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私がなぜ花が嫌いなのか
- 私は、悲しいことに花が大嫌いです。におい、見た目、苦手です。
- 花は触れません。汚ならしく感じます。花束を触るのは苦痛です。
- 私は小さいときにおばさんによく面倒を見てもらっていたが、母親の妹のおばさんは花を習っていて、においが臭く触るとぞっとしました。
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質問者が選んだベストアンサー
嫌いとまではいかないけど、 好んで活けたりはしません。 体調が悪い時に、強い花の香りは気持ち悪くなります。(特にユリなど。) 生け花の水に浸かる茎の部分は生臭く思います。 幼少期に、そんな臭いのする中で食事をとらされたり、 むりやり触らせられたりしたのではないのでしょうか?
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- testes21
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>私はなんで花が嫌いなんでしょう? これは、質問者様にしかわからないことです。こじつければいろいろ考えられますが、何かが嫌いな理由は人それぞれですから。 心理学に関する専門的な資格を持つ人に分析してもらうのも一つの手ですが、心理分析の結果は実証が難しいものですから(経験的・統計的にこうらしいということは言えるが、同じ結果でも同じ原因があるとは限らないので、客観的な根拠はないと言えばない)、精神疾患の症状があれば、薬やカウンセリング等で直すしかないし、日常的に困ることがなければ、自分で勝手に納得してそのままにするしかないです。 >花が嫌いな人はいますか? 嫌いというか苦手です。 花も生物ですから、世話をしなかったり、切ってしまったりすれば、いずれ腐るでしょう。腐るもの(有機物)が苦手なのです。腐ってしまうと、汚くなりますから。 自分で自分の世話をある程度する生き物(人間やペットなど)は平気ですが、自分で自分の世話ができないもの(植物、食品)は苦手ですので、家になるべく置いておかないようにしています。(食べ物は食べなければいけませんから、水周りの掃除をこまめにし、容器や残飯はなるべく早くゴミに出すという意味です。)
お礼
ありがとうございました。 気にしないようにします。
- g8r2e7en
- ベストアンサー率25% (240/932)
花を見ると、お花=おばさん=小さいころのさびしかった気持ち…という連想が起きているのではないでしょうか。 だから、お花をみると嫌な記憶がよみがえってくる。 パブロフの犬のような条件反射ですね。 案外ずっとずっと好きだった人から告白されたときにバラの花束を渡されたら、そういうトラウマも消えるような気がします。 または、匂いに過敏な人は嫌いになるかもしれません。 香水やアロマなど、わたしは大嫌いです。 頭が痛くなってきます。 柔軟剤の匂いくらいなら大丈夫なのですが。 質問者様も観葉植物などは別に嫌いじゃないのではないですか? ドライフラワーはどうでしょう。 造花は? どうもおばさんとのかかわりが鍵のようですね。
お礼
ありがとうございました。
補足
皆様ありがとうございます。 ドライフラワーも観葉植物も造花もみなだめです。葉っぱも苦手です。
- orihhme
- ベストアンサー率0% (0/1)
あくまで私の場合ですが…参考になったらと思って “嫌い”とまではいかなくとも私も子供の時はあまり花が好きではありませんでした。 周りの人がみんな花を見て“きれいだねぇ”って言ってるのを私一人は“どこが?”と思っていました。近くで見れば見るほどどちらかというとグロテスクなもののように見えていたような気がします。花のない植物の方が好きでした。今でも毎年春になると公園とかに桜を見に行くのですが、いまだにきれいだなとは感じないです。 高校生の時か大学生の時かはっきり覚えてませんが、ある時花を見て一瞬で元気になったというか明るい気分になったことがあります。 “まさか花を見てきれいだと思う日がこようとは”と自分でも驚きました。 考えてたどりついたその理由ですが よくTVとかで“花には人を元気にするエネルギーがある”みたいなことをよく聞きませんか? きっと花の特徴の一つなんだと思うし、花が好きな人もそこに惹かれていたり癒されてる人が多いんじゃないかと思いますが それを思い出してわかりました。 子供の頃の私は花よりも自分の方が元気いっぱいパワー全開でエネルギーの塊みたいなものだったから、花を見ても花が放ってるエネルギーを何とも思わなかったんだと 私が持っていたエネルギーは花が放っていたエネルギーをはるかに超えていたんじゃないかと、もしくは同じぐらいはあったんじゃないかと 花がきれいに見えたときの自分は重く暗くなっててまったく元気がありませんでした。だから花を見て花が放ってる明るいエネルギーを感じて自分も元気になったというか元気をもらったというか。それがきれいだなって感情とつながったんじゃないかと 今も激しく落ち込んではいなくても子供の時ほどパワー全開ってわけではないからか花があると目がいっちゃいます。 子供の時は花からのエネルギーなんていらないくらい自分が元気だったというか、花が明るいエネルギーを放っていたとしても自分の方がよりパワフルだったから花が“いいもの”に見えなかったんじゃないかと だから花の放ってる明るいエネルギーに惑わされることなく(笑)花そのものの形状を見ていたんじゃないかと 花の形とかそれだけをみたらそんなにきれいには映らない気がします。 長くなってしまいましたが そのときの自分の状況や心境や考え方とかで同じもの見ても違って見えたり、自分に変化があったことでそれ以前の自分がどんなんだったのか、心の奥深く無意識なことすぎて気づけなかったことにやっと気づいたりするんだと思います。 質問者さんの長年のなぞもいつか気づける日がくるといいですね。
お礼
ありがとうございました。 私は自分がどんな状態でも、植物全般が苦手です。 果物全般も苦手なので(これは保育園で無理矢理食べさせられたから苦手)、女性らしさにかけるなと悲しくなることもありました。 変化を期待したいです。
- Hilbert23
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私は、兼業農家に育ちました。 稲は切っても切れない大切な作物ですが、 小さいころ、藁束をいじっていて指をスパッと切ってしまい、 以来、どこか稲が好きにはなれませんでした。 農作業も単純作業の繰り返しで、退屈で辛く、 田植えの時に泥水に足を浸してぶるっと震える感覚も嫌でした。 草取りに入って、稲の刃先がチクチクと体に刺さるのも嫌でした。 稲刈りの時に、稲のホコリが舞い散って、眼や鼻をイガイガさせるのが嫌でした。 稲作にある種の愛着、米粒への畏敬の念が芽生え始めたのはようやく、大人になってからです。 あんなに苦痛だったことが、なんでもなくなります。 考えは変わると思います。 一つの仮説ですが、やはり土いじりは、抵抗力の低い子供たちにとっては、 土の中にいる様々な雑菌、植物が成長段階で分泌する成長抑制効果のある環境ホルモンなど、 危険が多いのではないでしょうか。 だから、本能的に忌避感を覚えるのかもしれません。 年相応になってくれば、かつてのおばさんがどんな気持ちでお花を活けていたのかなど、 トレースしながら、記憶を辿っていく作業が楽しくなることがあると思います。 農作業で苦労しながらも 「ああ爺さんも同じように苦労してたんだろうな」 と思うと、気持ちが奮い立ちます。 年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず という詩があります。 毎年、花は同じように咲くけど、年ごとに、人は変わっていくものだという意味です。 貴方が叔母さんを好きだったかどうかは自分には知りえませんが、 花を通じて、その時の人の気持ちが理解できる時が来るかもしれません。
お礼
私はおばさんが大好きです。 子ども時代は、おばさんには母親みたいな感覚でなんでも話せ、母親にはおばさんのような感覚でよそよそしく接していました。 ご丁寧にありがとうございました。
- pupPeTeer119
- ベストアンサー率30% (633/2077)
花というものは“性器”を象徴するものです。 子供の頃、何かの折にそういう話を聞いた事があり、尚且つ“性”というものに何某かの嫌悪感を持って育った場合、花を嫌いになることがあるようです。
お礼
そんなこともあるんですね。 私はそういう可能性はゼロです。 ありがとうございました。
お礼
むりやり触る経験はあったかもしれません。 ありがとうございました。