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縄はいつから編むようになったのですか
とあるNHKローカルで、お年寄りと小学生のほほえましい交流の話題です。お正月を前に、しめ縄づくりの体験がありました。 数本のわらの端を足で押さえ、両手をすりあわせるようにして縄を作る動作は、日本語で「縄をなう」ですね。常用漢字にはありませんが、「綯う」です。ところが、NHKのアナウンサー氏、キャスター氏ともに何度も「縄を編む」と言っているのが、すごく耳に引っかかりました。 辞書をひもとくまでもなく、「編む」のは、糸・竹・籐(とう)・針金・髪などであって、編み終えたら、網状や面状を呈するものです。(書物や組織も編むものですが、ここでは省きます。) 糸は紡ぎ(×編む)、布は織り(×編む)、反物は裁ち(×切る)、針は運ぶ(×進める)ものなら、縄はなうものです。慣用句で「泥棒を捕らえて縄を編む」というでしょうか。 NHKに以上の質問をしましたが、返事がありません。異議申し立て(?)は却下されたようです。ローカル局は、アナウンサーも若ければ、記者やカメラマンも若い人ばかりです。最近の学校教育では、このような日本語の奥ゆかしさを教えていないのでしょうか。 〈追伸〉 翌日の地元紙は、「縄をなう」の表記でした。
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少し話が逸れますが、以前某タレントが「神々しい(こうごうしい)」という言葉を「『かみがみしい』ですね」とコメントしているのを聞いて驚いたことがあります。別に生放送ではなく、編集する余裕が充分あったであろう番組でした。 メディアとは、言葉を使って伝達するものであるにも関わらず、何故これほどプロ意識が足りないのでしょう。というより怠慢ですね。 本題に戻りますが、僕は「縄をなう」が正しいとは知っていても、♯2さんがおっしゃっているような由来までは知りませんでした。知らずに感覚的に言葉を使っているのです。感覚的であるということは、使用する頻度が低ければ低いほど、僕たちの日本語からは常識であるはずの言葉遣いが忘れ去られてしまう。 ♯1、2さんのおっしゃるとおり、「縄をなう」という行為が僕たちの日常から離れつつあると、僕を含む感覚的な日本語を使ってしまう一般人の中に縄は「なう」のが当たり前!という感覚が希薄です。 というのも、「あの人の言葉遣いって変だね」という時、何故変なのか語源や由来を示して説明出来る人はあまりいません。「何となく聞き慣れない」っていう感覚です。 その感覚を育むのが幼少の頃の国語教育であり、日常的に見るテレビであり、現在ならインターネットも含まれるでしょう。 プライドあるメディアが、この先日本にどれだけ存在するかによって、日本語のあり方が変わってくるでしょうね。
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mak0chan様、はじめまして。 仰有る通り、「縄」は「綯う」ものですね。「服を着る」「靴を履く」同様、セットになっているものだと思います。(ただ、手元の辞書で「編む」の項を引きましたら、「糸・竹・髪など細長いものを互い違いに組む」とあり、例として「縄を編む」と挙げられていました。この用法は間違いとは言えないのか?それとも、この辞書が間違っているのか?疑問が残ります) ただ、この問題については、既にmak0chan様の中で結論が出ているのですよね?ご質問の主旨は「日本語のプロとも言える方々が、他者に向けて発せられる言葉に細心の注意を払わないで良いのか」ということでしょうか? やはり、できるだけ正確で綺麗な日本語を話して欲しいと思います。 勿論、言葉は時と共に変化していくものですが、社会的に(殆ど全ての方に)受け入れられるまでは、新しい(?)言葉を使うのは控えていただきたいですね。(「とても素晴らしい」は許容範囲かな、と思いますが、「全然大丈夫」などは違和感を覚える方が多いと思います) 以前、当地の地元紙でも、某作家が敗訴した折、「慚愧に堪えません。控訴します」とコメントしたと載っていました。これは「悔しくて仕方がない」というニュアンスで使われているのかしら?と、首を傾げてしまいました。 また、某文芸評論家のエッセイでは「押しも押されぬ~」なる文句が使われており、失笑を禁じ得ませんでした。 ところで、#4のkimosabe様のご指摘、非常に興味深く拝見いたしました。ご質問の内容以外の件で議論することは、あまり望ましくないのかもしれませんが、せっかくmak0chan様が「うっかりしていると聞き流してしまうけれど、よく考えるとおかしい日本語」について一石を投じて下さった場なのですから、kimosabe様のご質問に対して、ご意見をお聞かせいただけないでしょうか? ○「耳に引っかかる」は、やはり「耳に障る」「気になる」の方が自然かと思うのですが。 ○「辞書を繙(ひもと)く」・・普通「辞書は引く(辞書の中の言葉を探す)」ですが、「単に辞書の頁をめくるだけではなく、文献を念入りに調べるように辞書を繰る」様を表現する為に「ひもとく」とされたのかな、と愚考いたします。 ○「奥ゆかしさ」・・薄れつつある日本の伝統を表現するような日本語の、という感じでしょうか?やや飛躍したような印象を受けますが、適切でないかどうか、は難しい問題ですね。 ただ、「奥ゆかしさ」が「奥床しさ」となることで、何か大きな違いはあるのでしょうか? (横レス、申し訳ありません。議論ということではなく、せっかくの機会ですから、いろいろな御意見を伺いたいのです)
お礼
ご意見ありがとうございました。後半部については、コメントを控えさせていただきます。
補足
>手元の辞書で…糸・竹・髪など細長いものを互い違いに組む… そうですね。お手元にわら縄はないでしょうから、ポリエチレンのロープでけっこうです。よく観察して見てください。「互い違いに組んで」ありますか。おおむね、縄やロープというものは、3本の素材を「よって」あるだけなのです。数十センチ程度の長さのものを手に取り、端部の1本1本を引っ張ってみてください。ほどけてしまうでしょう。一方、「互い違いに組んで」ある、三つ編みの髪も、引っ張っただけでほどけるのでしょうか。 動詞の「なう」と「編む」はそのような違いなのです。 >例として「縄を編む」と… 前述のごとく、縄やロープの端部をそのまま放置すると、バラバラにほぐれてしまいます。そこで、ほぐれないようにするために、端部のみ、髪の三つ編み状に「編む」ことはあります。また、ものを引っ掛けるために端部をリング状に「編む」こともあります。「縄を編む」という日本語が、すべて間違いであるわけではありません。 しかし、私が質問文に書いたのは、あくまでも、 「数本のわらの端を足で押さえ、両手をすりあわせるようにして縄を作る動作」 ですから、tukinosizuku様のご指摘は、質問の範囲を超えたご意見と受けとらせていただきます。
- kimosabe
- ベストアンサー率59% (137/230)
「縄」は「綯う」ものであるというご主張はもっともなことと存じます。それはともかく、mak0chanさまのご質問の中に、少々気になる言葉遣いがありました。いかがお考えでしょうか。 ○「耳に引っかかる」(「耳にかかる」) 「心にかかる」「気にかかる」とは言いますが、「耳にかかる」と言うでしょうか。 ○「辞書をひもとく」 誤りとは申しませんが、私の感覚では「辞書」は「ひく」もの、「調べる」もの、「確認する」ものです。 ○この文脈で「奥床しさ」の使用は適切でしょうか。 ○「とあるNHKローカルで、お年寄りと小学生のほほえましい交流の話題です。」は、 「とあるNHKローカルで放送された、お年寄りと小学生のほほえましい交流の話題です。」ではないでしょうか。 是非お教えください。
お礼
ご指摘ありがとうございました。 私は、受信料を取って不特定の視聴者に、ニュースその他を伝達する立場にあるわけではありません。したがって、北海道から沖縄まで、あらゆる層の人々から、絶対に揚げ足を取られることのない言葉遣いを心得ているわけではありません。ご理解下さい。
補足
>「奥床しさ」 上記の文字は使用しておりませんのでお改め下さい。そのほかにつきましても、できましたら根拠を示していただくとなおよかったです。 質問の主旨以外で、回答者様と議論をすることは、このサイトの規約に触れますので、これ以上は控えさせていただきます。
- solisere
- ベストアンサー率31% (34/108)
「縄」は「綯う」ものです。 「むら(村)」が「むる(群る)」、 「をさ(長)」が「をす(治す)」からできているように 「なは(縄)」は「なふ(綯ふ)」でないといけないと思います。 同じように 「あむ(編む)」から「あみ(網)」なのであって、 「縄を編む」といっては絶対にいけません。日本語崩壊です。 学校教育に携わっているものですが、猥褻行為はしたことがありません。(笑) それ以前に「綯う」という言葉自体が現代の日常生活からかけ離れている、 ということなのではないかと思います。 しかし、「縄を編む」という言葉を許してはいけません。
お礼
>「綯う」という言葉自体が現代の日常生活からかけ離れている… 確かにそれは言えますね。だからこそ、半ば前時代的なニュース素材に対する、言葉の適否を吟味してほしいものと感じた次第です。 ご意見ありがとうございました。
- whitepepper
- ベストアンサー率27% (683/2442)
我々の子供の頃はどこにでも転がっていた藁縄も、最近では正月の注連縄以外に目にすることはなくなりました。 そもそも言葉は生き物です。時代とともに変化します。新しい時代の言葉を作るのは、若い人たちです。年輩者が聴けばおかしな表現であっても、それは仕方のないことです。そういう今の年輩者も、それ以前の世代の者たちが聴けば、おかしな表現を使っていることでしょう。 NHKはまだマシです。民放はもっとデタラメです。生番組であれば、大まかな台本しかありませんから、不適切な表現も仕方ないでしょう。放送してしまったら、訂正すらできません。 》NHKに以上の質問をしましたが、返事がありません。 誰でもマイナス面だけの投書は嬉しくありません。プラス面も含めてあげれば、返事があったかもしれません。 》最近の学校教育では、このような日本語の奥ゆかしさを教えていないのでしょうか。 生徒に対して猥褻行為を平気で行うような教師が多いのです。まして、そんなことは望むべくもありません。
お礼
>そもそも言葉は生き物です。時代とともに変化します。 これがお答えのポイントと受け取ってよろしいでしょうか。理系の企業ならともかく、言葉のプロとしての自覚に欠け、単にボキャブラリーが少ないだけであって、言葉の時代による変化などという、大げさなものではないと思います。 早速のご意見をありがとうございました。
補足
>投書は嬉しくありません…返事があったかもしれません。 視聴者の意見を真摯に受け止める必要性はないということでしょうか。 >生徒に対して猥褻行為を平気で行うような教師が多いのです。 九牛の一毛と思います。
お礼
>その感覚を育むのが幼少の頃の国語教育であり、日常的に見るテレビであり… 唐突ですが、もし、いまテレビがなかったら、「流行語大賞」は生まれないでしょうね。それだけテレビが言語に与える影響は大きいのですから、もっとプロ意識に徹してほしいものと思いました。 ありがとうございました。