- ベストアンサー
信用と裏切りの視点から人生観と恋愛観を考える
- 意見Aでは、人間関係において100%信用することはないという考えがあります。裏切られる可能性を考えることで、裏切られた時の心のダメージを軽減することができると主張しています。また、男性は浮気するのが当たり前だと思っており、浮気されても問題視しないと述べています。
- 一方、意見Bでは、恋人や親友と言った関係において100%信用することが大切だと主張しています。自分を信じてくれる人を裏切るようなことはできないと述べており、浮気や嘘は許されないと考えています。
- 個人の人生観や恋愛観によって意見は分かれるでしょう。しかし、信用と裏切りの視点から考えると、どちらの意見が一般的なのかは明確ではないと言えます。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
意見Bに1票! 100%信用と言われると・・・だけど 信用したい願望も含めての100%かな。 疑っている人と一緒に居ても疲れちゃうし そんなのってなんか悲しいと思います。 絶対する、絶対しない以前に浮気はダメだろう。 浮気する前提で付き合うなんて出来ない。 浮気をするのが当たり前って事はそうゆう事でしょ? だったら付き合ったりしないでいろんな人と遊んでたら? と思っちゃう。
その他の回答 (7)
- hunaskin
- ベストアンサー率30% (1854/6060)
Bは意見というより願望を述べているだけで現実的ではありませんね。 ただし、Aも、この世に絶対はない、なんてあたりまえのことなんですから「絶対」なんて言葉に固執してそのような主張をするのもずいぶんナイーブな態度だとは思います。 >逆に男は(女は)浮気するのが当たり前だと思っているから浮気されても戻ってくれば問題ない もまた、無責任だし、無理な背伸びすると足の裏が攣っちゃいますよ、って感じの意見ですね。
- shivaree
- ベストアンサー率17% (43/248)
自分の都合で 100% 完璧に自分だけの都合を押し通す人 自分が一番だと思うから 100%じゃ無きゃダメなんでしょうね でも 自分はどうなのだろう・・・・・ 人に対しても 自分に対しても 誠実ならば AもBも無いのでは? 人を見る目を養う事が大事なのだと思います。
【意見A】 ◎ ・親友であれ恋人であれ、100%信用することはない △ ・1%でも もしかしたら裏切られるかも と思っていれば 裏切られても やっぱりね と思って落ち込まなくて済む ○ ・絶対浮気しないで ということ事態がおかしい 世の中に絶対はない × ・逆に男は(女は)浮気するのが当たり前だと思っているから浮気されても戻ってくれば問題ない × ・人は誰でもウソをつくのだからイチイチ小さなウソで気を揉んでいたら疲れてしまう 【意見B】 △ ・100%信用しているから恋人や親友という間柄になれる ○ ・1%でも裏切られるかもなどと考えない(考えたくない) ◎ ・自分を信じてくれている人を裏切るようなことはできない ◎ ・浮気は絶対にしてほしくない ○ ・どんなに小さくても相手を傷つけたり、誠意を感じなかったりするウソはいけないし、つかれたら傷つく まあ、Bに近いか。。要は自分は相手に誠実に生きるが 相手にそれを求め過ぎない。というスタンスです。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
100%と考えるから無理が出てくる。 ただそれだけ。 実際には割合なんて状況次第で変化する。これが心というもの。 だからこそ、悩む。そして答えが出ない。 ただ、自分が納得出来る答えの割合が正解に近く成る。
- Deeply333
- ベストアンサー率41% (17/41)
部分的に賛成も反対もありましたが、AもBもオールオアナッシング的な感じがしました。個人的に思うのは、人間も人生も千差万別で、人それぞれであり、多面的で、一概にこうだ こうでないなら ああだ とは言い切れず、白黒はっきりできる場合もあれば、できないグレイも随分多いと思うからです。例えば、ある人間に対しては、自分は100%信用していても裏切られることもあるだろうし、裏切られないこともある。逆に全く信用していないひとや知人でもなかった他人(信用していない)に助けられる場合もあるし、助けてもらえない場合もあるし様々なケースがありすぎて簡単にこうだああだとは、言い切れないと思うからです。まただからこそわからないからこそ人生かなと。全体的にはBの意見に賛成ですが全部ではないです。Aの中の、やっぱりねとおちこまなくてもすむ は、保全でよくあることかなとは思います。浮気するひともしないひとも比率はあるでしょうが言い切れません。女性でも浮気しているひともいれば男性でしないひともいますしね。Bの浮気は絶対してほしくないと思ってもするひとはしますし、浮気したいならしたら?みたいに思ってもしないひとはしませんし。嘘も相手を思っての嘘もあり、嘘をつかなくても正直すぎたり、人を傷つけるひともいますから。
どちらか?といえば、Bです。 しかし、自分はBだと言っている人であっても ・ちょっとした事で「信じていたのに」とあっさり信じなくなってしまう これは元々100%信じていた・・ことにはなりません。 Aの >人は誰でもウソをつくのだからイチイチ小さなウソで気を揉んでいたら疲れてしまう Bの >・どんなに小さくても相手を傷つけたり、誠意を感じなかったりするウソはいけないし、つかれたら傷つく どちらであっても相手が「嘘をついた」と思った時 それが本当に「嘘」なのか? 例えば「浮気」をされた、と思った時、その理由が ・**さんから、あなたの彼(彼女)が別の人と歩いていたわよ たったこれだけの事で、相手を「浮気した」と断定してしまう それは元々信用等していない人 100%信用しているなら噂などいちいち気にしないだろうし 具体的な内容で信憑性があるなら 尚更自分で確かめる努力はするものだろう。 何ら、確かめる行動をおこさず、勝手に決め付け ・嘘をつかれた ・浮気をされた と、相手の言い分も聞かない人は ABどちらの意見であっても、実際は どちらも50%以下の信用ということになってしまいます。 その意味で・・AB共通するところがありますね・・・。 正直100%と言いながら実はとっても疑い深い人・・・多いですから・・・
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
育ってきた環境によって変わるだろうね。 Aは、身近に裏切られた裏切った者を見ているから自己防衛としてそうなるんだろうし、Bは、そうではないからそうではないヒトと巡り会えば問題ないという体質だ。傷つかないように避けて通るか、傷ついたときに考えればいいかだな。 どちらも経験した身から言えば、Bの方が傷ついても納得する人生だろうね。傷つくこともまた楽しいからね。