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差別感情は傷付いた人間の根底にあるものですか?

何十年も昔の話ですが小学生の頃、プールの授業で障害者や病気の人は健常者と別の色の帽子を被ることが決まって、 それを知った母親から『違う色の帽子を被るのはあんたじゃない?』と言われて幼心に傷付きました。 そしてその気持ちを数年後母親に告げたら『私らはあの色違いの帽子を被らせるのに反対した。差別したと言われるのは心外。』と突っ返されて理解されませんでした。 母親の論理は大人になって障害者になった分間違ってなかったのでしょうか? 悔しかろうと帽子で差別してるのは傷付いた私に問題があるだけですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • ayafuku
  • ベストアンサー率27% (45/164)
回答No.4

質問者さんには何も問題は全然ないです。 また母親も何も問題は全然ないです。 帽子の色のことも何も問題は全然ないです。 ただ、一つ解決しないといけないことがあると思います。 それは、その数年後に、母親から告げられたいへん傷ついた 質問者さんが存在したままでおられます。その傷を癒さないと いけません。 イメージの世界で良いので、想像を働かせて、傷をつけられた 時の自分の姿を思い出し、今の質問者さんがハグ(抱擁)をして あげてください。想像の中で。 そしてやさしく声をかけてあげるイメージで、 「とてもつらかったね」「お母さんに理解してもらえなくてつらかったね」 と慰めてあげてください。 当時の辛いことを思い出したら、そのように声をかけてあげてみて ください。そしたら段々と思い出さなくなると思います。 そして、お母様を許してあげてくださいね♪

sktm3586
質問者

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ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • hiro822
  • ベストアンサー率20% (131/637)
回答No.3

自覚してない、または自分で受け入れられてないことを言われると、 衝撃が大きいと思うので、そのせいだ思います。 差別を受け入れていたらなんともないはずです。 人とは何か違うということをなんとなく感じていた、しかしそれを認識できていなかったり、 受け入れるだけのキャパシティーがなかった、 そんな時の母親の言葉だから、衝撃が大きかったのでしょう。 自分の状況を受け入れて、自分のできることをやるほかないと思います。 そして障害者であっても、それをハンディキャップと捉えなくなったとき (障害という言葉はあまり使うべきでないと思いますが、ハンディキャップは克服できるはず。 方法を模索するのは大変だとは思います)、 母親の言葉はあなたの頭から消えるのではないでしょうか。

sktm3586
質問者

お礼

ありがとうございます

  • yeeel
  • ベストアンサー率38% (8/21)
回答No.2

帽子で区別しているだけで、差別ではないのでは? それを、差別と感じる事が差別に繋がるのでは? 例えば、自動車の運転で言えば、若葉マーク、紅葉マーク、クローバーマークなどありますよね。 周りに気をつけて貰う必要がある場合には有効な手段に思います。 最も、枯葉マークなどと揶揄され問題になっていますのでその手段や周りの環状は考える必要があると思いますけどね。

sktm3586
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.1

>大人になって障害者になった分間違ってなかったのでしょうか? ここの文章はイマイチ解りません。大人になって障害者になった?というのは、あなたが大人になって障害者になったということでいいんですか?ですが、あなたは小学校の頃に自分が障害者だと親に言われた訳ですよね? 勘違いしてる部分があるかもしれませんので、猿にも解るように簡単に説明ください。 本題ですが・・・ これは差別ではなく区別ですね。 十人十色という言葉をご存じですか? 十人いれば十色の色があるわけです。 この場合の色というのは色の色ではなく個性という意味です。 あなたは、その十人の内の一人に過ぎないのです。 胸を張ってください。 あなたにはあなた色に染まった個性があるのですよ。

sktm3586
質問者

お礼

ありがとうございます。

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