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終戦年の航空隊員の移動を教えて下さい。
1945年戦局が厳しい状況の中で、航空訓練修了者の移動を読みます。 各地の特攻基地に配属を命じられた隊員の移動は何でなされたのか知りたいです。 飛行機か、汽車か、船か、兵員輸送トラックなのでしょうか? また、個人で移動する場合はあったのでしょうか? たとえば、松島航空隊より館山、豊橋、厚木、大井、出水などの移動はどうしていたのでしょうか? 秘密は厳しかったとは想像できますが、移動途中で最後の別れをする機会はあったのでしょうか? 軍隊の作戦は口外出来なかったと思いますが。 どなたかご存知の方宜しくお願いします。
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基本的には列車でしょう。 たいていの出征兵は列車移動でしたし、、(運賃は軍の移動という事で命令書等があればタダなはず) 原則的には、移動命令が文書で出、それにはいついつまでに○○基地へ出頭せよ。としかありません。 自分で勝手に行け、という事です。行かなければ脱走兵扱いされますから、行かないわけにもいきません。 部隊全体で移動する場合は、学校の遠足のようにゾロゾロ集団移動する事になるでしょう。 飛行機の移動はほとんど有り得ないです。 45年にはガソリンの1滴は血の1滴が事実そのものでしたから、たかが兵の移動ごときに血を流したりはしません。 飛行機でしか移動できない場所のみでしょう(そして、制空権は無くなっていましたからほとんど撃墜されてましたね) トラックもかなり少ないでしょう。前述のようにガソリンが無いので、余分なトラックを動かす事ができません。歩きが当たり前。(戦前、戦中は個人の自家用車などほとんど皆無です。ちょっと郊外ならバスも無い。普通の人は20でも30キロでも歩くのが当たり前) 船もあまりないですが、時には船しか不可能な場合はあるのでそれはあったようです。 父は、空母撃沈のあと、情報管制のために瀬戸内海の小島に軟禁されましたがもちろん船(駆逐艦だったそうですが)で運ばれました。(救助されたほぼ全員、救助されたまま上陸する事無く。まあ、情報を漏らさないためには上陸させるわけにもいかないでしょうけど)
お礼
お世話になりました。お父様も空母に乗艦なさったのですね。 貴重なお話ありがとうございました。