ロッキーの面白さは、下町の貧困ボクサーが世界王者(つまりエリート)を痛快に倒すというところが一番の見どころといえます。
ですから、エリートであるアポロの近代的で洗練され金のかかったトレーニングに対して、街中を走、手近にあるものものを使いお金をかけないでトレーニングをするロッキーが、最後に勝つというところにアメリカンドリームの象徴があるわけです。
で、生卵はアメリカ人の観客にとって(いや、日本人以外の観客にとって)「うえー、気持ち悪いーー、でもそこまでしても勝ちたいのか」というメッセージを与えると共に、「食中毒を知らないぐらい無知」「知っていてもそれぐらい食べても平気なぐらい体が強靭(貧しいから元々あまりまともなものを食べないじゃない)」という意味合いも含んでいます。
アメリカは、人種問題や貧困問題が大きな問題であるため、あからさまに表現することは出来ず、このようなシーンで表現しているといえます。
特にロッキーが作られた70年代後半は、日本の台頭による失業率の増大(今の中国の台頭と同じ)、ベトナム戦争帰還兵の復帰の障害、60年代公民権運動の後遺症、などがあいまってアメリカの世相は明るいものではなく、特に貧困は大きな社会問題だったといえます。
だから、生卵を飲むシーンは「なんとしてでも勝ちたい」という強いメッセージがこめられたシーンでもあり、エリートであり、栄養学的にも完璧な管理がされているアポロに勝つためにできることはコレぐらいしかない、という自虐的なシーンでもあるのです。
ワタシはこのシーンを見るたびにロッキーの切なさが伝わって泣いてしまいます(いや、泣くのは嘘です)
ということで、このシーンはむしろ「うへーー、そこまでやる!?」というシーンであって、アメリカ人は通常生卵を食べません。
それが普通ですし、生卵を食べるのは日本人ぐらいでしょう。
ただ、日本では江戸時代から生卵を食べていた、という事実もありますし、どうもサルモネラ菌汚染が話題になったのは1980年代ぐらいからのようです。
今でも日本の卵のサルモネラ菌汚染は原則的にはほとんどない、と言っていいようですが、輸入飼料を鶏に食べさせている以上、江戸時代のようにはいかないのかもしれません。
それでも、生食(生卵だけでなく刺身なども)文化を守るために生産者の方々は品質管理を徹底して、ナまで食べられるようにしているのが日本です。