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お金とは何ですか?
お金でやり取りする世の中のために必要なもので、働いたら貰える対価と思いますが。 しかし今は震災対策に何兆円試算とか、お金の試算が先にある話しが多々あります。 どういう試算かは分かりませんが、人が働いたり生きる前にお金の試算っておかしくないですか? まさにお金のために人が生きているようなものですが、お金とは何ですか? 場合により必要なお金なら…、言い方を変えれば人が働くためには対価となるお金が必要ですが、国家として今すぐに必要なお金ならば人が働いたと仮定してお金を作ればいいのではないですか? お金の稼ぎ方は様々ですが、国家的な緊急時の場合などは必ず労働力を支払うという行為は皆無と思います。 なぜに必ず労働力を支払うことが必要ですか? 一方では無駄なお金を使っているのになぜですか? そもそもな話しになりますが、分かりやすく教えてください。
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- pyopyo341
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>どういう試算かは分かりませんが、人が働いたり生きる前にお金の試算っておかしくないですか? 物事をやる前に計画が必要だと思います >まさにお金のために人が生きているようなものですが、お金とは何ですか? 国が補償することによって生まれた、価値の代替品 >国家として今すぐに必要なお金ならば人が働いたと仮定してお金を作ればいいのではないですか? 流通量はきちんと管理されなければ、お金の価値がなくなってしまいます >なぜに必ず労働力を支払うことが必要ですか? 増税のことかと思いますが、ギリシャのように国債の引き受け手がいなくなれば、予算を組むことができなくなるから >一方では無駄なお金を使っているのになぜですか? 多くの人が支持した人が、そういう選択をしているから >無いお金を試算することに意味があるのか?と言うことだけです。 意味があるからやっているのだと思います 日本は1000兆円近い借金が毎秒100万円以上増えていて、その中で毎年予算を考えています。 資本主義に対して不満を抱いた国が、社会主義国家になりました。 が、結局資本主義に変わる国が増えています。 そういうことをよく学べば、お金とは何かよくわかると思います。
お金は、人間が作り上げた価値の人間同士間の交換のために、人間が発明した道具である。 つまり「お金がお金を生む」ことは、本来あり得ないことである。 にもかかわらず、現実は、マネーゲームなどで、そのような現象を起こしている。 お金自体が商品となる金融商品もそうである。 あり得ないことを起こさせている今の経済環境である金融資本主義経済のお陰と、いうよりそのような社会にしてしまっている一人一人の頭の方が狂っていることに、私たちは気付くべきなのだ。 そうしなければ、「人間が造った道具に人間の方が支配される」という、殺人、自殺、戦争、原発、原爆も含む、この上もない不幸な人間社会を続けることになる。 経済活動でも、「宗教行為」とダブル面が多々あるようだ。
>どういう試算かは分かりませんが、人が働いたり生きる前にお金の試算っておかしくないですか? う~ん、気持ちはモヤモヤとしているのは、わかるのですが、現在は自給自足で完結できて生活している人は日本にはほとんどないですよね。 ですので、生きるためには食料や衣料、その他もろもろの物資やサービスを受けるためには、貨幣が必要になります。 ですので、人が働くにも生きるにも、お金を抜きにしては考えられないのです。 >必要なお金ならば人が働いたと仮定してお金を作ればいいのではないですか? 日銀がお札をバンバン刷って流通させれば!ってことですか? そうすると、お金の価値がさがってしまう…恐れが多いです。過去の歴史には、多々見られる事象です。 経済が大混乱します。(今でも混乱しているんですけれど…) そのへんについては、「恐慌」などのワードで検索してみてください。 >国家的な緊急時の場合などは必ず労働力を支払うという行為は皆無と思います。 いや、たとえば、3月の震災の処理などでは自衛隊が労働力を提供しました。 自衛隊の隊員の給与は多くは税金なので、国が労働力を提供したってことになります。 その他、警察や消防なども、国や地方自治体による「労働力の提供」となります。 福祉や医療なども、最終的には労働力の提供ですよね。 >一方では無駄なお金を使っているのになぜですか? 国や自治体の予算を立てたりする人は、自分たちでお金を稼ぎません。 税金という形で、労働して得た報酬からピンはねしているわけですから、500円を稼ぐためにどのような努力がなされているのか、実感できていません。 ですので、入ってくる見込みだけでお金を使ってしまいます。そのために、もっともらしい理由があれば、結果が無駄になっても仕方ない!ってだけでしか無いですから、ムダも少なくはないです。 これが、商売だったら「仕方ない」では済まずに何処かで帳尻を合わせる=給与が減るとかになるんですけれど…。 >お金のために人が生きているようなものですが、お金とは何ですか? >働いたら貰える対価と思います 結果としては、そう見えますよね。 でも、働いたからもらえた!のではなく、最終的には「誰かの役に立ったからもらえる」対価であると思います。 商品であれば、それが消費者に届き、その消費者(ユーザー)が喜んだ…その対価。 サービスであれば、そのサービスによって消費者が喜んだ…その対価。 ガスや電気であれば、そのガスや電気を使ったことで消費者が得た快適な生活…その対価。 それを、見えるような具体化したモノが、お金であると私は思っています。
- parts
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既に回答があるように、確かに何を回答に求めているのかがはっきりしません。特に、「今すぐに必要なお金ならば人が働いたと仮定してお金を作ればいい」というのは、税とは別に錬金術で金を作れば良いという考え方なのでしょうか?だとすると、グローバルにおける政治の根本が崩れています。鎖国している国なら別ですけどね。 お金が何かといえば、等価交換の道具です。資本主義経済においては、本位とよばれる基準価値があり、それがお金(ドル)となります。それを元に、世界の経済は動くのです。 Q/人が働いたり生きる前にお金の試算っておかしくないですか? A/資本主義であれば、まずそれがどれだけの費用で運営されるか、それがどれだけのプロジェクトかを試算し、それを評価した上で、プロジェクトを実行するのか、中止するのかを決めるのが一般的です。 資本主義でなくとも、最初にどれだけ労力が生じるかなどを試算するのは、昔から行われていることです。それをせずに見切り発車すると、ギリシャの債務問題ではありませんが、公務員がどれだけいるか、分からないといったように、実際に要として本来必要な人材と、必要だといわれて投資した額や労働力に乖離が生じる危険があります。 即ち、役に立たないものにお金がつぎ込まれたり、作った物がろくに機能しないものになる可能性があるのです。 そのため、最初に試算をするのです。その代わり、その額が必ず実際の再建に必要な額とは限りません。最終的には、経済情勢によって下がることもありますし、上がることもあります。 だから、概算として試算し、何年か掛けてその一部を政府で支援する枠組みを作るのです。何十年もかけるかもしれませんし、場合によっては民間主導の数年で政府は手を引くかもしれません。 その試算費用は、必ず決まったところに使われるとは限りません。 Q/お金のために人が生きているようなものですが、お金とは何ですか? A/では、質問者様はお金が無くても生きていけるでしょうか?お金を使わなければ、電気は使えません。電気代はお金で支払う必要があります。ガスや水道もそうです。土地をもっていれば、固定資産税がかかりますが、それらは江戸時代以前のように年貢として米でとはなりません。 経済資本主義では、文字通り資本が生きるために必要なものとなります。即ち、通貨がなければ人は生活できないのです。だから、多くの人はお金のために生きています。実際にはそれがその人の本位でなくとも、今の時代における日本の経済指標では生きる上ではお金が必須なのです。 尚、それを嫌う人は、一次産業など生きるための糧を作る産業に移る傾向があります。場合によっては、お金に縛られない生き方を出来るのは、こういった生きるための基礎となる物を作る産業を持つ人でしょう。 これを読む限り、震災復興は無駄というのが、質問者様にとっての答えなのでしょうけど、試算そのものが無駄とは私は思いません。はっきり言えば、試算するだけで30兆も40兆も掛かるわけではありませんからね。試算というのは、試みの予算であり、もし元通りにするならこれだけ掛かりますよという意味です。 それを元に、問題があれば規模を縮小したり、大きくしたり、効率的にお金を集める努力をすれば良いのです。 ただ、日本の場合は、試算=それだけお金を投じて復興することだと思う人が多いのが問題なのです。実際には、そこから議論を経て、どうすれば短期間にそして、如何にお金を削減しつつ、基盤を整えられるかが、話し合われるべきいわゆる議論の一つの要素なのです。 そこを、考えなければ試算で大きな額が発表されるのは、問題だとなるのです。
- trajaa
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何かを訴えたいのだろうというのは伝わるが、試算するのが悪であるという論拠が伝わってきません。 失われたインフラや人々が生活の糧を得るための設備の復旧、生活の場を整える為の様々な費用を試算して その費用をどうやって工面するのか?配分は?優先順位は? など必要な事を考えるためにも、試算する事は必要なんじゃないのか? >国家として今すぐに必要なお金ならば人が働いたと仮定してお金を作ればいいのではないですか? 国民が一人一人ボランティアとして働けという意味なのか? 試算じゃなくて、今すぐに現金を増刷しろという意味なのか? お金に換算するのが不道徳だという意見なのか? 結局、そもそも何を問題としているのかがハッキリしないので「分かりやすく」の以前に何を知りたいのかが分かりません。
補足
経済的なことは分からない。 でも理屈として普段も借金だらけと言われる日本なのに、さらに災害に対して支出できるお金がないのは明白であり、試算した後にどうするのかが見えないからです。 お金持ちから取ったり、増税をしたところで一時のことでしかないし、やはり日本を全体的に改革して行かないとならないでしょう。 それには最低限必要なものにはお金をかけたり、あまり必要ではないものは英断で切らないとならないものもあるはずです。
補足
復興は無駄なんて言っていませんよ! 無いお金を試算することに意味があるのか?と言うことだけです。 お金が無いなら無理矢理にでも実行できる策を考えなければなりませんから。 結局は無駄なお金を使う連中がいたから今は不景気な訳ですよね? 皮肉ですが、世の中の権力者がきちんと計画して試算していれば不景気にはなっていないでしょう。 試算した先には我々庶民をさらに締め付ける未来しか待っていないからです。 自由な権力者は安全な場所に居続けるでしょうから。 だからお金とは?と思うのです。 お金のために生きてはいませんよ。 お金はあくまで生きるための手段です。 人は喜怒哀楽だったり、人間らしい楽しみがあって生きています。 仕事も生き甲斐がなければ働く気も失せます。 今さら物々交換の時代に戻りたいとは思いませんが、お金だけの話しではなくてもっと人間本位の話しをしてもらいたいと思うだけです。 人類みな兄弟になれば顔見知りですから物価も下がりますからね。