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老いる準備をしていますか。
私は一人暮らしの気楽な会社員です。季節の変わり目で風邪を引き、仕事が忙しかったので、無理をしたところ、気管支炎になってしまい、長引いて、お医者さんに通っています。家の近所の内科の医院にかよっているのですが、残業も多いので、フレックスを利用して朝一でお医者さんに行きます。 そうすると、お年寄りの多いこと。新興住宅地の近所にこんなにお年寄りがいたんだと驚くばかりです。そして、老人医療も無料でない今、そのお年寄りたちの病状も結構深刻そうで、チューブをつけた状態でも、かかりつけ医との連携がとれれば、自宅療養も可能なんだと感心します。 ある日、全盲で、人口肛門なのか体の横に袋をさげた背中の曲がったおじいさんが待合い室で私の隣に座られました。耳も遠いらしく、看護師さんが大声で叫ぶように話しかけています。 この小さいおじいさんを見ながら、咳がひどくて眠れないのに残業続きのモウロウとした頭で「人はなんのために生きてるんだろう」って考えてしまいました。「○○をするために生きている」っていうことばは、ある程度元気な人のためだけのもので、このお年寄りには当てはまらないし、「生きている」そのこと自体に価値があるから、と言えばいいのかなぁ・・それに、こどものときは「自分のことは自分で」と教えられるけど、老いていって自分ことは自分でできなくなってくれば人に頼らざるをえないし。 そこで、質問なんです。皆さんは、老いる準備をしていますか。経済的なことではなくて、気持ちの面で。歳をとるって、急激なことではないのですが、お医者さんで見かけるお年寄りたちを見ていると、なんとなく気持ちの準備が必要な気がして。皆さんのお考えを聞かせていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
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Za-wa-wa さん、こんばんは。 衝撃的なタイトルと難しい内容。興味は惹かれましたが、思うところあっても簡単には答えられないような気がします。 ましてや経済的な面ではなく、「年老いる準備」など、誰もが考えないのではないでしょうか。おそらく、「寄る年月」は何かをきっかけに突然気がつかされるものであり、そういう意味では、ある日突然「急激」にやってくる気がします。「年を取った」という現象が。 そんな経験をすでにしてしまった自分が思う準備といえば、そういう現象などをその時々において素直に受け入れることでしょうか。まだまだ自分は若いはずだ、と無意味なアガキはせずに、軽い気持ちで「年取ったなぁ」くらいに思い、改めて健康について策を講じる。ということくらいですね。 言っている自分もよくわかっていないので、これくらいで勘弁してください。失礼しました。
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今日は、子どもも成人して暢気な中年です。 さて、近年はボランティアに行こうと思っています。 生きている実感を持つのは、人とコミニケィションを取るこれが原点と感じています。 土日は全く暇ですので、何処でも声が掛れば行こうと思っています。 今は、奉仕の仕事も入るので結構忙しいです。 老いるのは、やはり家に隠る事が原因とか、目は常に外をみるのが原則と聞いています。
お礼
回答ありがとうございます。 >生きている実感を持つのは、人とコミニケィションを取るこれが原点と感じています。 これは大切なことですね。 >老いるのは、やはり家に隠る事が原因とか、目は常に外をみるのが原則と聞いています。 ただ、どんなことをしていても、あらゆる人がその速度の差こそあれ「老いる」のは。ご自分で中年という自覚をされている方でも「老いる」のが原因あってのものと考えていらっしゃるのですね。なるほど・・正直にお答えいただいてありがとうございます。
- neterukun
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neterukunです まぁ私もアンチエイジングの仕事もしてますんで かんじることはまぁ皆さんしてらっしゃらない 「なるようになる」と考えてられる方が多いです。 私はといいますと老いることは仕方がないこととは思いますがその速度をゆっくりにすることはできると思います 見てくれだけでなく、精神的にも何らかの若々しさを いつも持ちたい、コレはそう思っています。 何かに燃える自分って言うのは素敵ですよね ですから人からそう思われるのではなく 自分自身が「こんな人生を生きたかったんだ」って いえるように近い将来の像をイメージしています 何歳になったらこういう事をしたいって言う 一種の人生設計、他人が真似してもできない最高の人生 私にとっては世界各国を回って和歌を詠んで一冊の本にする、この作業はまだ準備段階ですが、人からは笑われてもいい、それが目標です「おまえになんかできるか」とか いう人はいわしときゃいいとおもっています。 そういう人は所詮は 「ああ、こんなはずじゃなかった」とこの世を去るのでしょう。 だから自分でも妬みはしない人生を送ろう。 言わば私はこれが私流のアンチエイジングなんです。 人生は一度きりですがもう一度同じ人生をしたいって そう思えたら最高。 でももう43年間独身はしたくないですけどね。 如何なものでしょうか?⌒(*^∇゜)v
お礼
回答ありがとうございます。 >「なるようになる」と考えてられる方が多いです それで、実際なるようになるものなんですか・・でも、そういう人が多いってことはそうなんでしょうね。 >私にとっては世界各国を回って和歌を詠んで一冊の本にする、この作業はまだ準備段階ですが、人からは笑われてもいい、それが目標です ほほう、それはすばらしい。そう言えば、4,5年くらい前まで、私は、50歳くらいになったらバリ島で民宿を開き、60歳くらいになったらインドにいってヨガの修行をしてヨガの先生になる、っていうのを漠然とした人生の目標にしておりました。 「目標を持つ」これは大切ですね。参考になりました。
- fushigichan
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Za-wa-waさん、こんにちは。 私も、衝撃的なタイトルで、しばし立ち止まって考えてみました・・・ 老いるって、なんだろう・・ >皆さんは、老いる準備をしていますか。 はっきり言って、していませんでした。 というか、今を生きることで精一杯というか・・・ Za-wa-waさんと同じように、「老いるのは、まだまだ先だ」という気持ちもあるし 今のことで先を考える余裕がないのも事実です。 老いって、突然にやってくるかも知れないですね。 もちろん、徐々にやってきてはいるんですが、私のように自分のことで必死な人は ある日、突然自分が老いてきたことに気付いて、驚いてしまうのでは・・ Za-wa-waさんですと、お仕事、頑張っておられますよね。 一人暮らしとのことで、日々の生活だって、誰も頼らず頑張っていかなきゃいけない。 私だと今子育ての最中なのと、もうする自分の親を見る日がくるかも知れない(今は元気ですが) ・・・ということから、自分のことは後回しになっちゃっています。 それで、先日も6年前の写真を見て、愕然としました。 若いんです・・・当たり前だけど。 そして若いことがずっと続くと思っていたことと、反対の事実・・・ こうやって、ちょっとずつ、ちょっとずつ、どきっとしながら 老いていくのかなあ・・・なんて思ってしまいました。 >「病気で特に何もできない老人」が自分の価値を見いだせるものがないように思います。そうしたら、そういう人は外界に頼らず、自分自身で自分の価値を見いだしていかなくてはなりません。そういうのって準備がいると思うのですけど・・・ ZA-wa-waさんは、もっと深いところで悩んでおられるみたいですね・・・ やっぱり、病気にならないように健康に気をつけることが これから一番大事になってくるのかも知れないですね。 あとは、おっしゃるように、老いても一人でも、何か生きがいを感じることができるもの・・・ 趣味とか、何でもいいので、一つは見つけておく必要がありそうです。 まだまだ先だ、と思っていてはいけないような気がしてきました。 お互い頑張りましょう・・・!
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。人は今を生きるのに精一杯なんですね。今の私はちょっと病人モードなのでそんなこと考えてしまうのかも。少し前に私の祖母が99歳で他界したのですが、歳を重ねていくたびに「こんなこともできない・・あかんようになった」というのが口癖でした。「昨日できていたことが今日できなくなる」というのに直面していかなくてはいけないんだなぁと思ったのですが、そういうのも毎日の体験でだんだん受け入れられるようになっていくものなんでしょうか。 生き甲斐って大事ですね。なんか探してみます。
お礼
「難しい内容」で失礼しました。まだ自分が「老いる」というところまで少し時間があるので、客観的に見ているからなんでしょうか。うまく言えないんですが、新聞その他のメディアをみていても、そこで紹介されているのは「老いてますます元気」や「老いても○○ができる」を賞賛するもので、「病気で特に何もできない老人」が自分の価値を見いだせるものがないように思います。そうしたら、そういう人は外界に頼らず、自分自身で自分の価値を見いだしていかなくてはなりません。そういうのって準備がいると思うのですけど・・ >無意味なアガキはせずに、軽い気持ちで「年取ったなぁ」くらいに思い そうできるようになりたいです。何となく焦ってしまうような気がして。 ややこしい話に回答いただきありがとうございました。