※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:占い師というのは 欠陥人間である。)
占い師の欠陥人間とは?
このQ&Aのポイント
占い師は自由で対等な話し合いを否定し、自分の占いを相手に押し付ける。
占い師の看板には「ここには勝手に決めつけた内容の話しかありません。それでよければ入口をまたいでください」と書いてある。
占いが一方的に情報を遮断し、意志疎通を阻害しているという印象を与えている。
(1) 互いに自由に対等に話し合いのできるという場合 その人ないしその思想に欠陥はない。
(2) この話し合いにおける《自由》をないがしろにし《対等さ》をなくすというところから 占い師は 相手と対面し 話を始める。つまりは 話し合いを落としめ 自分の占いを相手に――なだめすかしつつ――押しつける。
(3) すなわち 占い師の看板には 《ここには 勝手に決めつけた内容の話しかありません。それでよければ 入口をまたいでください》と書いてある。
(4) まあ 職業の自由であり 等価交換なるむしろ民主的な原則にのっとって この占いという生業がある。とはいちど言っておかねばなるまい。また 料金を取ってそうするぶんには 顧客が途中でも自由に席を立って出て行けばよいかたちになっているから まだましである。
(5) けれども この種の人と人とのまじわり(交通)は もはや人間を低劣な状態に落としめるところにおいてこそ発生している。つまり 自分の自由意志の発揮は確保するけれども 相手のそれは封じている――初めの入り口で封じてもよいか聞いている格好である――からには まじわりには成っていない。お客になるほうも 注意をおこたってはならない。
(6) 公共の放送などメディアにおいて この占いが取り上げられることがある。もってのほかではないか? 白痴化運動なのだろうか? コミュニケーションを一方的に遮断しているまじわりを見せて 一般に意志疎通というのは 社会力学上においては 遮断してもよい(遮断されても仕方がない)という印象をあたえつつづけている。
(7) 占い師というのは その思想(生活態度)において 欠陥人間である。
――この命題を哲学してください。見落としなどを指摘されればさいわいです。
お礼
おおよかった。ふたつの意味で。 まづは 子華さん おはようございます。ご回答をありがとうございます。 まさか《字画》さんではないだろうけれど 自話さんか紫華さんかなどまよいました。当たったのはよいけれど これって まさか占いではないですよね?! もうひとつは おおきく言って合意に達したと思われること。 (1) 占い師とカウンセラーとは区別すべしということ ★ ~~~ カウンセリングと占い師への相談やアドバイスを受けることについて、 明確に区別するべきなのかもしれません。 ~~~~~ (2) なぜなら 占い師の場合は 決めつけによって話をする。つまりふつうの人と人との話し合いではなくなっていること。 ★ ~~~~ 占う対象(人であったり、事象であったり)のことを深く考えずに、 将来を断定して憚らないタイプの占い師は、 「自分は何でも知っている。何も知らないあなたはただ従えばいい」 とか、 「あなたは自分でどう思っていようと、こういうタイプの人間だ」 と主張しているような傲慢さを感じてしまいます。 そこには対等な関係も、問題を解決しようという向上心を持った議論もなく、 一方的な主従ないし支配と隷属の関係しかないのかも知れませんね。 ~~~~~~~ (3) 占い師にも例外があるかも知れないこと。 ★ ~~~~ 私が今までお世話になった占い師の方には、 「騙されたと思って、私の言った通りにしなさい。必ずいい結果が出るから」 というようなことを言われたことはないので、 私にとってはいい占い師さんにめぐり会えただけなのかもしれません。 ~~~~~~ (4) テレビで占い師〔のたぐい〕を取り立てて番組をつくることの是非について 非とすること。 ★ ~~~~ ・・・ ただ、そうした「占い師」の言葉を、 分析もせず反証を考えずに鵜呑みにして、 ありがたがって信仰する人を大量生産するという事については、 私も「これは害毒だよなぁ」と思います。 ~~~~~~ (5) それにしても そういった《占い師》の話にいとも簡単にヤラレてしまうのも どうかと思われること。 ★ ~~~~ 自分なりの考えを持てなくなった人間は、 極論すれば呼吸する操り人形と変わりない、とも思いますので。 それを欠陥人間と呼ぶのなら、その通りかもしれない、と思います。 ~~~~~~ ――まとめていただいたかたちになります。多謝。 またお会いしましょう。