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古典全訳するのはよくない?
今年受験生でセンターの古文対策をしています。 そこで質問なのですが、古文の全訳をすることはよくないのでしょうか?予備校では全訳すると力が伸びると教わったのですが、全訳しているのは時間の無駄だという意見もよく耳にします。 どちらが効率的な勉強法なのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
元塾講師です。 結論を言えばケースバイケースです。 確かに古文を勉強し始めたころはやった方がいいです。覚えた文法や単語をしっかり理解できているか確認するにはしっかり全訳し、間違えをあぶりだした方がいいです。 ただずっとそれをやるのがいいかというとそういうわけでもありません。まず時間が食われます。また完全に現代語訳できないが、その文字を見れば理解できる場合が出てくるからです。たとえば「趣き」という言葉がありますよね?これは状況によって訳が変わりますし、究極的には「今までの内容(文章で出てきたほめていること)すべていい」という場合もあります。もし現代語訳すれば「趣き」が何十字にもなってしまいます。また本番ではそんな時間はありません。訳さなくても意味が取れるようになるべきです。これは英語も同様です。 ご参考までに。
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- tanuki4u
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蓋然的には 「予備校では全訳すると力が伸びる」 というのが正しい。 蓋然的というのは、あるレベルの学生に対して、そのレベルを理解した上での指導が上記のものであると推測されるから。 めちゃくちゃ古文が出来る学生が隣に座っていて、その隣の学生に向かって「古文はざっとみればわかりますよね」と言ったのを、隣の古文に関してはよくわからない学生が『私に向かっていったのね』と理解したならば、間違うことになる。 30年以上前に高校生だったが、私の高校では、古文の全訳は当たり前だったがなぁ。 現代文古文訳とかもやらされたが。
お礼
基礎が固まるまでしばらくは全訳を頑張ろうと思います。回答ありがとうございました。
- TANUHACHI
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対象となるジャンルによっても対処の仕方は異なります。源氏物語のような創作文学もあれば大鏡のような記録文学、今昔物語などの説話、芭蕉や蕪村などの俳文もあり徒然草のようなエッセイもあります。 こうした作品を一つ一つのパートが短いこともあって、「全文訳には意味がない」と切り捨てられている方もいらっしゃいますが、敬語の掛かり方を勉強するなどの目的を立てれば強ち意味のないものではありません。 試みに大鏡の「弓競い」の部分を繙いてみればわかります。予備校が既卒生を対象に始まった組織であることを考えても、「基礎を自らの目で確認する」ことの大切さを徹底させるとの意識を読み取ることもできます。 そして「全文訳」の最大のメリットは「未見の作品」に出会った時でも、何らかの形で読み解くだけのベースを築くことができるとの点にあります。 付け焼き刃的に表面をさらうことと本質を見分ける力を養うことの何れが目標へ到達する道であるかはご自身で判断して下さい。
お礼
詳しい回答をありがとうございます。まだ古典は始めたばかりなのでしばらくは全訳を頑張ろうと思います。
- kuroneko3
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私の受験時代には全訳なんてやったことないですね。 たしかに全訳すれば古典の力は伸びるでしょうし達成感もあるでしょうが,古典はいろんな時代のいろんな文章を読めるようにする必要があり,広く薄く知識を身に付ける必要があります。その中で,長い時間をかけて一つの文章を全訳するのは,あまりにも効率が悪すぎます。 特に,古典をセンター試験でしか使わないのであれば,全訳なんてやるだけ無駄でしょう。
お礼
やはりそうなのですか;回答ありがとうございました。
お礼
ケースバイケース…そういうことなのですか!ようやく納得できました。しばらくは全訳し、だいぶ基礎ができたら、時間を決めて全訳せずに問題演習をしようと思います。ありがとうございました。
補足
ある程度基礎が出来てからの勉強法なのですが、、、センターや予備校の問題をまずは自力で何も調べずに解き、わからなかったところや間違えたところだけを拾って詳しく調べ現代語訳を考え、ノートにまとめるという勉強法でいいのでしょうか?