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子供の理科離れに打開策を

 現在小中学生の理科離れが問題視されているのはご存知だろうか? 我々はそれらの問題に対してこれからの日本の技術力の低迷を危惧しなくてはいけないのではないか?  またある情報によると、生徒の理科の科目の成績が、教師の得意教科であればあるほど 上昇傾向にあると言われている、以上のこともふまえ、 この危機に対応するにはどのようなことが必要だと考えますか?

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  • hekiyu
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回答No.3

理系が報われるようなシステムを造る必要 があると思います。 現在は、文系の方が給料が高いのです。 特に、金融関係に勤めている人の給料が 高く、製造業に勤めている人の給料が 安い、という傾向があります。 こういう風潮を改めないと、理系を目指す人は どんどん減って行くでしょう。

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noname#186638
noname#186638
回答No.6

理科離れが問題視されたのは、少し前の話ですね。 それも、理科離れというより学校で教える時間と内容が減ったことが問題で、算数嫌いのように子供から離れていったわけではなく、今でも理科好きな子は多いです。 >生徒の理科の科目の成績が、教師の得意教科であればあるほど 上昇傾向にあると言われている これは、どの教科でも同じですね。 小学校では多少の差はでますが、教科担任がいる中学では理科教師は理科が得意であるのが当然だと思いますので、得意不得意の問題ではないと思います。 小学生の親ですが、危機を感じません。 なぜ、感じないか? 義務教育の理科ごときで日本の技術力が上がるわけないからです。 日本の技術力と小中学生の理科離れを単純に関連付けて騒ぎ立てるほうが、私は問題だと思っています。

  • kyo-mogu
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回答No.5

 学校だけで解決はしない。  それぞれの家庭で学べる環境も必要。  わが子を連れて、科学館などにも行くのですが、子どもは実験などを見ると目を輝かせています。科学に触れたいという気持ちは十分にあります。しかし、学校では実験などが減っていき、知識だけ教えられる。おもしろくないのです。また子ども自身の根気の無さも顕著です。継続して観察などは難しく、直ぐに結果を求める風潮もあるのか、答えが出ない。もうしない。なのです。失敗を恐れる等も。  理科や科学を教える事は簡単です。でも、継続させるという事を大人も子どもも出来るような社会が必要でしょうね。    知識はある。でも、使いこなせない。  親の科学知識も高めないと、子どもの何故に答えられない状態だから、興味を失うんですよね。  我が子に関しては親が大好きなので、色々と教えたり、体験させたりと興味を持たせていますよ。

回答No.4

? 3~4年前と違い、今は理数ブームですね。 これをブームに終わらせない、ということでしょうか? 理科の選択科目制をやめればいい。 教育行政の担当のひとは、文系が多いんで、理数が難しい科目だと思って、深く教わらなくてもいいという制度を作ってきました。 高校でまで、総合理科なんて科目を作るくらいに。 これをやめればいい。

  • staratras
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回答No.2

理科教育にヒト・モノ・カネをかける地道な取り組みを続けるほかないと思います。 私が小・中学生だった1960年代、学校(普通の公立校です)の理科室には顕微鏡などかなり上等な備品が置かれ、「理振法準拠品」というシールが貼られていました。そのころは何のことか分かりませんでしたが、大人になって調べてみると、1954年に施行された理科教育振興法(理振法)という法律があり、この法律が求める基準にあった品物である(この法律による補助を受けて学校が購入した)ことを示すシールでした。昔から「理科教育をもっと充実させたい」という施策はとられてきたのだと思います。 ただし、いくら理科室の備品というモノだけを充実させても、それが実験や観察など理科の授業で活用されなければ宝の持ち腐れで効果はありません。理科は本来は実験や観察などがあって、「面白い考える教科」だと考えますが、実験や観察などを行わなければ無味乾燥で「つまらない暗記もの」になってしまいます。その意味では「子どもの理科離れ」というより、大人が子どもにとって理科を面白くなくしてしまう「大人の理科いじめ」なのかもしれません。 学校の顕微鏡に関連して今でも覚えているのは、中学生の時理科の授業で水中の微生物の観察をしたときのことです。ゾウリムシなど教科書に出ているもののほか、細長い長円の長辺を縦につないだような不思議な形の微生物がいて、先生に尋ねたところ図鑑で調べて「セネデスムスの仲間」だと教えてくれました。 それ以後一度も使うことがありませんでしたが、「セネデスムス」という言葉は40年以上経った今でも覚えています。これは、その時の理科の先生が、できるだけ実験や観察を取り入れた授業を熱心にされていたから印象に残ったのだと考えます。いくらコンピューターでバーチャルな体験が可能になっても、実際に顕微鏡や天体望遠鏡で観察した体験を超えるものになることは難しいと感じます。 現在、専攻科目が理科以外の先生に実験の指導法を教える講習会なども実施されているようですが、「子どもの理科離れ」を防ぐには、こうしたヒトに対する地道な取り組みを、モノの充実と必要な授業時間数の確保と合わせて、着実に継続するほかないと思います。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

理科離れというより学問離れというべきではないでしょうか。NHKの子供番組でも日本語で遊ぼうというようなふざけたものがあって真面目に母語を大切しようという気配はありません。一方思考力が未熟なうちに英語漬けにして英語の命令で敵陣に突入させる訓練などが行われようとしています。つとに菅原道真が中国の真似ばかりしている当時の風潮に対して和魂漢才という熟語を作って警告しています。幕末これをもじって和魂洋才という言葉が作られました、明治維新以後和魂英才、和魂独才、和魂仏才と来ましたが和魂和才に代わって戦争を始め大敗したため米魂米才になり、現在は米魂和才になっていませんか。理科離れの嘆きはむしろ和才の衰退に対してで、大切なのは米魂を和魂に再び戻すことにあるように思います。