【長文です】不良を美化するのをやめんかい!
私は高校生である。極力他人に迷惑をかけずに生きて来た。
学校で問題を起こしたり、暴力をふるったりしたことは決してない。
最近私は疑問を感じている。それは不良を美化した漫画(ドラマ)が蔓延していることだ。
ウジテレビの韓流批判をするのもいいが、そこんとこを見てくれてもいいのではないか。
たとえば「ごくせん」「ドロップ」「ルーキーズ」などという漫画(ドラマ)は不良が主人公で、不良が友情を演じ、夢に向かって努力する姿を描いている。
しかし、美化しすぎではないだろうか?
所詮「不良」だろ?
こいつらは法律を蹂躙し、
他人に迷惑をかけ、肉体的・精神的苦痛、経済的損害を与える社会のゴミ、いや、ド畜生だ。
人間に利益をもたらす牛や馬、豚、鶏、ミツバチのほうがコイツらよりも役に立っていると言ってもいいくらいだ。
コイツらに友情を演じさせ、夢を語らせた所でどのような説得力があると言うのか!
不良は他人の迷惑を顧みず我儘放題。当然他人の気持ちは分かっていない。分かっていたらこんな事はしない。
そんな奴らが演じる「友情」。他人の気持ちが分からないド畜生が「友情」を演じることに強い疑問を感じるのだ。
不良は他人に暴力をふるい、大きく深い傷を負わせ、それが原因でPTSDや引き籠りになった人たちもいる。彼らにも夢があったかもいれない。
しかし不良たちは彼らから夢を奪い、未来への道を破壊する!
そんな奴らが「夢を語る」。悲しいかな。まさに愚の骨頂。
こんな漫画を読んで「不良はカッコいい」などと思う子供たちが増えたらどうしようと思う。皆さんはどう思うだろうか?
あと、もうひとつ疑問があるから答えてほしい。
(1)不良にもいい奴がいると言うが、いい奴は不良になるだろうか?
「いい奴」は「不良」でないと演じることが出来ないのだろうか?
「不良にもいい奴がいる」という言葉は、不良の悪行を正当化するために屁理屈にしか聞こえないのだが皆さんはどう思うだろうか?
(2)不良が更生することはそんなに偉いのだろうか?
たとえば、ヤンキー先生という異名を持つペテン師・義家弘介(自民党議員)。
彼は不良から更生して教師になったことを売りにしているが、こんな人より真面目に勉強して教師になった人の方が偉くないか?
過去に散々な悪行をしでかした者に「道徳」だの「教育」だの「社会」だのと語ってほしくないと思う。
こんな奴は語るくらいならまじめに勉強して教師になった人に語って頂きたい。
不良が更生する―それはマイナスが0に戻っただけの話で、偉くなったわけでも何でもないと思うのだが。
(3)過去の悪行を武勇伝にする所謂「元ヤン」をどう思う?
暴走族だか、喧嘩だか知らないが、不良だったという過去を自慢げに語る人は、それがかっこいいなどと思っているのだろうか?
自らの行いによって、多大な迷惑を被った人も沢山いる。深い傷を負った人もたくさんいる。
彼らはいつまでもその「不良」を許せないと思う。こういう人を見ていると強い憤りを感じる。
「俺は不良だったけど、今は更生した」―だから何だ?
「更生したからと言って、昔の罪は消えない。十字架は一生背負っていかなくてはならないんだぞ!」と言いたくなるのだ。
駄文長文になり、申し訳ないが言いたい事を書いてみた。回答お願いします。