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人を信じたい

こんにちは。 僕は昔から人のことが信じられません。その瞬間なら信じられるのですが、長期的に信じることができないのです。告白されても相手のことが信じられなく、断ってしまうし、友達のこともどこかで疑ってしまいます。本当に信じられる人は、両親くらいで、これは信じるというよりもどうでもいいやという諦めに近い感情。腐れ縁みたいな感情です。それはそれでいいんですが。。。僕は、孤独には強いので、このような状況でも生きていくことはできます。しかし、精神的にとてもつらいのは事実です。 なんでだろうと、いろいろ考えました。 今僕が直感しているところでは、結局、人は自由意志をもっていない。人は僕自信を見ることは絶対にできないということです。すべての人は、さまざまな権力関係や、思想の影響を受けていて、ものごとを正確に見ることはできないんじゃないか。さまざまな色眼鏡で僕のことを見ているのではないか。と、間違っているとは知りながら思い込もうとしている毎日です。(フーコー、ニーチェなど) 結局僕に残された道は、相手を信じることではなくて、受け入れる、あるいは、完全に自分を受け入れてもらう、ということだけになってしまうと思います。 だれか、この複雑に絡み合った僕の腐った心の糸を解いてくれるような人はいないでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • hal
  • ベストアンサー率16% (11/67)
回答No.5

#3で回答させていただきましたhalです。 お返事いただきました。 そうですね、相手が自分の事を「こう思っているだろう、この人は・・」というのも相手の思いとは違うであろう決め事ですね。。。 実は以前のわたしも「わたしなんかに人は関心を持ってくれるはずがない」と思っていました。 でもね、それってとても相手に対して失礼な事だとわかったんです! 自分をないがしろにすればするほど相手に失礼だという事が段々わかってきました。 まず、自分自身を信じてあげる事が人を信じる事への近道かもしれませんね^^ あ・・最後になりましたが是非電話してあげて自分が無視してしまった事の思いを話してみてはいかがですか?

tricleore
質問者

お礼

>自分をないがしろにすればするほど相手に失礼だという事が段々わかってきました。 泣きそうです。 >あ・・最後になりましたが是非電話してあげて自分が無視してしまった事の思いを話してみてはいかがですか? 「さっき図書館にいたよね」と、会話を始めたいところですが、電話に慣れていないため難しいです(汗)。授業で隣の席に座ったりしていたのに。このままでは、僕が彼女を避けているみたいです。。。はぁ。

tricleore
質問者

補足

僕は少し精神的にやんでいるので、この複雑な心境のまま電話をすることは相手に、不必要な混乱を与えてしまうと思います。。

その他の回答 (15)

回答No.16

こんばんは、tricleoreさん。 今のtricleoreさんの思いは、 ☆人を信じたいのに、なかなか信じられない。。。 ☆信じても良いけど、もし裏切られたらあまりのショックで立ち上がれないので、なかなか人を信じる事が出来ない。 っていうことでしょうかね??。 『信じる』・・・、僕もこれについてよく考えたんですが、どうもこの“信じる”っていうことは、全て自分の創造や思いの世界で判断してるのではないか?って思ったんですよね。 というのも、人間ってある状況やある立場になったとき、考えや思考や価値観など、変わることがある生き物だと思うんですよ。 なのに、ただ単に『信じる』っていうのは、なんか変だな~って思うんですよね。。。 つまり、Aさんという人を信じる場合、Aさんという人間そのものを『信じる』んじゃなくて、「Aさんの○▲□★は信じられる」、あるいは「Aさんの●△◆□★を信じてみる」というように、人そのものではなくて、何か具体的なことに対して、信用するかどうかなんだと思ったんです。 それで、tricleoreさんの場合、人を信じたいけど信じられないということですが、 今の時点で、その人の何を信じられるのか。今は何を信じられないのか。 その辺を見極めるようにしてみてはどうですかね?。 これは僕の場合ですが、友達でBさんという人がいるんですが、その人は何を言ってもすぐに他人にバラしてしまうので、そういう点については信じられない。(絶対に信じられない笑。) だけど今の時点で信じられることは、これは極端だろうけど、僕に対して暴力は振るわないし、そんなに僕の悪口を他の人に言うような人ではない。 と、そんな風に具体的に絞って、信じる部分と信じないに部分に分けています。 tricleoreさんはどうでしょうか?。友達でもご両親でも、信じられる部分信じられない部分、思い当たる事は無いですか?。 それと、今、僕がtricleoreさんを信じている部分ですが、mukutanさんのお礼に書いてあった「僕が相手のいいところしか目に付きません。」というところを読んで、 僕のこのアドバイスを読んで、何かしら良いところは感じ取ってくれるんじゃないかなあ~(笑)って、勝手に想像(信用)しております笑。 それとまた思い出したことがあるんですが、松下幸之助さんの人生心得帖という本に、信頼について載っているんですが、それには、『「まず信頼すること」、「信頼してだまされるのならば、自分としてはそれでも本望だ!」というぐらいになれば、案外人はだまさないものではないか・・・』というようなことが書いてあります。 これを読んで、騙すより騙されたほうが、僕らしくていいんじゃねえかなぁ・・・(情けないけど(;^_^A アセアセ)って言い聞かせていますね。ちょっと誇りかも!?(笑)。

tricleore
質問者

お礼

『「まず信頼すること」、「信頼してだまされるのならば、自分としてはそれでも本望だ!」というぐらいになれば、案外人はだまさないものではないか・・・』 すごく、いい言葉ですね! 僕もそのように考えて生きていこうと思います! 回答ありがとうございました。

  • latipes
  • ベストアンサー率36% (63/173)
回答No.15

こんにちは, 私なりに,感じたことを・・・. >告白されても相手のことが信じられなく、断ってしまうし、 >友達のこともどこかで疑ってしまいます。 なんだか,信じられないというよりも, 自分が傷つきたくないから, 防衛しているのかな~って思いました. 信じられないというより, 信じて裏切られるのが怖いし,傷つきたくないのかなって. >人は僕自身を見ることは絶対にできないということです。 >すべての人は、さまざまな権力関係や、思想の影響を受けていて、 >ものごとを正確に見ることはできないんじゃないか。 >さまざまな色眼鏡で僕のことを見ているのではないか。 質問者様は,本当の自分がどんな自分であるか, 知っていますか? また,それが正確だと言い切れますか?  ある人の言葉で,人は,見たいように物事をみるというのがあります. おそらく,質問者様も他者を見るときに, 自分が見たい他者を見ているだろうし, 自分を見せる時も,見せたい自分を見せているのかな~って思います. 質問者様に限らず,一般的にそうなのかなって.  だとすると,何が本当の自分なんて,みんなわからないんじゃあないかなって思います.  他者が,本当の質問者さまを見ることが出来なくっても, それは,質問者様も同じってことで,お互い様だから, まあ,それは,それでいいかなって思います. (というか,ここでは仮定的にいいことに(*^-^*)) >結局僕に残された道は、相手を信じることではなくて、>受け入れる、あるいは、完全に自分を受け入れてもらう、 >ということだけになってしまうと思います。 (*゜ー゜)(*。_。)(゜-゜*)(。_。*)ウンウン たしかに,そうかなって思います. 相手を,信じるのでなく受け入れるのなら, 自分も傷つくこともないから, 質問者様にとっては,信じるよりも受け入れる方が 出来そうだって感じるのかもしれません. 受け入れるってことは, 潜在的に裏切る友達でもそのまま引き受けるということだから, ある意味,自分が信じる,信じないという判断に依存しないぶん楽なのかもしれません. でも,あるがまま受け入れるっていうのもなかなか難しいですよね. なんか,諦めとかはいってしまいそう.  人を信じれる人って強い人だと思います. 人を信じるために必要なのは,強さなのかなって. たとえ,信じて傷つけられても,それでも相手を大切にできる,相手を大事に思える強さが必要なんだろうって.  だから,質問者様が人を信じたいって思うのなら, それだけの強さや,信じようという勇気, 裏切られてもいいと思える潔さなどが必要になってくるのかなぁ.  なんとなく,質問者様は傷つきやすい人(感受性の強い人)なのかなって思うので, もしかしたら,質問者様にとって,信じるってことは命がけなのかもしれないって思ったりします.  なんか,勝手な考えを一方的に書いてしまいました. まとまりのない文章であることを申し訳なく思いつつ・・・.

tricleore
質問者

お礼

>質問者様は,本当の自分がどんな自分であるか,知っていますか? また,それが正確だと言い切れますか? 自分は「こんな感じかなぁ」っていうイメージは持っていますが、完全に知っているわけではありません。自分というのは定義の非常に曖昧な観念だと思っています。 確かに、自己防衛の気持ちは強かったと思っています。自己弁護するわけではありませんが、それは必要だったような気がします。これからは、潔く人を信じていこうと思います。 回答ありがとうございました。

  • Maylin
  • ベストアンサー率57% (4/7)
回答No.14

tricleoreさん、おはようございます! まだ締め切られていないようなので、参加させて頂きます。 私はあなたよりず~っと年上の女性で、若い男性とは物事を考える視点が違うのですが、あなたの質問の内容がとても気になりました。 これも何かの縁でしょう。 あなたは学生?それとも社会人? 誰にも頼らず、自分ひとりの力で生活をされているのですか? あなたは本当に孤独なのですか? 家族もいないし帰る家もないというわけではないのでしょう? それは孤独ではなく、孤立というものではありませんか? >僕は昔から人のことが信じられません。 その若さで昔からなんて… 子供の頃からということですか? あなたがそうなってしまったのには、何かキッカケがあったのですか? それとも、自分が置かれている環境の中で、そのような感情が積み重なってしまったのでしょうか? あなたが自分を守るために、心のドアを一気に閉めてしまったのか、少しづつ閉めていったのかはわかりませんが、ご丁寧に鍵までかけてしまったようですね。 そして、その「カギ」をなくしてしまったのではありませんか? カギをなくしたあなたは、感情がぎっしり詰まったその重いドアを動かせません。困りました… 今のあなたはそのドアの前に座り込んで、どうしようかと考え込んでいるようですね。 ドアを開けるのは恐いけど、開けてみたい。でも今は開けたいけど、開けられない。開ける方法がわからない。 閉ざされた心に住み慣れたあなたは、このままドアが開けられなかった時のために、自分自身に対する言い訳まで考えていますね。 でも、それはあなたの本意ではないでしょう? 鍵を壊すか、ドアを壊すか…手っ取り早い方法ですが、それだけリスクも大きいでしょう。 時間がかかっても、どこかにあるはずのスペアキーを探しに行きますか?別の出口を探しますか? それとも…ドアを叩いて助けを求めますか? どちらにせよ、行動を起す準備はもう出来ているようですね。 あとはあなたが立ち上がるかどうか…ですよね?! あなたは自己主張がうまく出来ないと思っているようですが、そんなことはないですよ。 Web上で匿名の特殊な環境ということもありますが、自分の悩みを他人に打ち明けました。 そして、あなたのためにたくさんの人がここに集まってくれて、コミュニティが出来上がったのですよ。 その中心にいるのは誰でもない…あなたです。そこにはあなたがしっかり存在しています。 これもあなたが心のドアを開けるステップのひとつになったことでしょう。 どのような形でも、人と対話して自分と違う意見に耳を傾けようとしたのですから…ね。 これだけ多くの人達が見返りを期待せずに、あなたを応援しているのですよ。 人は無意識のうちに「自分の物差し」で人や物を測ろうとします。 人によって、その物差しの長さは違います。 それは個人が持って生まれたものではなくて、物差し=人生経験ではないかと私は思っています。 社会に出れば、イヤでも人とかかわらなくてはなりません。 それが良い事であっても、悪い事であっても必ずあなたにとってプラスになります。 時には人に振り回されたっていいじゃない、見返りがなくてもいいじゃない? 人は人とかかわり合い、泣いたり笑ったり怒ったりしながら、さまざまな経験を積んでいくものです。 人は自分で痛みを知って、初めて人の痛みもわかるのです。 今のあなたの短い物差しで、何を測ろうというのですか? 結局、人間は理屈じゃ語れないのです。 あれこれ考えるのはもうそのくらいにしましょうよ。 あなたのお話から受ける印象として、普通に生活している分には何も問題がないように思えます。 ただ、同年代の人達とのコミュニケーションがうまくとれないだけではないですか? 自分は他の人達と同じレベルではないというようなプライドの高さが邪魔をしてるのかしら…? プライドの高い人ほど、いろいろなことで悩むものですよ。 でも、性格なんてそう簡単に変えられるものではありません。 それより、自分のいる環境から変えてみてはどうでしょう。 行きつけのお店を作って、そこにいる人達(お店の人や常連さんなど)と短い会話を楽しむことから始めてもいいでしょう。 CDショップやレンタルビデオ店、喫茶店やコンビニでもどこでもいいのでは? 同じ人と何度も顔を合わせていれば、自然と挨拶から会話に進むものです。 他にも、床屋さんを美容室にしてみるとか、今まで着なかった色やデザインの洋服を着てみるとか… 人は外見を変えて自分を演出することも出来るのですよ。 結果を考えずに何かを始めてみることが今のあなたに必要なことのように思えます。 >だれか、この複雑に絡み合った僕の腐った心の糸を解いてくれるような人はいないでしょうか。 そんなものハサミで切ってしまいましょう。 将来、あなたがふと立ち止まった時に、「自分の人生は何だったんだ?」と問うのではなく、 どんな状況であっても「これが自分の人生なんだ!」と胸を張っていてほしいと思います。 長くなってしまって、ごめんなさいね。 最後まで読んでくれてありがとう!

tricleore
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とてもイメージし易かったです。 何処にいても孤独感を感じ、胸が張り裂けそうです。世界とコミュニケーションを取り戻すために、少し粗い方法をとってしまうかもしれません。僕は人を傷つけたくないと考えているのですが、何もしなくても傷つけるものは傷つけるし、迷惑なものは迷惑なので、あまり神経質に考えないようにしたいと思います。 具体的なアドバイスもありがとうございました。

  • wind101
  • ベストアンサー率7% (1/13)
回答No.13

#8です。おはようございます。 >孤独に強いということは、孤独で精神的につらいということに >耐えられてしまうということを意味していると思います。 >孤独に弱い人は、簡単な人間関係をすぐに作りだすでしょう。 >精神的につらいという状況に耐えられないからです。そう、思いました。 そういう考え方も、あるかもしれませんね。 確かに、法句教というお経だったはずですが、「友は、選びなさい。」と ありましたからね。 ただ、人は「人の中でこそ磨かれるもの」ですから、人を避けていては 自己の精神的成長が阻害されるでは、とも思っています。 そうではないと、また、叱られそうですが。 もし、強い人間を望むなら、「孤独に強い」と言わずに人の輪の中に 入られてはどうでしょうか。 自分のことだけではすまなくなり、いろいろと煩わしい問題を抱えることになるとは 思いますが・・・。 人としての器というものが大きなり、視野や考え方も 独りでいるときとは 違う考え方になってる自分に会えるかもしれませんよ。 「自分を救う者は、自分しかいない。」という言葉があるように、 自分で、自分を育てるとことです。 >結局僕に残された道は、相手を信じることではなくて、受け入れる、 >あるいは、完全に自分を受け入れてもらう、 >ということだけになってしまうと思います。 「愛されたければ、まず、愛を与えよ。」という言葉があるように、 信じてもらいたければ、まず、こちらから信じることですよ。 また、自分を受け入れてもらいたければ、まず、自分が 相手を受け入れることです。 まず、自分が動かずして、先に相手に求めるのはどうかと 思うのですけど、どうでしょうか。

tricleore
質問者

お礼

おはようございます。 >ただ、人は「人の中でこそ磨かれるもの」ですから、人を避けていては自己の精神的成長が阻害されるでは、とも思っています。 人それぞれだとは思いますが、やはり僕の場合人の中でもまれる精神的に成長するという機会が乏しかったような気がします。人の間に入ると、その場にいる人々の影響を受けすぎてしまい、自分自身が保てなくなるという恐怖がありました。今はそういうこともなくなってきたので、少しずつ人の間に入れるようにしていきたいです。 >信じてもらいたければ、まず、こちらから信じることですよ。 僕もそう思っているのですが、具体的にどういうことをすればよいのかわかりません。とりあえず、人と離すようにしたいと思います。 回答ありがとうございました。

回答No.12

こんにちは! きんぱち先生の送る言葉に「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい。人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから」 とありますよね。 でも本当にこれだけが正しいとは思いません。 優しい人は確かに人から好かれたり信じてもらったりすると思いますが、優しいだけだとだまされたりする危険もあります。 でも傷ついた分人は優しく強くなるんだろうと思います。 傷つくのは嫌ですが、優しく強い人間になりたいですね。

tricleore
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 もう、つらすぎますね。生きるって^^; 傷ついてさえいない僕は、だめですなー。

  • Emile
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.11

>さまざまな権力関係や、思想の影響を受けていて、ものごとを正確に見ることはできないんじゃないか。 あなた自身はどうですか? さまざまな権力関係や,フーコー,ニーチェなどの思想の影響を受けずに,ものごとを正確に見ることが出来ていますか? 私は,あなたがものごとを正確に見た結果,人のことが信じられないと思うのであれば,それはとてもよいことだと思います。 そう思うことが精神的にとてもつらいとしても,ものごとを正確に見た結果,それが真実なのであれば,真実ゆえに受け入れる。そういう生き方はとてもよいと,私は思います。

tricleore
質問者

お礼

(哲学者の名前出さなければよかった。汗)僕は彼らを完全に理解できているわけじゃないし。。。つい、書いちゃいました。 僕は物事を正確になんて見れません。できるだけ、自分がいきやすいように見ようとしていますが、難しいです。真実なんてないや。たとえうそでも、幸せな人生を送れるような見方を獲得したいというのが正直なところです。 回答ありがとうございました。

  • kaburi1
  • ベストアンサー率28% (147/521)
回答No.10

はじめまして。私も人を信じれない方だと思います。人を信じて裏切られたことが今まで数え切れないほどあり。人を信じるのも苦しい、人を信じないのも苦しい。裏切られるかもしれないと常に思わないといけないから、人を信じれない自分が惨めで孤独で悲しくて。できれば、人を信じたい。それがホンネ。でも、今の社会を生きにいていくうえで常に誰かにだまされないかとリスク管理を自分でやっていく必要があるのも現実。誰でもを信じるのではなくこの人ならって人だけ信じていく。それで裏切られたら見る目がなかったんだと諦める。哲学がということですが、それも大事。それよりも自分が自分を信じ続けること。それができなくなったら他人を信じることさえできなくなってしまいます。

tricleore
質問者

お礼

はぁ。 kaburiさんの書き込みをみてね…、とても、kaburiさんは素直な人なんだなぁと思いました。完敗です。 僕はね…、 人に裏切られたことがほとんどないんです…、 ということは、 最初から、人を信じようとしていないということが あるんだと…、 思います。 kaburiさんは、とても素直で、人を信じて そして、傷ついていくような人なんでしょうね。 とっても、愛らしく感じます。 自分が自分を信じ「続ける」こと。 そうですね。僕にはこれが欠けています。でも、非常に難しい ことですなー。

回答No.9

 哲学はさっぱりですので、フーコやニーチェは名前くらいしか知りませんが、 >人は僕自信を見ることは絶対にできない >すべての人は、さまざまな権力関係や、思想の影響を受けていて、ものごとを正確に見ることはできない >さまざまな色眼鏡で僕のことを見ている この三点については当たり前だと思うのですが。  相手に意思を伝える時、口を使って言葉で伝えなければ意思や感情、気持ちは伝わりません。また、言葉というものは、正確には、自己の内部にある相手に伝えたいもの(意志、感情、気持ち)を完全に表現する事は不可能ですので、全てを伝える事ははじめから無理なのです。  どういうことかと言いますと、何か一つの事柄について伝えようとする時、自己の内部には様々な感情や思いがあり、それらが重なり合って一つの感情や意志となります。その上、深層心理といわれる、心の奥底に眠っている、自分では確認のしようのない感情なども、人間の思考には影響を与えています。自分にも分からないことを、相手に正確に伝えることなんて絶対に出来ないのです。  だから、第三者が自分のことを正確に知ることも、見ることも出来ないし、同様に、自分も他者のことを正確に知ることは出来ないわけです。  更にそこに、社会的な環境(職業、財産、所得、身体的特徴、性格、その他様々な事柄)が加わって相手を判断したりしているわけですので、相手を知ることは絶望的ですね。  人それぞれ、様々な人がいてもいい、普通や標準などというものは存在しない、というのが私の考えですので、別に無理に人を信用しようとする必要はないと思います。むしろ、人を信用できない自分に対してジレンマを感じてしまうことの方が問題だと思います。ここの回答者の方も言っていますが、世の中の人々は必ずしも人を信用しているわけではありません。信用していない、或いは、出来ない人達も沢山いるわけで、別にtricleoreさんが特殊なわけではありません。 >結局僕に残された道は、相手を信じることではなくて、受け入れる、あるいは、完全に自分を受け入れてもらう、ということだけになってしまう  恐らく、相手に自分を受け入れてもらう事は無理だと思います。世の中には、とても包容力があって、あらゆる人を飲み込んでしまう凄い人がいるのも事実です。人は、そういう人をカリスマ性がある、と言ったりします。  ですが、そういう人に出会う確率は限りなくゼロに近いですし、仮に会えたとしても、悪質な新興宗教の教祖であった、などという結果になる危険性が高いです。  自分が人を信じてあげられないなら、自分のことを信じてくれる人を受け入れてあげる人になればいいと思います。  人には、一種の属性とでもいうべきものがあるようで、受け入れることしか出来ない人と、受け入れられる人しか出来ない人の二通りがあるように思います。無論、ほとんどの人は両者の性質を兼ね備えていて、どちらか一方に極端に偏ることはないのですが、tricleoreさんは偶然にも一極によってしまったのでしょうね。  以上、勝手に思ったことを書いてみました。

tricleore
質問者

お礼

回答ありがとうございます。非常に論理的でわかりやすかったです。哲学者のことは僕も生半可な知識で名前を挙げただけなので、ちょっと反省しています。とりあえず、傾向としてこういう風に考えているといったほうが、答える人も答えやすいだろうなぁと考えたりもしていました。 そうですね。最初のことはあたりまえなんですよね。僕が他人に完全に理解されないのと同様に、僕が他人のことを完全に理解することは、不可能なんです。自分だけが被害者のように思っていました。自己弁護するわけではありませんが、傾向として、僕は高校時代、僕以外(ここらへんがエゴイスティックです。汗)の人々は集団思考をしていると病的に思い込んでいた時期があります。このくせは今でも少し残っていて、人が集団になるとその集団としての思考を身に付けるということに関して恐怖心があります。一人一人は内心そのことを否定していても、外にあらわすものは、その集団の価値判断なのです。そして、その価値判断は暴力的です。僕はこのことに少し敏感すぎるところがあると思いますが、こういう考え方は完全に間違っているとはいえないと思っています。僕は一人旅が好きですが、一人旅をしていると、その場その場で、小さな集団ができ、消えていくということが繰り返されるわけで、ここには集団思考が生まれにくいということがあるからだと思います。 回答ありがとうございました。

  • wind101
  • ベストアンサー率7% (1/13)
回答No.8

はじめして、tricleoreさん。 >僕は昔から人のことが信じられません。  私も昔はそうでしたが、よく考えてみますと 人は独りでは生きて行けません。  例えば、自閉症やらひきこもりとなっても 何らかの形で人様の世話になっているのが実情です。 それでも、コンビニの弁当を買って食べていても 自分は人の世話にはなっていないとか、親の世話には なっていないとか言ってウソブキ、 自己分析ができない人もいます。  世の中で生きていく以上、何らかの形で人間関係はできるものです。 その中で、人を信じることができないのは寂しいものです。 私自身も、人に騙されたりとか失敗しながら人を観る眼を養いつつ それでも、信じるにたる人は信じようという強い心を 持ち続けいたいと思っています。 捜す努力をすれば、結構、そういう方にお会いできるものです。 途中で、投げ出さない限り。 まだまだ、世の中、捨てたものではありません。 >僕は、孤独には強いので、このような状況でも生きていくことはできます。 >しかし、精神的にとてもつらいのは事実です。  文章に、矛盾が見られますね。 精神的につらいのであればtricleoreさんは、孤独に弱いのではないでしょうか。 でもそれは、皆同じです。  中には、老齢になってからも寂しさに耐えながら生活している人もいるのですから。 それは、その人の人生の中で人とのコニュミケーションをどう築いてきたか という努力の結果を人生の晩秋で摘み取っているのです。 そういうことに関心を持たなかったのか、努力をしなかったのか、 それとも、人間関係に疲れて諦めてしまったのか等、いろいろだとは 思います。 それでも、自分を信じ、そして人を信じる心を失わず、頑張りたいものです。 >人は僕自信を見ることは絶対にできないということです。・・・ >さまざまな色眼鏡で僕のことを見ているのではないか。と、・・・  「ジョハリの窓」という一つの考え方があるのですが、 それは、自分自身を大きな窓だと仮定して、そこに次の4つの窓が存在するとし A:自分と他人に分かっている部分 B:自分には分かっていないが他人に分かっている部分 C:自分は分かっているが他人には分かっていない部分 D:自分にも他人にも分かっていない部分 どの窓が大きいかを、分析して自己分析するものなので 以下のHPで、その心理テストを試してみて自分を再認識してみる 実験をしてみてはどうでしょか。 http://www.e-kotoba.net/e-top/e-mind/mind31.html いろいろ考えてみて下さい。

tricleore
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >僕は、孤独には強いので、このような状況でも生きていくことはできます。 >しかし、精神的にとてもつらいのは事実です。  文章に、矛盾が見られますね。 そうでしょうか? 孤独に強いということは、孤独で精神的につらいということに耐えられてしまうということを意味していると思います。孤独に弱い人は、簡単な人間関係をすぐに作りだすでしょう。精神的につらいという状況に耐えられないからです。そう、思いました。 >それでも、自分を信じ、そして人を信じる心を失わず、頑張りたいものです。 「それでも」というところが重要ですね。泣けてきました。 「ジョハリの窓」ですか、面白い考え方を教えていただき、ありがとうございました。

回答No.7

人が一人存在すれば、自分が思う主観と周りから見る客観的な自分がいますよね、すべてあわせて「自分」 相手に100%自分を理解してもらうことは限りなくゼロに近いかなあと思っています、自分にでさえ分からないときもあるしこれって普通かなって。でも、こんな感じ?(^^*だけでも通じ合えることって沢山あると思うし 結構上手くいったりします。tricleoreさんはきっと真面目な方なのでしょうね★ちなみにそんなじぶんのこと 好きですか?まわりにどう思われるか?とか気にせずに。自分を見つめ直してみると開ける気が・・。 たとえばですが一人の人間Aさんがいます、その人のこと 10人中、9人が「こんな奴~」と思ったとしても一人(Bさん)が Aさんは最高!って思っていたらだれが言おうとAさんは最高の部分があるんですよ。 だからたくさんの人から愛されるのも幸せだけど、なかでも Bさんから愛されていると思ったならば、(縁あって自分もBさんがすきだったら)素直に信じてみてはどうでしょうか?もし失敗したって ああ、信じなければ良かったーだけで終わらないですよ 一瞬の積み重ねだって永遠のものにいつかはつながるって思っています私は!そう簡単にはめぐり合えないもの人生じゃないでしょうか? ・・(^^*だから楽しいともいえますよね??回答になっっているか不安ですけど・・。

tricleore
質問者

お礼

>・・(^^*だから楽しいともいえますよね?? ん~(苦笑)。tasukudonさんはめぐり合えたんでしょうかね。僕も、そういいたいのですが、やっぱり、今の状況ではいえません(汗)。 僕は、周りにどう思われるかはあまり気にしていないと思います。しかし、これからもう少し、このことを気にしていこうと思っています。やはり、はじめから逸脱者として「私を受け入れろ!」というのも強引な気がするので(汗)。そういう生き方もいいと思いますけどね^^;。 >Bさんから愛されていると思ったならば、(縁あって自分もBさんがすきだったら)素直に信じてみてはどうでしょうか?もし失敗したって ああ、信じなければ良かったーだけで終わらないですよ tasukudonさんはやさしい人ですね。本当に。信じなければよかったでは終わらないですね。(^^)一瞬の積み重ね。ちりも積もれば山となる。山となってしまえば容易に動かしがたい自信につながるかも。不信感も山となってしまうのだろうか。。。そうかも。。。 まぁ、いいや。人を信じようとして、失敗するという経験を繰り返していこうと思います。そんなに失敗する可能性は高くないかもしれないし。もし、失敗する可能性が高いのだったら、また、違ったアプローチで人生に立ち向かっていきたいです。

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