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感情論でない
感情論でない議論なんて存在するのですか?
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より真実を引き出すための「演繹法」及び「帰納法」に基づいた議論の積み重ねは、感情を排除したところで成立しているように思いますが。 一般的な事ですが、世の中のあらゆるもの事を決めているのは、当事者の感情が大なり小なり絡んでいるようです。 その感情の絡み方が少ないか多いかによって、正論に感じられたり身勝手な論理になったりするように思います。 何だかんだいっても人は、最初は好きか嫌いか。自分に合うか合わないかの、感情を主体とした気持ちで対象を判断し、近付くか避けるかの態度になるのでは無いでしょうか。 年令を重ねるに従って、感情にブレーキがかかって秩序意識が優位に働く様になるのでは、と思いますが。
- mojitto
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アインシュタインの宇宙定数あたりがいい例ですね。 「宇宙は膨張も縮小もしていないだろ」という気持ちで、帳尻を合わすために入れた定数ですが、のちに宇宙の膨張が確かめられ、自身が「最大の過ち」と後悔したほどです。 確かに感情論が組み込まれていることは多々あります。 が、議論を経るごとに、新しい証拠が出るごとに、感情論は廃されていきます。 そして感情論がそぎ落とされたモノ同士の議論であれば、限りなく「感情論でない議論」になると思います。 (ただし論者は「この理論が正しい」という感情が常に付きまといますが、その感情すらも許されないのなら、正しいとは思わないことを論ずる者はいないです→議論にならない)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
現実には存在しないと思います。 まず感情から入ります。 そして、その感情を裏付けるために 理論を構築します。 これが通常です。 徳川家康は何とかして、豊臣家を攻撃したかった。 それで あの徳川家康は、鐘に書かれた文字を口実に 豊臣家を滅ぼしました。 この鐘に書かれた文字を口実にするのが理論で あり、それをどう考えるのかが議論です。 犯罪は何故いけないの? 被害を与えるから。被害を与えるのは何故いけないの? ・・・・・・ 最後は、被害を受けるのは面白くないから、という 感情に行き着くのです。 しかし、感情だけでは議論が出来ません。 俺は嫌いだ、あたしは好きよ。 では水掛け論です。 好きな理由や理論を掲げ、その理由や理論を議論の 種にする訳です。