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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:国民の政治への参加。)

国民の政治への参加 - 司法との比較

このQ&Aのポイント
  • 司法への国民の参加によって、馬鹿な裁判官の、一般庶民の持つ感覚を取り戻してもらうということが行われ、ずいぶんとこの制度に対しては評価が高いようです。
  • 政治も国民が直接参加することは考えられないのでしょうか。議員になった先生方はお金を取り戻すためにいろんな悪さをしなければならず、長くやっている議員は利権に取り込まれる可能性も高いです。
  • 国民の中からランダムに国会議員を選び、一期だけの任期で議員になる制度は、国民の手で改革することもでき、さまざまな意見や感覚が取り込まれます。選挙しないので金やしがらみもかからず、個人個人の本音で採決することができます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • pixis
  • ベストアンサー率42% (419/988)
回答No.1

あー、それねぇ・・。 やっぱりダメなんですよ。 では説明しますね。 司法は確かに難しいです。しかし、その根底には道徳観念というのがあって、 これを明文化したものです。 考えてみれば極めてあやふやな、あるいはバックボーンというものがない道徳とか正義といったものを 背景として法律を確立しているわけです。 するとこの道徳観念というものはは誰でも持っています。 その道徳観念を背景に一般人がその罪を裁くわけです。 法律そのものは勉強しなければなりませんが 道徳観念というのは特に勉強しなくてももてるものです。 また、事件は殺人なら殺人、確かにその事件の背景には複雑なものも ありますが、基本的には殺人を犯したものを裁けばいいのです。 あっちとこっちが絡み合ってるようなものはありません。 だから、素人でもそこに参加できますし、 本来道徳というものを背景に法律ができているはずなのに、 専門家に任せるとその道徳から逸脱して法律だけが先行してしまい 人間の持つ本来の感性が損なわれる可能性があります。 そして、何よりも大事なのは、これは結論の「判断」です、「解決」することではありません。 どのように断罪するかだけの問題です。 さて、一方政治、 年金、普天間、消費税、東北復興、デフレ、円高、等々と問題も多く あれとこれ、あっちとこっち、あるいは3つ、4つの問題が密接に絡み合ってます。 さらに絡み合ったものと絡み合ったものとが大きな絡み合いとなり これを「解決」するのが政治です。 これはそう簡単にランダムに国民を参加させればいいという話ではありません。 またこれは国民全体に影響します。我々の生活に直接影響するものです。 これを素人、つまり国民の信任を受けていない人が行ったのでは我々の生活が変わったとき 責任の持って行きようがありません。 しかし頼まれた人(選挙に通った人、つまり国民の信任を得た人)がたとえ 間違った政策をしたとしても その人を選んだのは国民です、すると結果として「みんなで決めた」ことになり 国民主権は守られます。 確かに素人(政治家でなくても)でも政治家や役人以上に その問題に精通した人、アイデアのある人はたっくさんいます。その人たちがやったほうがいい! ということだってあるはずです。 こういう人の助言は必要です。しかしあくまで助言であって、これを 法案化するのは国民に信任された人であるべきなのです。 政治家でない人たちの政治への助言、こういう機関はあります。 経済諮問会議などはそのいい例です。 あくまで政治家識者の意見、助言を聞くというものです。 これを参考に、あるいはここで出された政策を法案化するのは選挙を経た信任された 人間でなければ国民主権とならないのです。 また行政であれば制限はああるものの一般国民が参加しています。 ランダムの国民参加の司法とは違いますが政治家でなくても大臣になったりします。 菅さんのときの片山総務大臣は議員ではありません。 あなたのアイデアはものすごくいいと思います。 国会議員の1/3は、毎年ランダムに選ばれた国民が入る! というのも一つの案ですが、 そこで決まった法案が果たして国民の信任を得たものといえるかどうかは また別の問題です。 あなたのおっしゃる >選挙しないでいいんですから金もかかりませんし、 >いろんな人に頭を下げる必要もなく、 >何のしがらみもないのです。 >思い切った国政が出来るんじゃないですか。 もわかります、確かにそうかもしれません。 しかし、本来これらは政治家がそうでなければならないものであり、 そちらを直すべきなのです。 よく問題を勘違いしやすいですが、 たとえば国の予算で、道路や箱物は要らない! とばかり公共投資を目の敵にして予算を削りますが、 よくよく問題を見ていくと、問題は道路や箱物自体ではなく、 その公共工事をめぐる政官界の癒着が問題なわけです。 病院のある街まで今の道路を使うと1時間、でもバイパスを作ると 15分、であれば作ったほうがいいのです。 必要な道路は必要なんです。必要な病院は必要なんです。 それを作るときの、あるいはその後の維持管理のお金の流れが悪いのですから そこを直すべきであり、 だから公共工事が悪いということにはならないのです。 それと同じように、国民が国会に入ればいいじゃん! ではなく本来の政治家の姿に戻すのがスジであり本当の姿なのです。 選挙で投票できるという権利が我々にはありますから これを駆使してそちらの姿に持って行くことが国民の政治参加 だと考えます。 というわけで、私は国民が政治に参加するのは当然ですが、その方法として 国会に選挙を経ていない人を入れるいうのは間違った方法だと考えます。

noname#151518
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • NiCr
  • ベストアンサー率33% (8/24)
回答No.4

私も同じようなことを考えました。 司法における裁判員制度を、立法でもすればいいじゃないかという発想ですよね。 いいと思います。政治家は選挙の時しかいい顔をしなくて、当選してしまえばもう私利私欲、党利党略に走りますからね。信用も何もできやしません。だから国民が直接的に政治家を動かせる仕組みの方がいいと思います。 だけど日本の人口を考えると、ランダムで選んでも1000人以上選ばないと世論を反映できない(統計的に)ので、やはり一応国会議員がいた方が現実的でしょう。 具体的には、ランダムで選ばれた国民数十人が、国会や各委員会で表決権を持つというのはどうでしょう? 意見の割れる重要法案では、その数十人がキャスティングボードを握ると思います。今の政治システムの発想を180度変えて、政治家は世論を代表しているのではなく、毎回1000人以上も選ぶコストを減らすための、常時国会に待機している予備国民みたいな感じです。 こういうワンクッションをおいて、徐々に「政治家」という概念を変えていくのがいいのはないでしょうか。

noname#151518
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.3

 馬鹿な裁判官以前に、質問文章がかなり論理整合性がないので「おバカ」に思えるのは私だけでしょうか? >あの、司法への国民の参加によって、 馬鹿な裁判官の、一般庶民の持つ感覚を取り戻してもらうということが行われ、 ずいぶんとこの制度に対しては評価が高いようですね。 一審での裁判員裁判の結果に対して、上級審で見直されるケースは非常に少ないようですし、 国民が司法に参加したと言っても過言ではないと思うのです。 「国民が司法に参加したと言っても過言ではないと思うのです」という文章に対して 「一審での裁判員裁判の結果に対して、上級審で見直されるケースは非常に少ないようですし、」 とは論理整合性はありませんが? 冒頭の「あの、」も意味不明ですし、馬鹿な裁判官、などという前に自分の「日本語力」・「論理思考」について検討されることを薦めておきましょう。 質問者は勘違いしているようだが、日本の政治体制は、程度の問題はあれど、国民・住民の直接参加が可能である。 請願法という法律を元にして国政に対して様々な意見を提言できるし、地方政治に関しては、様々な直接請求権によって参加が可能である 特に地方政治に関して、地方自治法に依る解散請求・監査請求などを代表にした直接請求権の部類は小学生の公民で習う基礎的な国民・住民の政治参加事例であろう。 では、現実に地方政治において直接請求的な直接民主制が十分に機能しているか?という問題に関しては、個人の価値観もあろうが十分に機能しているとは言えまい。 質問に回答するなら、 すでに地方・国政において国民の直接的政治参加は可能なのである それらの手段を有効に利用できない国民に問題があるのであって、 仮に直接参加的制度を提言するなら、具体的な手法をもって論じるしかないのである >どこの誰だかわからないような人たちがランダムで選ばれますから、 いろんな見識やいろんな感覚が取り込まれるじゃないですか、国政に。 ランダムに選出される議員は、質問者のように真っ当な思考回路がない国民だった場合は目もあてらない状況になる 制度としてランダムに政治家を選出する方法は歴史的事例があるが、それこそ選出された時点で辞退するのが大半になる(現職との兼任が不可能であるから) >すばらしいと思うのですがだめでしょうかね。 素晴らしいと思う感覚が理解できないが、その適否について政治理論的におおよそ結論は出ている 実行した時点で衆愚政治に陥ち、早晩、政治破綻する 極めて簡単なことである。質問者のように軽薄な政治知識で感覚的な意見しか出来無い人間が政治家になれば、中長期的な政策・整合性のある立法・法の安定などの政治基盤的な制度を崩壊させるような意思決定を行うのが目に見えている。 質問者のようなレベルは国民に多く存在するだろうし、それを否定する必要性はないが、アメリカのジャクソン・デモクラシーのように立体・重奏的な政治思慮が出来無い、迎合的な政治思慮しか出来無い領民が政治主導権を握れば 童話「アリと”キリギリス”」における、”キリギリス”な政治になるだけでしかない 政治は、アリであるべき部分の方が多いことは言うまでもないだろう。 質問者は政治云々言う前に、己の日本語力・表現力を見直すのが適切だろう。 それから質問しろ、とは言わないが、倒置法表現の無意味な多様は醜悪なだけの文章である

noname#151518
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

ダメだと思います。 1,国民なんて、総理の名前さえ知らない人がゴロゴロ   しています。   GDPの議論をしていても、そのG何とかって何ですか。 2,政治は裁判ほど単純ではありません。 (1)裁判は、殆どの資料が裁判員に公開されます。  しかし、政治は、特に外交などは、一部しか  公開できません。  理由は判りますよね。 (2)裁判は、常識を持っていれば、そんなに間違えません。  法律は、常識に合致するように作られているからです。  しかし、政治は違います。  何が国益か、は非常に難しい問題です。  TPP、一つとってみても、判るでしょう。  専門家の間ですら、議論が錯綜している問題を  素人がどう適切に判断できるというのでしょうか。 3,国民は色々なしがらみを持っていますよ。  農業関係者は農業にしがらみを持っています。  どこの団体にも属さない国民がいたとしても、  自分にしがらみを持っています。  国益ではなく、自分にとって得か損か、で  判断することになりかねません。  

noname#151518
質問者

お礼

ありがとうございます。

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