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少しのことで親が学校を責める件
ちょうど小学校くらいの子を持つ父親として、一例ですが、 先生がいたのに子供が転んだ、先生が殴った(肩をポンとたたいた)、バケツを持たされ手がしびれた、先生が見てなかったので(一瞬後ろ向きになった)怪我をした、 先生の暴言(?)、友達ができない、不良になった、 など、学校や先生の責任にすることが多いです。 自分の周りの父親はこういったことで、というよりもっとすごいこと(30年前は普通の)でも学校や先生のせいと感じる人はいません。 でもその先生や父親の世代は、ほぼ私達と同じ時代を過ごした人が多くを占めています。周りの父親連中は、こんなことで問題になるの、と思う人しかいません。 このままなら生徒と同じ数先生が必要で、叱るときも営業マンがお客様に対するように言葉を選んで、ということになってしまいます(はんぶん冗談ですが)。 こうなった原因は何と考えますか。マスコミ、社会、子供、親、学校など、あると思いますが。 他のご回答いただいた方の意見がどうこう、という表現は遠慮いただけるとありがたいです。
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確かに些細なことで怒鳴り込んでくる人もいます。 誰が悪いのかを考え出すと、いろいろなことが絡み合ってのことなので「これ」と一つ答えてそれですべてとできない気がします。 ただ、子どもは親をみて育ちますし、最後何かあったら親が責任をとることになります。それを誰かのせいにしたところでその子は救われないという場面をよく見掛けます。そしてその子も人のせいにはするが自分の問題として真剣に考えなかったり、問題を直視しないで逃げたり・・・。そういう子の多くが最後は親のせいにしています。はじめは学校が悪い、先生のせいだ といっている者もいますが。親子も関係が良好で、しかるときにはしっかりしかる、ほめる時は少々大げさに聞こえても、わかりやすくほめる。 教員でも親でも言えることなんですが、「理不尽なことは怒れない」という人がいます。わかる気がします。でもこれってすごく危険なんです。たとえば、「自分はたばこを吸っているから子どもが吸い出してもしかれない」筋が通っているようですが、これでは自分の子を見殺しにしているのと同じこと。「親父だって吸ってるんだろ。」といわれたら、「おまえは未成年だし、おまえの体は誰にも代え難い大切なものだ」といい、それでもだめなら「俺もやめる、おまえもやめろ」ぐらいって、きつくしかって欲しいのです。例えば「学校に何で制服があるんだ。イヤだから学校へ行かない」という子だっているのです。「親の私としても納得がいかない」なんて子どもの前でかっこつけていったらもうたいへん。子どもは親のお墨付きをっもらったのだから、学校の体制が変わらない限り行かなくなる。それを学校のせいだと騒いでもどうなるものではないと思いませんか。時に「郷に入れば語彙にいれば郷に従え」という考えも必要。でも日頃自分はそういう考えをしていないから子土実には言えない、というのは危ないと思いませんか。おそらく親本人もそういう考えなら、きっと社会のどこかでトラブルを起こしているか不満だらけで人のせいにばかりしている人生ではないかと思われます。 原因は社会が最も大きいかも知れません。そして親にも当然教師にもあるのです。地域社会にだって考えられます。だからみんなで教育に関心を持ち、次の世代をになう子たちにどういう教育が必要かみんなで考えて欲しいのです。 学校では、自分で自分の生き方を考えられる、そして自分のやったことは自分で責任のとれる子になるような環境作りをするべきでしょう。 私はそうあるべきだと信じ取り組んでいるつもりです。
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- natsuko78
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こんにちは。 現役の学生からの考えとして書かせていただきました。 何かあるごとに「学校の責任はどうなっているの?!」と口を開く父兄が多くなったと思います。 ただ、子供から言わせてもらえば「親」が弱くなったのではないかと思います。 特に若い世代の親たち。 学校は教育の場です。ただ、それに勝るのは『親』であり『家庭』なのではないでしょうか? よく私も親に叩かれて育ったものです。 手を上げることを肯定するわけではありませんが、『しつけ』と『暴力』は違うのではないでしょうか。 この違いは確かに曖昧です。でも、その曖昧な境界線を見つけられない親が、責任を学校あるいは教師に押し付けているようにしか思えません。 (質問の回答からずれてしまいました。すいません)
- neko-tama
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「これが原因」といった物はないと思います。いろいろな要因があって、こういった現象になっていると思います。 まぁ、その原因の1つとして、家庭で親が子供と接する時間の少なさがあると思います。 接する時間が少ないと、やはり自分の子供の事をしっかりと理解することができないと思います。 それはyo-shiさんの一例を使わせてもらえば、小学生の子を持つ父親が小学生の時は、高度成長期で父親と過ごす時間が少なく、子供が毎日親と会話をし、相互理解をする、という経験がなかった為だと思います。 また、子供の時の躾をしっかりとされている家庭も少なくなったと思います。自分たちがそういった物をされていないから、自分の子供にもできるわけがありません。 基本的な事ができていないのに、すべての事を学校に期待し、子供の責任を押しつけて、目に見える数字(成績など)を求める。 学校側にもいろいろ問題はあると思いますが、「自分の子供は自分でしっかりと育てる。」といった意識が薄くなっていると思います。 他の事柄も書きたい所ですが、すでに長文になってしまい、ここまでとさせて頂きます。失礼いたしました。
- ma_
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>>営業マンがお客様に対するように言葉を選んで、ということになってしまいます 有名進学塾の講師は既にそんな感じです。 こうなった原因は、学校の教師に威厳がなくなったことだと思います。 同じ大学内でも教員養成課程の教育学部は難易度が低いですし、一流企業に比べれば給与も低く、世間の目も「社会経験の無い大人」として見下している部分もあると思います。
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