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無神論者にとって殺人は悪くないのか?
- 無神論者にとって人を殺すことは悪ではない。
- 無神論者は幸せを求める全ての人が殺人を行うこともあり得ると考える。
- 人間の行動は無に等しく、殺人もただの出来事であり、幸せを増す可能性があると考える。
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補足を読ませていただきました。 >つまりあなたの言っていることだと育った環境がすべての判断基準で、絶対的な基準がないのがあなたの思う無神論ということになるのでしょうか。 無神論、ではなく全ての人間がそうだということです。 無神論者だけではない例として、他の回答者も挙げていますが、神信者でも神の存在を理由に殺人や戦争を起こす人達もいます。自己の崇拝する神や宗教を同様に崇拝しない者は人間ではないと考え、他者に害を及ぼす信神者すらいます。 自己内の定義づけ(=主体)によっては、誰であろうと殺人を正当化できると言う事です。 即ち、遠まわしに(善悪を規定する)神に関する記述も「育った環境」を構成するものの一つでしかない、と言っています。 >求めた結果プロテスタントであってその時点で満たされてるので求めるということはないように感じます。 満たされなければ主体が顔を覗かせるのではないでしょうか。あなたがそういう人はプロテスタントではないと定義すれば、プロテスタントは満たされてなければならないので勿論あなたの感じ方はは正しくなりますが。 しかしこれはは定義の問題です。 >伝わりにくくて申し訳ないのですが、私は社会(多数決など主体以外が干渉するもの)における殺人善悪を聞いているのではなく主体にのみ焦点を当てているのです。 私も主体に焦点を置いているつもりです。こちらこそ伝わりにくくて申し訳ない。 社会が悪と規定するから駄目と思う、ではなく、主体によっても社会が規定する感覚に身を委ねる事で満たされるため、殺人は悪となる、と言う事です。 有名な欲求の一つとして、人間には集団に属する欲求や認められたいという欲求があるのでこれはそう疑問に思う事でもないと思いますが。 >自分が一番重要と位置づけたのですが間違っていたのでしょうか。。 自分が一番重要と言う事に関しては、厳密に言えば必ずしも間違ってはいないですよ。 他者に優しくしたり、自分よりも子供の幸せを優先したりするのも、その根源に自分の満足(心地良い)がある。従って実際には自分が一番なのである。という論法は成立し得ますから。 ただ、そこまで掘り下げてしまうならもはや神信者に対してもこの論法は通じるので無神論者とわける意味がありません。
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- hekiyu
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善悪、という概念は人間が造ったものです。 何の為に造ったのか、といえば、それは秩序を 保つためです。 善いことを奨励し、悪いことを抑制するために 区別するようにしました。 そこに神を持ち出すのは、神をもってくれば 善悪の理論的根拠が簡単に説明できるからです。 「善って何? どうして人を殺してはいけないの?」 「それは神様がそう決めたからだよ」 神を持ち出さないで、善悪を理論的に説明する ことは困難なのです。 善悪などは、単に秩序維持の為のルール用語に 過ぎないからです。 それで、哲学者も苦労しています。 ウイトゲンシュタインは説明できないとして いますし、多くの哲学者も何故悪いか一緒に考えよう というレベルに止まっています。 人殺しを善と定めることもできます。 人間が勝手に造った概念なのですから、人間の都合に 合わせてどうにでもなるのです。 だから、死刑執行は悪でもないし、戦争でやった 殺人も合法化することができるのです。 善悪など、時代とともに、また立ち位置により変わる ものです。 それをあたかも、太陽や星がそこにあるのと同じように 善悪も存在する、と考えるから混乱するのです。
お礼
善悪の定義や根源については目が行き届いていませんでした。 この質問では無神論者においては自分のみが重要になってくるはずなので、居心地がいい(幸せ)を善、居心地が悪い(不幸)として書いたつもりでした。 ご指摘ありがとうございます。 確かに善悪は定義しなければ言葉の解釈自体に違いがあるため議論の使用がありませんよね。 ご回答ありがとうございました。
- reflector
- ベストアンサー率7% (37/491)
キリスト教の方が殺人が多いように思える。 ローマ法王の責任か? 無闇にコーラン焼損させイスラム教に圧力掛けたり、ローマ法王の責任問題だよ。
お礼
聖書にかいてある殺人についておっしゃられているのであれば、私はなんとも言えませんね。 キリスト教的に言えば神の御心とでもいいましょうか。 イスラムのことはわかりませんが宗教弾圧はひどいですよね。 ご回答ありがとうございます。
- zai39
- ベストアンサー率20% (5/25)
wikiによると 無神論とは、世界観の説明に神の存在、意思の介在などが存在しない、または不要と主張する考え方である。 唯物論や機械論を無神論と見なすものもいるが、これらの理論は霊魂や物質世界への 超越的な力の介入を否定しているのであって、必ずしも神の存在を否定しない。 と書かれてます。 要するに無神論者とは神はいないと思ってる人であって、必ずしも唯物論であるとはいえない。 ところで、なぜ神がいないと幸せを求めるのですか?神がいれば幸せを求めないのですか? 確かに何が幸せかを決定づけるのはその人自身です。 もしかしたら、殺人が幸せな人がいるかもしれない。 でも、それと神のいるいないになんの関係があるのですか? 神もいろいろいますよ。 殺人は悪いことだ と諭す神父もいるでしょう でもたとえば、サリン事件起こしたオウム真理教は麻原が神のような存在で殺人を指示してたぐらいですよね? それにプロテスタントのいっぱいいるアメリカでも戦争して大勢殺してますよね。 それはどうしてですか? 逆に、神なんていないと思ってる人でもほとんどの人は殺人を悪いことと思ってしていませんよね。 殺人を悪いと思う、思わないは教育の問題であって、神がいるいないは関係が無いように思います。 そして無神論者だから、有神論者だからと一括りにするのは良くないと思いますよ それは白人だから、黒人だからといってるのと変わりない。 色が黒いか白いか、神を信じてるか信じてないか しかの違いしか無い。
お礼
主体的な殺人に関して質問したつもりなのですがわかりにくくて申し訳ありません。 ご回答ありがとうございます。
補足
私も注意してwikiなどの定義を読んだのでその文章を読みましたけども、確かに唯物論は無神論を包括しませんが無神論は唯物論を包括するように見えたのですが違いますか? 神がいると信じている人から意見を貰うとどういう観点から言っているのかわからなくなるし、今回はそれが目的では無いので無神論と限定させて頂きました。 プロテスタントの大勢いる国での殺人についてですが、それは刷り込みの可能性や人間による部分的な聖書の都合のいい解釈による悪の正当化が原因だと思いますよ。キリスト教の聖書にそんなことを奨励することはどこにも書いてないと思っています。 無神論者や有神論者だからといって偏見をもったり差別はしていないつもりです。重ねて申し上げますが区別をして命題をはっきりさせるためにそういう呼び方をしたのです。
- gungnir7
- ベストアンサー率43% (1124/2579)
そのような命題は哲学のカテゴリーの方が相応しいですね。 恐らく人間界以外の自然界にとっては最適、つまり適者生存の法則ですね。 無神論からすれば肥大化した人口は法則から外れるのですから、人為的な整理も有りとするのですね。 ちょっと数式モデル化するのは大変なんで簡単に意見をまとめますと 将来的にそのような史観が衝突して大きな戦争が起こると予言している学者がいます。 第三次世界大戦は宗教VS無神論で、その引き金が人口増大だそうです。 大量殺人を善としない宗教がなぜ大戦争をおこすのでしょうか。 それはキリスト教徒だとよくお分かりだと思います。 神と悪魔の戦いを現世で再現させることによって浄化が進むのですね。
お礼
カテ違いでしたか、ご指摘ありがとうございます。 そんな学者がいるのですか、面白そうですね。 あ、私はプロテスタントにひかれつつありますが真実の神を求めている無宗教者です。 しかしその神と悪魔の戦いの再現と浄化については聖書に書いてあったか覚えていないのでなんとも言えませんが、また読んだりしてみようと思います。
- AkiraHari
- ベストアンサー率19% (255/1313)
その前に貴方は精神病院に行った方が良いでしょう。 プロフを見ると学生だというが、自分の考えに沿わないものを極端に排斥する異常者としか感じられない。 自分の無知で理解できないのは仕方ないとしても知らざるを知ることもできないようで哲学などと書くとはおこがましいにもほどがある。 ま、青臭い世間知らずのレベルでしかないというところかな。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
ええ、おかしいと言われていることは知っていますが意見をお願いします。 一方的に質問と関係のない見方だけ押し付けるのはどうかと思いますが。。。 排斥していると言いますが私が理由を持たずに相手の意見を批判したことはないつもりですよ。ぐうの音も出ないことに関しては素直に認めるよう努力しています。 思考を通じて多様な主題について考えているつもりなのでわからないことはありますが哲学といって間違いないと思います。 もし違うのであれば具体的にどこらへんが間違っているのかご教授願いたいです。 世間知らずなのは知っています。 でも赤の他人に現実で話さない程度の分別はあるので、ここで質問をぶつけているわけですよ。
- patent123
- ベストアンサー率36% (260/719)
現代社会では、 刑法などの法律の世界と、 神を中心とする宗教の世界は分離しています。 どのような行為を犯罪として規定するかは、 その時代、社会が法律で規定するものです。 例えば、結婚している女性の不倫は、 日本の戦後は犯罪ではなく、 日本の戦前は犯罪(懲役刑)であり、 江戸時代は、死刑でした。 戦前では、新たな宗教を開始したときには、 神道と異なるので、犯罪であり、 宗教の自由は保障されていませんでした。 イランでは革命が起きて、イスラム教に回帰したので、 「眼には眼を、歯には歯を」というハムラビ法典が復活しました。 男性が年頃の女性に強酸をかけて化学ヤケドをさせ、失明させた事件では、 2011年、イランの裁判所が、男性の眼を失明させるという判決を下しました。 宗教と法律が分離していないと、過酷な刑罰を課す社会となります。 北欧諸国のように、死刑が刑法に規定されていない国家もあります。 生命は尊いので、国家であっても生命を奪ってはいけないのです。
お礼
主体的な人生においてその生命が尊いというのを問うのも含めて今回の質問の目的だったつもりなのですがわかりにくくて申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。
- HAL2(@HALTWO)
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無神論者であろうとなかろうと殺人は殺人であり、Protestant であろうと仏教徒であろうと (或いは他の何人 (ナニビト) であろうと) 殺人が悪いことであるか否かはその時の状況に依るのでは? 例えば戦争は殺人行為ですが、戦勝国の兵士が敵兵を殺した行為を罪として罰することはなく、本人がその罪の意識に囚われるとは本人の問題でしょう・・・敵兵を殺さなければ自分や仲間が殺されている、戦争に負けたら家族や知人がどのような目に遭うかと思えば勝たねばならない、勝つためには敵兵を殺さねばならないのが戦争であり、同様の極限状況に於ける殺人行為が罪に問われない例は幾らでも挙げられるでしょう。 「思考 (シッコ) と空想 (クッソ) に耽るのは Toilet でのみにせよ」という言葉がありますが (あるのか(笑)?)、様々な現実の事象に鑑みれば宗教倫理を哲学に繋いで考えるまでもないことと思いますが・・・。 私の結論は「殺人を悪とするかしないかと無神論者か宗教家かは無関係であり、関係があるのは自己保存則 (死にたくないという感情) と種の保存則 (社会を維持したいとする理性が制定した法) とで判断される状況である」です。
お礼
主体的な悪について質問したつもりなのですがわかりにくくて申し訳ありません。 でも社会的にはその考えがいいと思いますね。 ご回答ありがとうございます。
- 0128t
- ベストアンサー率13% (65/475)
猟奇的殺人などは、その類なのではないですか? 殺人を犯す事により快楽を得る。 殺された方にとってはいい迷惑ですがね。 私は無神論者ですが、私から見れば、そのような考えで殺人を犯すのは異常者としか思えません。動物に等しいです。 神も仏も無関係だと思います。 質問が、 私には難しかったので、的を得た回答になっていないかも。
お礼
質問がわかりづらくて申し訳ありません。 それは私も異常者だと思いますよ。 そう思っているわけではなく思考実験みたいなものです。 無神論=生命が耐えるまでがその人の価値などの判断基準になると思うので殺す側の人生だけを見た時に果たして殺人は悪いのか?ということを聞きたかったのです。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
私に数々の不備はあったものの素晴らしい回答を有難うございます。 これでまた真理に一歩でも近づけるといいのですが。。。
補足
補足を読んでいただき一つ一つ丁寧な回答を有難うございます。 確かに育った環境が悪く、言葉が出来なければこのように思考実験をすることもできませんし大いに左右されますね。 すみません。神信者というのをプロテスタント以外ありえないと自分が考えていたのでそのことを前提に書いてしまっていたようです。 神を信ずる=即無限の恵みの実感(もちろん若干のタイムラグはあると思います)へつながるはずなので聖書という観点からするとプロテスタントは常に満たされていると思います。 そしてプロテスタントの基準や定義=聖書となるべきなのでここは間違ってないと思います。 例外があればそれは自称で真実ではないプロテスタントだと思います。 その掘り下げた定義で話していました。その上の回答に対しても同様です。 確かに無神論者とプロテスタントを分ける意味がなかったですね。