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明治初期の英語についての質問
- 明治初期の英語塾での外国人教師に対しての要望とは?
- 明治初期の日本人講師の発音についての疑問
- 当時のアメリカ人の発音についての疑問
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私はTV番組は NHK総合の:19:00~19:30 :21:00~ のニュースしか 観ることしかしていませんが,(観るというより,聞くこと:サブ音声で 英国語・アメリカ語・を英国人・アメリカ人・日本人でやっています.日本人としては最高度の発音でしょうが,日本人の発音はやはりすぐに分かります.しかしずいぶんと素晴らしいし最新のニュース単語:この数日は『熱中症』 と『原発』を頻繁に言っていますが『熱中症』=“ heat stroke ”など・・ 前置きはこれくらいにしましてに 私もこの番組は見ました.英語個人塾の設定にしていましたが明治初期の英語の発音はこのような程度だったと思います. 幕末の外国語はオランダ語でしたから,1853・1854と黒船で来た『ペリー提督』・1856の『ハリス初代駐日領事』のとき, 特に最初に日本に来た『ぺりー・Matthew P. Perry』のアメリカ語を理解できた日本人は唯一人・土佐の国出身漁師だった【ジョン万次郎=中浜万次郎】だけでした.私は【ジョン万】にとても興味があり土佐高知へ何回か飛び資料などを見ました ところで,ご質問の(1)・(2) の回答ですが 【両方だったと】 推測します NHK 担当者たち自身も若いですから最後のテロップで流れた資料協力がなければあの当時のアメリカ語は理解できないし,【ジョン万次郎】研究者たちでも諸説あります.でも,『ペリー提督』の【アメリカ第13代ミラード・フィルモア大統領】親書・ 翌年の【日米和親条約】の通事(通訳)ができたのは他ならぬ【ジョン・万次郎】だったそうです.ここらあたりの事情を描いた 「ラスト・サムライ」が話題になりましたが,あのようにアメリカ語が話せた日本人はもちろん存在しませんでしたよ. あまり余談が長くなりますので【ジョン万】は幕末時代・土佐の貧しい「鯨獲り漁師で「寺子屋」にも行けず当然日本語の『読み・書き』はできなかったのにアメリカ語が通じたのは,遭難してアメリカ捕鯨船の〖ホイットフィールド船長〗にアメリカ本土に行き人種差別などたくさんの障害に耐えて勉学した彼のアメリカ語は【耳から入った言葉】でしたからです.彼の書いた日本で初めての『アメリカ語会話本』のわずかだけあげますと: “Good day,sir.”=「グリレー・シャー」=『 よき日でござる』, “Can you speak English?”=「キャニュー・スパーカ ー・エンゲレス」 =『給フカ・汝・エゲレス言葉ヲ』に 漢詩の読み下し文のように 「レ点,一・ニ・三・・,甲・乙・丙・・・」を記してあります.また,単語として 彼が持ち帰った物の中に: 下着類:・・・,「シタキ」とあり『下着類の』 【シタキ】の意味や『町の名前:・・・【ヌ・ヨルカ】とあり全く想像できませんでした.で,アナハイムの「デイズニー・ランド」をブラブラしてた時にアメリカ人の子供たちが絵を描いていて発音して分かるか聞いてみると:!!ナント驚いたことに2,3度発音して彼等がハシャギながら大声で言ってくれた言葉: :【シタキ】=“STOCKING” :【ヌ・ヨルカ】=“ NEW YORK ” のことでした.大人のアメリカ人は少し考えて首を振る人が多かったのに・・・ そこで質問者さんの 「当時(明治初期)のアメリカ人自身がそのように発音していたのか?」 ですが,【そのように発音していたのではない】でしょうけど,日本人fが【そのように発音していた】ので理解はできたのではないしょうか.ただし,今の10才以上のアメリカ人に全部理解できるとは思いませんけど語句の前後から意味を理解できるんでは. 実際 今回の大震災に心痛めて 90歳にして日本に帰化する決心をされた日本人が足元にも及ばないほど日本文化・日本文学・歴史・日本国・日本の心・・全ての分野に知識豊かな あの〖ドナルド・キーン〗さんの早口の日本語・少し発音が聞き取りにくくても,わたし達日本人は十二分に理解できることと同様に 【スパーカー】でも通じると思います. 現に西南アジア・インド・中近東・ヨーロッパの人々のアメリカ語でも理解していますから.日本人のように発音には拘らず母国語式の発音するのは当然と受けとめています. 明治初期ごろには アメリカ合衆国は世界の国々で現在のように経済大国でもなかったのに 何ゆえ日本人が必死になってアメリカ語に情熱を傾けたかは 質問者さんはすでにご理解されてるように,あの土佐の貧しい漁師から 【名字帯刀を許されたばかりか二千石の旗本大身〖中浜万次郎〗 に出世した ジョン・万】 の影響によるものであったと思います. 実に長々の回答になりまして 心より深謝ですが 質問者さんの真摯な疑問に少しで ご参考になればとの気持ちからですので・・・
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- ucok
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簡単なほうから。 >当時のアメリカ人自身がそのように発音していたのか? 典型的なアメリカ人なら、19世紀であっても、まず、そうは発音しなかったでしょう。しかし、イギリス人ならそう発音する人は今も昔も大勢います。その発音はもとはといえば、イギリス人から音の通りに受け継いだのではないかと考えるのが私にとっては自然です。 >当時のアメリカ人に対して native speaker を 「ナーティブ・スパーカー」 と言って理解できたのか? それを言うなら、今のアメリカに行って「いんぐりっしゅ」と言っても理解できない人が大半でしょう。でも日本にしばらく住んでいるアメリカ人なら理解するでしょう。そういう言葉はたくさんあります。 ちなみに、今の時代にもアメリカのコメディ番組には、英語を知らないラテン人が「シェイクスピア」を「シャケスペリ」と発音するような場面が登場したりします。想像力のあるアメリカ人なら、初めて「ナーティブ・スパーカー」という発音を聞いても、だいたい想像できるだろうと思います。 >今のアメリカ人に対してこれを言った場合、ナーティブは別としても、スパーカーは sparker つまり火花を散らす人という風に理解するのではと思うのですが ・・・ 文脈からすれば、それはないとは思いますが、たまにその手の誤解があるのは事実ですよね。 ところで、その番組、見ようと思っていて見逃しました。面白かったですか? イサム・ノグチのお母さんなんかも恋多き英語教師だったようですね。オンデマンドで見ようかなあ。
お礼
有難うございました。 なるほど、明治の英語会話は想像力の世界だったようですね。 想像力の逞しい人なら、「この場面で、この人がこういう発音をするということは・・・」と推理して聞き取れない単語を想像する。 このような世界だったでしょうね。 ま、私たちも日本語のたどたどしい外国人が一生懸命に日本語を話そうとしていて、変な発音があっても、「たぶん・・・」という事で想像を働かすと思います。 あの番組、面白かったですよ。当時の外国人がどこまで外出が許されたのか、また日本人が居留地に入るのがどんなに大変だったのか、すごく勉強になりました。 残念なのが先週の放送で最終回を迎えてしまった事です。 また new version で始まると期待しています。
- diamondcave
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ANo.2 diamondcave です 長い回答でしたので気づきませんでしたし,補足するほどのことでもありませんですが, 前回答者さんの “・・・ but people ・・・”ですが 私も聞いた話です. 東北大学(大震災の中不謹慎だと感じますけど,これも英語の雑学として) (明治時代後期~大正時代初期)の教授が東北弁で言ったそうです 当時英語授業では 直読直訳式で (2・3 英語語句を発音し すぐ直訳する) それで but 〔ブット〕=『スカスィ・・(しかし)』 people= 〔ヘオヒル・・〕=『人々』・・・ 失礼しました
お礼
有難うございました。 東北弁の英語ですか ・・・ これを聞いたすぐに理解できるアメリカ人はいなかったでしょうね。 またそんな先生に学んだ学生はその後、苦労したと思います。 実際に会話をしても通じなかったでしょうね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
1。当時の発音は、ローマ字読みだったと思われます。 native speaker は、「ナチベ スペアケル」に近かったものでしょう。 2。もう一つ、「蟋蟀」は、「シッシュツのキリギリス」のようにまず外国語を原語で読んで日本語訳をつける文選(もんぜん)読みと呼ばれる漢学の伝統が残っていたようです。 http://d.hatena.ne.jp/agarih/20100401 but people は、「ブット しかしながら(=すかしながら)、ペオピル(=屁をひる)人々」と言う風に読んだのじゃ、とある老教授が言っていたのを思い出します。 3。まあ、ナーティブにしろスパーカーにしろ、あまり文字どおりに取らない方がいいと思います。
お礼
有難うございました。 当時はローマ字読みだったわけですか。 ナチベ・スペアケルと言われても、アメリカ人には分からなかったと思いますね。 ブット・ペオピルも笑ってしまいますね。 当時の通訳は苦労したと感じました。
お礼
有難うございました。 お礼が遅くなりすみません。 かなりのブロークンでも、大人には理解できなくても子供には何とか通じるようですね。 大人は理屈で考えるのに対して、子供は100% 感性で受け止めるからだと思います。 でも幕末のアメリカとの交渉でジョン万次郎がいなければ、その後の日本はどうなっていたのでしょうね。 とても興味深いお話に心から感謝します。 有難うございました。