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このCMの文言
最近ちょっと話題になってる、 宮崎あおいさんのCMがあります。 earth music&ecology 2012 春「ノコギリ」篇 http://www.earth1999.jp/cm/#!/detail0_0 ここで言っている よく 『今度生まれ変わったら』 というけれど、 私は、今度生まれ変わる予定はありません。 というセリフがあります。 あちこちで個人のブログなどにもあげられて、 いいセリフだと言われてる方も多いみたいですが、 なんか文法的に間違ってる気がするようなしないような・・・。 前半の仮定の文言に対して、 後半の文言は実際に「生まれ変わる」ということがある というふうに言ってるような感じがします。 今度生まれ変わるなら と考える事はありません。 とかだったらわかる気がしますが・・。 私も国語は不得意なほうなのでよくわかりません。 この文言はたして文法的に合っているのでしょうか? CMを否定してるわけではなく、あくまで気になっただけです。
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- toast5
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私はみなさんとはちょっと違う意見で、違和感の元は「今度」だと思います。 ア)よく「今度転職したら」と言うけれど、私は、転職する予定はありません。 イ)よく「今度転職したら」と言うけれど、私は、今度転職する予定はありません。 アは、どこもおかしくありません。イのように後半でも「今度」を繰り返すと、 微かな違和感が生まれます。 文法的におかしいとは言いませんが、何か、ビミョーにおかしい。 「オレ今度ハワイ行くんだよ」とは言うでしょうが、 「オレ今度ハワイ行く予定はないよ」と言われると、「ん?」となります。 「行かない」のであれば、「今度」と呼ぶべき機会自体が存在しないわけで、 今度って、いったい何の今度だよ、ということです。 だから、毎年毎年ハワイに行ってるけど来年は自宅で寝正月にするわ、 というような背景がない限り、通常「今度」は使わない。 少なくとも、一度もハワイ行ったことない人が 「今度ハワイに行かない」と発言するのは、微妙にヘンでしょう。 あるいは、こうも言えます。イは「今度、転職する」というのを あたかも「今度転職する」というひとつながりの動詞のように扱っていて、 そこがちょっとオカシイ(おもしろい)感じがする、と。 いずれにせよ、その違和感が絶妙なフックになってる見事なコピーライティング、 なんじゃないでしょうか。
- hakobulu
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『今度生まれ変わったら』は、「もし最初から人生をやり直せるとしたら・・・」と同義で、人生のやり直しという不可能事を夢想する場合の比喩的表現と捉えるのが良いと思います。 そして、「そのような夢想を人間はするものだということは全ての人が違和感なく認めれている」という前提です。 このように、前半の文言は生まれ変わりは夢想である、という前提に基づいています。 そのような夢想が認められているのだから、わたしも、「今度生まれ変わったら」、あるいは「もし最初から人生をやり直せるとしたら・・・」と夢想することは許されるはずだ。しかし、わたしは敢えてそのような夢想は遠慮したい。 これが後半の文言の意図です。 「もし最初から人生をやり直せるとしたら、なんてことは考えたいと思わない」ということ。 おっしゃるところの、「今度生まれ変わるなら と考える事はありません」と殆んど同じ意味です。 ただ、このままの表現だと、あまりに論理的すぎて面白みがないでしょう。そこで、 「今度生まれ変わる予定はありません」のようにすると、自分の意志で生まれ変わりを拒否していることになり、「生まれ変わり」を夢想ではなく事実として捉えていることになります。 質問者さんがご指摘のとおり、 『>後半の文言は実際に「生まれ変わる」ということがある というふうに言ってる』わけです。 視聴者は、夢想の世界から一気に事実の世界へ連れ戻されたような印象を受けるでしょう。 「生まれ変わり」というあり得ない現象に、「予定」という意志を伴う言葉を絡ませることによって大きなギャップ・違和感が形成されており、それが強いインパクトを生み出し、優れた広告効果をあげている。 このような構造になっていると思います。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
正確な表現・判りやすい表現では無いとは言えそうですが、文法的な間違いは無さそうですね。 まず文法的には、前段は仮定文では無く、「というけれど」で構成される逆説文です。 「一般的にはAと言われている。しかし私はBと考えている。」と言う様な文構成です。 確かに「A≠B」ですから、Aの仮定をBによって否定する場合にも用いることは出来ますが、単純にAとは違うBと言う意見を述べる場合にも使えます。 質問者さんは、前者のパターンで、Aの前提は「生まれ変わりがある」に対し、Bは「生まれ変わる予定はない」だから、Bでは「生まれ変わりそのものは否定していないのでは?」とお感じになったワケですよね? まさに質問者さんが感じた通りで、逆に言えば、「私は生まれ変わる予定は無い」と言う表現は、「生まれ変わる」そのものは、否定していないと言うことであり、「否定していないことを感じて欲しい表現」です。 従いこの文章は、「私は生まれ変わると言うことを否定するわけでは無いが、たとえ生まれ変われるとしても、私はソレを希望しない」と言う、自分の意見・内容・意図を伝えたい文章になります。 逆説的に否定している部分は、「生まれ変われるかどうか?」では無く、生まれ変わって「自分とは違う何かになること」を否定しているんですよ。 それを「(そういう)予定は無い」と言ってるワケです。 省略も多く、素直に理解しやすい表現ではないですし、違和感の様なモノを感じた質問者さんの言語感性は正しいです。 でも、それを違和感のまま放置したり、間違いと決めつけるのでは無く、「どう言う意図なんだろう?」など、もう一歩踏みこんでみて下さいね。
そう言われるとそうですね!(笑)。 私も意識しないで聞いておりました・・・。 あなたの仰るとおりです。 「今度生まれ変わったら」は希望的仮定です。 「生まれ変わる予定・・・」は、そこに一般的に、 既成の事実が必要です。 まあCMですから、語感が第一なんでしょう・・・。 面白いと思って聞き流してあげましょう(笑)。
文章的にあっていますが。 「今度生まれ変わるなら と考える事はありません。」 では、意味がまったく変わってしまって、前の文章には直接的に繋がらなくなります。 「生まれ変わるなら」では、人ではない可能性が高く考えられますし、「生まれ変わったら」とする事で人として生まれてどうするかと言う意味が強くなります。 あくまでも次の世でも人として生まれ変わった時の想像ですから。