- ベストアンサー
自称頭の悪い人の見下しの意識とは?
- 自称頭の悪い人が頭の良い人を見下していないとしたら、頭の良い人は頭の悪い人を見下しているという理屈は成り立たない。
- 自称頭の悪い人が見下していないという意識は、頭の良い人を下に見据えた見下しの意識と捉えられる。
- 人を見下すことは、その人の全てを考慮せずに判断することであり、見下しではないと言える。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
(A:頭の悪い人 B:頭の良い人) ・Aが、自分はBに「見下されている」「見下されていない」と考えること自体が、既に自分がBを「見下す」「見下さない」という考えのもと見ている。 ・AがBのことを「見下さない」という考えていることが、自分はBのように人を見下す、見下さないという考えで人を見ない、という意味でBを「見下している。 ・つまり、頭のどこかでAはBを「見下している」 という解釈になりました。 違っていたらすみません… 文章を読む限り、Aはあたかも人を「見下す」「見下さない」という観点でしか人が見れない、という風にBに侮られていますね。 そういう意味ではBはAを見下しているのではないでしょうか。
その他の回答 (2)
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
Aは俺をバカにしている。 俺はAの見方に影響される。 そして俺は俺をバカにする。 でも本当はそんなことはしたくない。 したがってAを拒否する。 Aから影響を受けず、 俺が俺をバカにすることが なければなんの問題もないのだが、 それが難しいのでAごと拒絶することで自分を守る。
誰にでもプライドがあるからねえ。 そして、誰もが仲良くなれ合えるわけではない。 この二つの連立方程式・・・ つまり、見下し合うということは、 単に相容れない者同士だということに過ぎない気がします。 頭がいいとか悪いとかではなくて、本能的に「あいつ気に食わない」と 言ってるんですよ。 それを相手が頭がいいからと錯覚しているだけのこともあります。 恋愛したら、一番いいんだと思います。 頭の良し悪しとかではなく、人の中身、人の心、自分の中身、自分の心を 死ぬほど考える場面に接したとき、苦しんだとき、人を見る目が変わります。 頭がいい、悪いだけでしか判断していなかった自分が おかしく懐かしく、またいおしくさえ思えくることでしょう。 頭がいい悪いだけでしか判断基準がないって、 たとえるなら、ジェット機のコクピットに「飛ぶ」「降りる」の2つのボタンしかないようなもんですよ。うっわーって計器があるでしょう?それくらい養うんです。人を見る目を。 たくさんの出合いを大切にして。 ひとつの恋愛に命を賭けて。