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差別
生まれつきの障害を持った人はたくさんいます どれだけ苦しい思いをしてきたかわかりません そんな人たちを差別する人たちはなぜ存在するのですか? 当人に原因があって悪く言うなら納得できるし子供が言うなら我慢も出来るのですが 無関係な大人が差別や悪口などを言ってるのを聞くと自分じゃなくても腹が立ちます どうして差別できるのか自分には全く理解できないのです その人たちに生きてる価値はあるのですか?
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質問者が選んだベストアンサー
想像力が希薄なんでしょう。 障害は、先天性のものばかりではありません。あなたにしろ、私にしろ、差別をしている人でさえ、明日、どんな障害を持つことになるかは、誰にもわかりません。 それを思えば差別をすることは本来できないと思うのですが。 民族差別も私は同じだと思っています。 一歩、海外へでれば、私たちアジア人を差別する国はいくらでもある。 でも、日本にいると、アジア人同士差別し合っている。 所詮、日本人も差別される側の人間だってことを忘れちゃった・・・というか、知らないんでしょうね。 あなたの考えはおおむね正しいと思いますが、 〉その人たちに生きてる価値はあるのですか? これを言った瞬間にあなたの発言は稚拙で低レベルな差別をする人たちと同じなってしまいます。 もったいないですよ。
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- 8823mujin
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例えば・・・電車にギリギリ間に合うかと思い急いでいる時、数人がかりで車椅子に乗る身障者を移動しているところに出くわし、階段を塞がれた為に電車に乗り遅れた。こんな場合、質問者さんならどう思いますか? 最近はエレベーターの普及で余りそういうのも見なくなりましたが、その昔はよくそう言った場面に遭遇したもんです。私は、基本的には身障者に対する差別を「善く無い」としている方ですが、流石にそういう時はイラっときて、出歩くにしろ時間を考えろよって思ってしまいます。 ただ、全てにそうかと言うとそうでは無く、同じ様な場合でも、帰宅時などでの出来ればアノ電車に乗りたい程度ならそうは思わず、逆に移動に手を貸したりもしますが、必ずアノ電車に乗らないと予定時刻に間に合わないと言った場合には、相当イラつきます。 勿論これも日本人の生真面目さ故で、遅れる事を気にしなければ差程イラつく事でもないし、第一定刻に電車が出る事が奇跡の様な国なら、まず考えられない心理かも知れません。 所詮人間なんて生き物はよくよく身勝手な生き物で、その時その状況で感情も変わります。普段はボランティアにも参加し、開けた考えを持っているように見える女性でも、こと子供の交友関係になると急に差別的になるなんて話もよく聞くもんです。 質問者さんは差別を何か固定化し確定した意識と捉えれているようですが、本当にそうなのでしょうか。確かに人種差別や部落差別等の謂れの無い差別は存在します。しかしそれらは、人間の潜在的な意識の中にあるもので、例え持っていたとしても行動や表現に表さなければ誰も気付くものではありません。それと同じで、誰しも身障者に対する善意の心は持っています。ただそれが形となった時、邪魔者扱いにして差別と映るのか、手を差し伸べて親切と映るのかの違いなのだと私は思います。
- wiz0009
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具体的にどんな差別や悪口を言われたのかわからないので何とも。 少なくとも私の周りではそんなこと言ってる人は見たことがない。 差別でもなんでもないのに「差別された」と被害者意識だけ強い障害者もたまにいますし。
- DF145
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貴方のような人間が存在する限り無理でしょうね。
- aquarius-star
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>その人たちに生きてる価値はあるのですか? それは言い過ぎですね。 生きる価値はみんなが平等に与えられていると思っています。 障害を持った人に対する差別だけでなく 存在する差別すべてに言えることだと思うのですが、 人は自分と異なる点を持った人・自分の驚異になる可能性のある人を 排除したがる生き物だと思います。 自分がいる世界とは違う世界にいる人を「怖い」と思ってしまうからです。 自分との共通点を見つけて仲間を作り、 違う点を見つけて排除します。 いつでも少数派が差別される傾向にあるのは、 多数派の人が彼らをわからない・理解しようとしないからではないでしょうか。 自分の世界を広げていけば、多くのことを受け入れられるのに それをしない人が多いですね。 それは世界を広げるためには、労力がかかるからではないでしょうか。 面倒は誰でも避けたいですから。 差別をしたりしている大人は すごく狭い世界で生きてきたと 声高らかに言っているようなものなのに それにさえ気づいていないんですよね。 なぜなら世界が狭いから。 質問者さんは彼らより 素敵なものを沢山目にすることができるし 楽しいことも経験できるし おもしろいこともいっぱいあると思いますよ。 そういう方が増えるといいなといつも思います。
- key00001
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> その人たちに生きてる価値はあるのですか? そこまで言ってしまうと、それも「差別」だと思いますが。 障害者なども、差別をしてはいけませんが、区別は必要です。 「差別や悪口などを言ってる無関係な大人」も、大人として知性や品性が基準に満たない人格として、区別すりゃいいです。 障害者は、健常者と区別して、障害者の身体的な不自由に対し、社会は手を差し伸べなければなりません。 では、知性や品性が劣る人も、まともな社会人とは区別して、知性面や品性面で、手を差し伸べてやれば良いだけでしょう。 しかし「生きている価値はあるのですか?」まで言ってしまえば、「障害者など生きている価値が無い」などと言う、差別発言と全く同じコトです。 差別などを考える場合、例えば「この世にムダな命などない」「人権は等しい」などと言う、真理と言うべき考え方に発端しなければなりません。 そう言う発端・前提ではない考え方だから、「アチラを生かすためにコチラを殺す」的な結論になってしまっている様です。
- toshipee
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彼らも苦しい思いをしている「つもり」で自分より下をさがさなきゃやってられないのです。悔しがらずに哀れんでやってください。幸せな人は、嫌に思うことを思いつきません。すがりついてでも生きたいのですよ。
- RKwarawara
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弱者はどこの世界にもいます。 それは弱肉強食の野生においても、存在しております。 走れないシマウマは食べられます。 抵抗できない子鹿は食べられます。 食糧がないアフガニスタンの子供は餓死で死にます。 親や住む家のないストリートチルドレンは生きるために窃盗をします。 あなたには、彼らの人生に変わってあげれる勇気がありますか? 差別もそうです。 黒人は肌の色が黒いから忌み嫌われる。 不条理です。 それは世界がそうしたのであって、誰か個人によるものではありません。 差別というのは世界が定めた掟なのです。 あなたも、その掟に従った一人であることをお忘れなく。 あなたの意思とは関係なく、差別をあなたもしているのです。 あなたが五体満足に生きていることが弱者に対しての差別なのですよ。