについて考える
- 中学時代にいじめられた経験がありますが、その時のトラウマから解放される方法や、自信を取り戻すための考え方を教えてください。
- いじめを経験したことで、現在も過去のトラウマに苦しんでいます。どのようにしてその呪縛から解放されることができるのか相談したいです。
- 中学時代のいじめのトラウマから抜け出す方法や、自分に自信を取り戻すためのヒントを教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんは、いじめられる前まで、自信に満ちあふれて、好奇心旺盛で、積極的で、何事にも高い目標があったのでしょうね。 でもいじめの内容が、質問者さんのそういう、言うなれば「本来の姿」を押さえ込むようなものだったのでしょうか。 人をいじめる、しかも集団で、それはとても卑怯な行為だと思うし、許されることではないと思う。憎んで、恨んで、当然だと思う。 だけど、いじめた側の味方をするわけでは決してないけれど、質問者さんもどうか、「自分」のことを客観的に振り返る必要があると思います。 「妬み」とか「相手がどうしようもなく悪い人間だったから」で終わらせるのではなく、「相手はなぜそんなに自分を嫌ったのか?」「自分の何が相手を不愉快にさせたんだろう?」ってのをです。 質問者さんはいじめられる前までは確かに「自信」があったのかもしれないですね。 でもその自信って昔も今も、人に否定されると簡単に壊れて、誰も自分を否定する人間がいないことで安泰な自信という見せかけのものだったのでは? 自信やプライドって本来は、いざという時に自分を支えてくれるもの、逆境に立った時でもそこに立ち返れば自信を取り戻せるというようなものだと思います。 でも質問者さんのプライドは、誰もが自分を肯定し、自分をおびやかすものが何もない環境でしか保てないもの。 対人面での不快な感情、腹の立つ感情をうまく流すことができない、プライドが少しでも傷つけられたと感じる状況に心が耐えられない、自分をバカにする人間、否定する人間を前にするとメタメタに傷ついて再起不能なまでになる、そういう致命的な弱点が質問者さんにはあると思います。 辛いかもしれないけど、そういう「自分」を見つめ直さない限り、この苦しみから解放されることはないと思うのです。 あ~またあいつは俺をバカにしてきたと思う悔しさ、あ~またバカにされるかもと思う不安は、心の奥底で自分で自分に劣等感を感じてるからでは。 中学時代のいじめは別にしても、今質問者さんが感じる大半の見下され感や屈辱感というのは自分自身で作り出しているもののように思えます。 相手のしたことは許せないけど(確かにそれだけのことをされた!)、自分でも、自分の心の持ちよう、考え方に疑問や限界をうっすら感じてはいる(他人にとって自分はどうであるか、反省点はないかも含めて)、だけど相手のことが許せなくて、プライドが邪魔をして、自分を省みる、自分に問題点をを追求してみるということができない、というジレンマがあるんじゃないかな?と思うのですが。 なんというか・・もうちょっと、ありのままの現状と自分を受け入れられるといいんですけどね。そしたら、そこから頑張れるし、理想の自分も不可能じゃないと思います。 「こんなのは自分の人生じゃない」「自分の実力じゃない」と思っているうちは、そこから頑張ることって無理です。 >もちろん私は私のやりたい事をすればいいですよね? もちろんだと思います。こんなに苦しんで、他人のことでも胸が痛いですよ。早くその日が来て欲しいと思います。 そのためには、辛いかもしれないけど、「自分自身」を少し客観的に振り返る必要があると思う。自分が、集団の中で、どういう人間だったかというのを。きっとできますよ。
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突然ですが、ドキュメンタリー番組の話をしてもいいですか? 日本一のまぐろの仲買人と呼ばれる人がいます。 まぐろの目利きは右に出る人がおらず、日本を代表するお寿司屋さんや料亭が、その人からまぐろを仕入れます。 でも、その人は若い頃、競りにも参加させてもらえず、罵声を浴び続けたのです。 お前なんかに、何がわかるって… それが悔しくて悔しくて、日本一の仲買人になると決め、寝る間を惜しんで働いて、勉強したそうです。 怒られながらも、残ったまぐろの尾びれの身を観察し続けたそうです。 そうして日本一と言われる人になったのです。 私は、これを見て思いました。 もし、この人が競りの人達にいじめられなかったら、日本一になってなかったんじゃないかって。 そういう意味では、いじめた人達のおかげでもあるんじゃないかって。 あなたが、そう思える日が来ることを願っています。 見返してやって下さい。
呪縛と言えば呪縛かもしれないですね… 私も中学時代には嫌な思い出が多く、質問者さんの気持ちはよくわかります。 21歳くらいの時にはまだ当時の思い出から逃れられない感じでした。 大学卒業後に、巡り巡って多くの中学生と接する仕事に就いたのですが そこでわかったことですが、中学生というのは、ほんっとーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・・ に バカ です。 一見勉強ができて真面目に見える子ですらバカです。 しかしこれは自分にも言えることで、中学生当時は自分を何か特別な存在だと思ったり、周りが悪いのは周りのせいだとか、こんな環境でさえなければ自分はもっとうまくやれたのにとか、そういったことを長いこと思っていましたが 要は自分もバカだったわけで… 「バカ」の意味ですが、先述のように「勉強ができる・できない」とか、そういう基準ではありません。 中学生というのは、自分基準でしか物事を考えられないのです。 これは小学生でも同じことですが、小学生に比べて中学生になると自我が強烈になる上に反抗期も入ってきますので、自分の意にそぐわないことが起きるとそれに向けて一気にパワーを放出します。 質問者さんは、その標的になってしまったのでしょうね。 社会人になっても中学生レベルの考え方しかできない人も稀にいますので、そういった人に出会った時にはまたしんどい思いをするかもしれませんが、大体の人は中学生的な考え方を克服して生きているはずです。 ですから、質問者さんも中学生の時の気持ちに引きずられずに、一歩踏み出して良いのです。というか、そうするべきです。 そこが克服できると、過去の自分や環境に対して寛容になれると思いますよ。 私は今となっては、中学生くらいの年齢の人間をほかの年齢層よりも好きになってます。 (好きって、変な意味ではなくて。) 大丈夫だいじょうぶ。頑張って!
お礼
回答ありがとうございました。
- pigunosuke
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私の人生では無いので、私が決めて良い事ではありません では誰が決めるのでしょう? それとも、私に決めて欲しいですか? 私に貴女の人生を決められて、 後になって 「あぁ、あの人の言うことを聞くべきじゃなかった・・・」となっても良いのなら 決めて差し上げましょう とりあえず私の言い分です 貴女を苦しめる物は有りません、怯える必要はありません 惨めだった思い、悔しかった気持ちは、忘れる必要は無いと思います 人の体は、傷がついた時に、傷を修復しようとする機能を持っています そして、傷が治る時に、以前より強い体にしようとする働きも持っています 人の心も同じです 傷がついても、治ろうとします、 でも 心の傷というのは見ることが出来ません、 治っているか確認が出来ません どれ程傷ついたのか、どれほど苦しかったのか、傷と向きあう事で 傷は癒されます 癒された心は、傷つく前より強くなっているのです 今を生きている事を喜びましょう これが私の言い分です、参考にするかどうかは貴女が決めてください
お礼
回答ありがとうございました。
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1175/3512)
つらい思いをされたんですね。でも、そこを耐えて今まで生きてきたのですから、もう誰にも邪魔されずに好きなことをする自由があります。しかし、今度はこの自由は自分の責任において果たされる自由です。何もしようとしない言い訳を、過去のいじめに求めてませんか? もし、まだ解決していないと思うのなら彼らを探しだしてみたらどうでしょうか。実際に会う必要はありません。居場所を確認し、近くまで行って目で見て彼らがどんな生活をしているのか確認してみてください。あなたをまだいじめてますか? もちろんガツンと言ってやってもいいかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。 かなり参考になります。