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困った強迫性障害

高2の受験生です。 私は強迫性障害で困っています。以下は主にその流れです。(くり返し) 鉄道車両の顔を見る→目を離す→頭の中で不格好で悪いイメージが出来上がる(一回納得してもそんな筈はないと経験的に思う)→不安になる→また見る(インターネットやフォルダの写真を使う)→やっぱり駄目だったと思う(その車両が好きだったのに嫌いになる)→気になって勉強や他の趣味に集中出来ない。→強迫行為のためにパソコンをやっていると親に見咎められ憎まれ口を言われるか怒られる。(話しても理解されない。それどころか現在の主治医にPCばかりやっているんですと事実を脚色されて告げられ、医者に怒られる始末)→本当はそんなことしたくないのに理解されず無気力になる。→何か他のことをしている時に発作が起きたらどうしようと不安になる。→鉄道が好きなのにこういった事情で好きな車両が全く出来ず、全てのことに対してモチベーションが下がる。(特に今まで好きだったのに急に嫌いになった場合)→自分は一生鉄道を好きになれないのではないかと不安にかられる。→何よりも時間を無駄にしているように感じて罪悪感や焦燥感にかられる。 備考:自分はアスペルガー(診断済み)なので、(根拠としては乏しいが一般論として)他に好きなもの(普通の人が関心を持っているようなもの)が全くと言っていい程無い。あったとしてもそれが解決しないと安心して(読書等に)打ち込めない。 こんな症状に日々悩まされて久しいですが、大学受験を控えているのでまともに勉強していけるのかも心配です。(気分が悪いと症状が悪化する。高校受験の時は本当に酷くて発狂しながらも無理やり熟に通っていたが、事情が理解してもらえなかったので先生や周りから怠けていると思われていた。そんなことが原因で鬱になり毎日が地獄だった。これから行こうとする塾も同じようなことにならないか不安。) 今までの経験から頑張ってもどうせ楽しいことが楽しめなくなるかもしれないのが私の人生と思えてくるので、勉強にも積極的になれません。中2からつい最近までずっと鬱病で、今は鬱がおさまった代わりに何事に対しても関心がなくなり、無力感・空虚感に支配され、楽しいとか嬉しいとか悲しいとかいった以前ならあった筈の感情が全く無くなってしまいました。友達とも遊びませんし、そもそも友達が全くにひとしい程いません。趣味の範囲が狭いので、話題が噛み合わず、ただ聞き役に徹していますが限度があります。でもなるべく普通の人みたいに生きなければと思ってしまい、そうする程に他人とのギャップに悩んでしまいます。(自分の興味の対象があまりにも狭いので引け目に思う)趣味をやっていても勉強しなきゃとか、勉強をやっていても何か楽しまなきゃ(自分の世界が無い人間はつまらない)とか、何をやっていても時間を無駄遣いしているように感じられ、そういった意味でも毎日楽しめません。 私はいますぐこの呪縛から逃れられるとは思いません。ただ、どうしたら少しでも楽になれるかと思います。

みんなの回答

  • komo7220
  • ベストアンサー率55% (721/1294)
回答No.1

アスペルガーの診断が出ていること、鬱傾向が軽快してきていること、・・・・・・主治医はいますか? 青年期のアスペルガーに関して豊富な診療経験のある医師は少ないため、力量のある専門医に主治医になっていただける可能性が極めて低いのが現状です。専門医にであうことができると、少しは苦しさがやわらぐ可能性があります。 できれば、青年期の発達障害に関して臨床経験の豊富な医師や心理士と継続的な面談ができると、かなり「楽」になるのですが・・・・・・。 自分の苦しさを理解してほしい、という切実な願いがかなえられると、他人とのギャップを受け入れるための道筋が見えたり致します。 もしかしたら、自閉症協会の高機能部や、アスペエルデの会などに連絡をとることで、ご自身と似た悩みを抱える方々に出会うチャンスが生まれるかもしれません。 あるいは、臨床経験の豊富な支援者を見つけるための情報を得ることができるかもしれません。 発達障害者支援センターが、そのような情報を持っていることもあります。 ・自閉症協会 http://www.autism.or.jp/  ・アスペエルデの会 http://www.as-japan.jp/j/index.html ただ、アスペルガーと一括りにされていても、100人いれば100通りの個性があります。ですから数人のアスペルガー者に会っても、「やはり自分とは違う」という思いを抱くことになるでしょう。 それでも、「他者との違いに悩む」という苦悩に関しては共通する側面を見出すことが可能だと思います。 社会は多数派の方々に便利なように形作られています。 ですから、少数派の感性を持つ「あなた」が、社会に出る時期を目前に迎えて悩みが深いのは「当然」なことです。 少数とは言っても、それでも数多くの「少数派」の先人たちが、どうにか社会との折り合いをつけて生きてきています。 そのような先輩方の経験を見聞きすることは、自分の生き方を考えるうえで役にたつと思います。 図書館や大きな書店に行って見てください。 アスペルガーの方が書いた自叙伝を見つけることができると思います。 その中には、読んでも良いかな?と、ご自身の感性に響く書もあるかもしれません。(同時に、とても理解できないと感じる本もあると思いますが。) http://www3.syneus.com/post_21.html たぶん、ある程度の自己受容が進むと、周囲の多数派の方々も「空気を読む」と称される事柄に気を使っていることが見えてくると思います。 そのための努力というか、必要なエネルギーが少なくて済むだけで。 どこまでなら周囲にあわせた振る舞いをしながら自分らしさを失わないで過ごすことができるのか? このことを見出すのが今の青年期なのでしょう。 周囲の高校生の方々も程度が異なるだけで同様の悩みを心の奥には持っていると気がつくと、少しは気持ちが楽になりませんか? 高校を卒業すると、「世界」が広がります。 あなたに課せられている枷は少なくなります。 出会う人数もずっと増えます。 たぶん、気が合う方にも出会える可能性があります。 周囲の方々も「おとな」の振る舞いを身につけてくれます。 ・・・・・・それを楽しみに「今」を生きてみませんか?

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