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愛憎?理解できない感情の葛藤とは何か
- 愛していた人が離れると、泣き縋ったり嫌悪感を抱いたりすることがある。
- 相手に対する思いが入り混じった複雑な感情は、どうして生じるのか疑問である。
- これらの感情は愛と呼べるのか、その真の意味について考えてみたい。
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質問者が選んだベストアンサー
個人的には、愛と呼べると思っています。 友人・家族・恋人・先輩・尊敬する師・ペット・物…その形も種も非常に様々かと思います。 愛おしく思う気持ちというのは不思議なもので、自分などどうでもいいと断言できる程大きくなる事もあります。 ですが例えば、友人や家族や好きな人などに裏切られた、またはそう感じた場合、 質問者さんがおっしゃるように往々にして相手を憎み、嫌悪する事もあるでしょう。 そして、そんな自己を嫌悪し更に憎む事もまたしかり。 これは根底にある無意識下の「期待」もあるでしょう。 自分はこんなにも相手を想っているのに 自分はこんなにも相手に尽くしているのに 自分はこんなにも相手のためを… 挙げればキリがないと思います。 そしてこの「期待」に対して裏切られたという気持ちは小さな事の積み重ねでも起こりえます。 ある人と1ヶ月以上前から週末に遊びに行く約束をしていたのに、破られた。 恐らくは相手を好意的に思っている程に怒ったり、悲しんだりと感情の起伏が発生しますね。 そしてその経験が幾度となく重なると「ムカつく」と思ったりするかもしれません。 さて、何故そう思ったのでしょうか。 これは言うまでもなく、その対象にそれだけ好意を抱き、同時に期待していたからです。 「好意を寄せている人と遊びに行ける」という期待。 これに対する裏切りの結果「ムカつく」と思う訳です。 興味がない対象に関して憎しみを抱く事はないはずですが、 嫌悪する感情はそれだけ対象に興味を持っている証拠でもあります。 裏を返せば、興味がなければ愛する事も憎しむ事もできません。 差こそあれ、結局はそういう事かなと思っています。 愛している程に腹が立ったり、愛していただけに憎しみを抱いたり、 果ては愛して憎くて愛して仕方が無くて殺したり壊したりという事も、愛憎のかたちかもしれませんね。
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- taka-aki
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欲求不満で相手から何かを奪い取ろうと欲している状態に見えます。 自分自身を「持たざる者」「犠牲者」と規定して 哀れんでる状態です。だから奪い取りたい。 それは嫉妬と恨みと自己憐憫と執着でしょう。 愛は理解と許しと感謝と受容です。 愛は苦しくない。
お礼
実に20日程日が経ってしまいまして申し訳ございません。遅いながらもお礼をさせて下さい。 相手から奪い取る…まさにその通りだと思います。 「愛は苦しくない」 目が醒める思いでした。 そうですよね。本来愛は温かく安らかなものですよね。 悲しいかな、人間は理想的には生きられないけれど 本当は誰も苦しみたくて人を愛する訳ではありませんよね…。 非常に参考になりました。 ありがとうございました。お礼が大幅に遅れるという非礼、どうかご容赦下さい。 図々しいですが もし機会があればまたよろしくお願い致します。 本当にありがとうございました。
お礼
早々のご回答ありがとうございました。 こんなにも丁寧で誠実なお言葉を頂けるとは思っていませんでしたので非常に嬉しく思います。 そうですね。友人からドタキャンされた時は私も不満に思います。(仕方ないと思いつつも…) 小さな感情も溜まりに溜まれば確かに憎しみに変わる事がありますよね…。 まだ未熟者で 愛も憎しみもさほど理解できていない私にも分かりやすく説明して下さってありがとうございます。 個人的に、たとえ憎しみを抱いていようともそれもまた一つの愛だと、言って下さって嬉しかったです。 人の数だけ愛の形もあるとはいえ、愛憎はやはり普遍的な感情なのだなと実感致しました。 この度は本当にありがとうございました。 また機会があればよろしくお願い致します。(*´∀`*)