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アマチュア無線の思い出とは?
- 数年前、押し入れを掃除していたらRJX-601 & RJX-715が出てきた。
- アマチュア無線の思い出について述べる。
- アメリカではノビス級からCWを外したらハイティーンが受験し始めている。
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こんばんは。 私は、昭和38年10月の国家試験で電話級アマチュア無線の免許を取得しましたが、当時は中学1年生でしたので無線機は高嶺の花でした。 しかし、翌39年にトリオの9R59とTX88Aのキットを何とか買ってもらい、JA1***で7MHzからハムデビューしました。 なお、VFOまでは買ってもらえずにカメラ・フィルムのケースをボビンに見立てエナメル線を30回巻いたコイルにバリコンのローターを何枚か引き抜いて作ったバリコンを使った自作品でしたが、電源トランスが大容量だったせいか自作品にしては安定度が良かったです。 アンテナは農家の同級生に頼んで長さ12mほどの孟宗竹を2本切ってもらい、この竹竿を使った全長20mのダイポールでした。 この頃は、中学生のラジオ少年は多かったですが、中学2年でVFOまで自作出来るラジオ少年は少なく、中学の先生達からも一目置かれる存在でした。 その後、アマチュア無線に夢中になったせいもありますが、学業の成績に極端なムラが生じてしまい、進学校を早々に諦めて工業高校に進むことになりました。 工業高校の2年になる昭和42年4月に2アマ免許を取得して、高校生には高価だったTS500を新聞配達のバイトなどの稼ぎで自力で買い14MHzと21MHzのCWとSSBでDX交信に夢中になりましたが、この頃が最もアマチュア無線が面白かった時期です。 そして、工業高校を卒業してからは東京(蒲田)の電子専門学校に進んだことで、アパート住まいになりアマチュア無線は2年間ほど中断しましたが、卒業後に八重洲無線のFL・FR400でDX交信にカムバックしました。 社会人になったことで、経済的余裕が出来ましたから、庭先に高さ25mの自立型アンテナ・タワーを無計画にも建て、14~28MHzマルチバンドのキュビカルクワッドを載せたところ、自宅敷地脇に通ってた東電の特高送電線(275kV)に危険な影響を及ぼす恐れがあるとして、東電職員2名が我が家を訪ねて来て、高さを20mにまで下げて欲しいと依頼されて、やむを得ず依頼に従いましたが、この件があってからは次第にアマチュア無線熱が下がりました。 まぁ、アマチュア無線には苦い思い出の方が残ってますが、高校時代の無線機欲しさに新聞配達を根性で頑張り抜けたことは、私の人生の中では良い収穫だったと思います。
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- hiko3323
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モービルとハンディーだけの、ショボイ思い出ですが・・・ 20年程昔、友人の間で、車両に搭載するのが流行っていたので、 便乗して、開局して、初めて買ったのは、ケンウッドの2mバンド、5Wハンディー機でした。 流行便乗なんで、ファッション優先で、車両をカッコ良くすることが優先だったので、 友人としか利用せず、CQしたことも無いのですが、 マグネットで天井に車載アンテナをつけただけで、随分遠方のスキー場の会話が聞こえたり、 橋の上だと、利得が良くなることなど、随分勉強させてもらいました。 モービル機に替え、車両用マイクを付けたりして、相変わらず、車両のファッション中心でしたが、 突然の大渋滞や、台風接近時など、少し声をかければ、沢山のトラック運転手さんが、 事故情報や、冠水情報を教えてくれました。 携帯時代の現代、ほとんどみかけなくなってしまい、近所の無線専門店も、閉店してしまいましたが、 先の震災などをみると、少しでも多くの方が、車両に積んでいれば、「少しは役立つのにな~」 と考えます、私も、また車にでも付けようかな、免許失効しちゃってるケド(笑) JM2***
お礼
「先の震災などをみると、少しでも多くの方が、車両に積んでいれば、「少しは役立つのにな~」 と考えます」 じつは東北東海岸での津波の大震災 一部の新聞しか報道しなかったのですが この「車載モ-ビルボランチィア」すごい大活躍だったそうです いったいだれがどこで何を必要なのか だれがだれと連絡取りたいか なんてったって 携帯電話 いや電気そのものがないのですから 通信手段は まさに 車載アマチュア無線家のみ よく防災訓練にアマチュアクラブ局が協力なんて市の広報誌にでてますが テント張って ホンダの 発電機もってきて むろん車のモ-ビル局も大活躍 自然に自発ボランチィア局が集まって特に 定年退職の 年金無線家は も-大活躍 一部の新聞しか報道してくれなく残念です。 http://www.youtube.com/watch?v=aJndrmk3tSQ http://www.jarl.or.jp/Japanese/2_Joho/2-4_Hijou/press/23-04-28ASAHI.pdf http://www.jarl.or.jp/Japanese/2_Joho/2-4_Hijou/press/23-04-20Kahoku_Simpo.pdf http://www.youtube.com/watch?v=nTRwGIsh9pE&feature=related 特に上がおすすめ 探すといろいろあります
補足
追記 淡路神戸の災害時のアマチュア無線家の報告に 144などのハンデイ機が機動性が高く HF機器は電源がないので 利用性が低いとの報告があり 多少早合点だと思いました。 HFモ-ビルは機器メ-カ-がフロント分離型なをど開発した経緯もあり普及しています、たしかにハンデイ機よりは機動性はかけますが、通信ネットワ-クとして避難所間通信や 被災地の状況報告に活躍したと思います。 再度の記載ですが この種の無線ボランチィアネットワ-クの活動があまり報道で取り上げられないのは贅沢をいえば残念です。
- tarepanda009
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RJX-601、私も使っていた時期あります。30年以上前のことですが。 私が初めて目にしたアマチュア無線用の機器が「パナ6」でした。すごくカッコ良くみえたので資格とろうと思ったのです。 そして資格をとり学校のクラブにはいったのでTR-1100だとかFD-AM3などもいじったことがありますが、あの頃のハンディ機というと6mのものでしたね。 私自身が最初に買った(買ってもらった)のがFT-401S(中古)です。当時はかなりのめりこんでいました。(笑)この401は使えなくなりましたが、いまでも捨てずにとってあります。 現在はというと144/430ハンディ機を遠出のときに持ち歩くだけです。(免許だけは更新していますが電波を出すことはほとんどなく、「ラジオ」になってます。) ただデジタル化はアマチュア無線界にもあり、普通のFMで話している人も少ないです。
お礼
懐かしいですね 6mは扱い安く好きなバンドです。ただ2倍がテレビの音声周波数となり電波障害となりやすいです。あの頃はラジオ局のパーソナリティ-がコーサイン言ってましたね。日本短波放送に伝説のアマチュア無線家みんなあつまれてな番組がありました。個人的に144 430は食わず嫌いです。なんか電話みたいで。 ローカルが401DXを持ってました。いかにも頑丈なマシンでした。先日初めて知ったのですが601ならぬ610てのがあったんですね.6mSSBマシンです。週末は愛車で山の上でした。RJX-715(21メガ)は愛車の2代目カムリに乗っけてました。中央下が空いてる車でまああんまりとびませんが.アドニス音響のクリックタイプのコンデンサーマイクつけてました.懐かしいですね。
お礼
大変貴重なお話をありがとうございました。自作した機器での運用は格別の物があります。あの頃は送信 受信が別の製品も多かったですね。あまり無線に入れ込むと学業不信になります。電波障害の関係で固定からモービルへ変更しなければならなかった思い出があります。記載ありがとうございました。