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「自分は学者だ」と自分から言う。
最近、学問教育のあるカテで「自分は学者だ」という20歳代の人がいました。 「あの人は学者だ」というのは、一種の褒め言葉だと思います。 だから普通、日本人は「自分は学者だ」とは言いにくいものですが、最近の傾向はそうでもないのでしょうか。
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『学者」という言葉のニューアンスも時代とともに変わって来るということだと思います。 「自分は学者だ」という20歳台のひとは、ことさらに自分を偉く見せようとしたわけでもなく、 少なくとも日々を(大学かどこかで)何かの研究を業として生活していたので、(私はそのことには詳しいつもりだ、というような自負をこめた感じで)そういった言葉が漏れ出たのではないでしょうか。 もっとも、もちろん質問者様の違和感は私も共有しています。冗談でもそういった言葉は口には出せないのが常識でしょうが、そういえば かなり以前、実績をあげた高名なスポーツマンが引退直前に「自分を(よくやったと)褒めてやりたい」 とインタヴューで答えて話題になったことがありましたね。「自分を褒めてやりたい」と言う言葉はその当時ちょっとした衝撃で世間に伝わったのを記憶しています。現在でもその有名人は盛んにTVで活躍していますが、これが効いたのではないか、と思います。 言葉の新しい使い方はまれに起こるものです。 ですから、今後は「私は学者ですから」という言葉はそう違和感なく若者たち中心に使われるのではないでしょうか。
- hakobulu
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>「あの人は学者だ」というのは、一種の褒め言葉だと思います。 : でしょうね。 ~の専門家、などもちょっと鼻につきます。 せいぜい、~を専門に研究しております、ぐらいが適切でしょう。 先生などもそうでしょう。 「わたしは先生です」とは言わないのが普通だと思います。 教師です、ぐらいでしょうか。 社長なども自分では言いにくいような気がします。 会社を経営しています、ぐらいが妥当。 その方は、自分の投稿内容に自信がなかったのだと思います。 それだけなら誰しもが経験することですが、それだけではなく、自分の投稿内容をどうしても納得させなければ気がすまない、という(あえて明記しませんが)ある種の神経症的傾向が垣間見えます。 まあ、こういった傾向は誰にも多少はあるものですが、自分は学者だ、という他者に対する一種の恫喝的作用としての表現を採用せざるを得ない、という点に違いがあります。 このような表現が特に必要とされていないような場面において、その表現を使ってしまう、ということが神経症たる所以になるわけです。 ただ、投稿内容の真偽を問われて止むを得ず、私はその方面の学者なので一定の根拠を持った内容ですよ、という釈明のための発言であれば多少は割り引いて評価する必要があるかもしれません。
お礼
>自分は学者だ、という他者に対する一種の恫喝的作用としての表現 なるほど、おっしゃる通りです。 「この紋所が目に入らぬか!」と、黄門様の印籠を突き出すのとよく似ています。 例えば学問ではない、医療や福祉のカテで「自分は○○科の医者だ」と名乗るのはいいと思います。 これは回答者様のおっしゃる「一定の根拠を持った内容ですよ、という釈明のための発言」でしょう。 「私は学者だ」⇒「お前とは身分が違う、恐れ入れ!」のような感じにも取れますので、こりゃ差別的に聞こえますね。 大変よくわかりました。ありがとうございます。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
こんにちは。 大学の先生が 「学者をやってます」 「一応、学者で食ってます」 と言うのはよく聞きます。これらは違和感はありません。 職業を聞かれて 「大学教授です」 「××大学の教授です」 「教授をやっています」 と言うのは、オフィシャルもしくはフォーマルな場面では普通です。 「研究者です」という言い方がありますが、これは大学教員であるとすれば、少し違和感があります。 ちなみに、私はたくさんの東大卒業者と仕事をしたことがあるので、 「ぼくは東大です」 「東大出身です」 「東大の学生です」 と言われてもまったく違和感がないですが、これは違和感を覚える人の方が多いと思います。 「一応、東大です」には、輪をかけて違和感(嫌味)を感じる人もいるでしょう。 遠縁の親戚で、自己紹介するときに 「私、東京理科大学なんです」 と言う人がいるんですが、ほかの親戚の人達にしてみると違和感があるそうです。 大学を卒業したということを自慢しているように聞こえるそうです。 しかし、これも私は違和感がないです。 その人がなぜそういう自己紹介をするかというと、実は事情がありまして、 現在でこそ有名企業のトップクラスの地位にいますけれども、元々は高卒で就職して、苦労をして一所懸命勉強して、会社に籍を置きながら、やっと東京理科大学に入った、という自分の経歴を自虐的に言っている意味があるんですね。 というわけで、シチュエーションやバックグラウンドによっては、 「私は学者です」 はOKというのが私の見解です。 何か憤慨されているご様子ですので、ご希望に添えない回答でしたら、すみません・・・
お礼
>何か憤慨されているご様子ですので、ご希望に添えない回答でしたら、すみません・・・ いえ、憤慨よりも噴き出したんです(^^)。 シチュエーションは、本サイトの回答欄で質問者と意見が合わずに「私は学者です」と言ったのです。 立派な回答ならばそんなこと言う必要はないと思いますがね。 私は次のような感じです。 若い女性が「小学校の先生です」⇒○・・・可愛い感じがする、よって○ 中年の男性「小学校の先生です」⇒× 中年の男性「小学校の教師です」⇒○ ありがとうございました。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
ちょっとあり得ないと思います。なにかを思い違いをしているのではないでしょうか。 他の人がその学問や研究を評価して~~に関するすぐれた学者とかに使う言葉だと思い ます。 そのうちあだ名になるでしょうね。おい学者とかよばれて、 自分の事を云うなら 「なになにを研究しています。」「一介の学術の徒」とかいうべきですね
お礼
>なにかを思い違いをしているのではないでしょうか。 真面目に本気で名乗っていらっしゃいます。 回答内容が専門的で立派なものであれば、別に自分から名乗らなくても、人は、「ああ、この方は学者だ」と思う筈なんですがね。 自分の回答に自信がないからでしょうね。 女の子から「お仕事は何をしていらっしゃるの。」と訊かれたら 普通は「国文学の勉強をしてます。」というところ、 「国文学の学者です」というんでしょうかねW。 ありがとうございました。
- botamoti
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小説家 物書き 画家 絵描き 教授 教師 自分のことを表現する時、こんなふうに置き換えて言っているようです。 自分のことを学者といっても別にいいけど、聞いたほうはやや違和感を感じるのは確かです。 もっとはっきり言えば奥ゆかしさが感じられず、むしろ底の浅さが露呈してしまっている感じです。 多分自己顕示欲がすぐった人なのでしょうか。 学者だったら研究者と言った方がまだいいのかな。 もっともアインシュタインなどのように20代前半で業績を挙げてしまった人なら素直に聞けますね。
お礼
>小説家 物書き >画家 絵描き >教授 教師 そうですよね。 軍人なら兵隊って言います。 士官学校を出たのなら、兵隊の学校を出ましたといいます。 >奥ゆかしさが感じられず、むしろ底の浅さが露呈してしまっている感じです。 ほんとうにそうですね。 自分の額にレッテルを貼って「我はブランド品なり」と無理やり言っている感じ(^○^)
- keirimas
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学者 1)学問にすぐれた人 2)学問を研究する人 一種の褒め言葉としては1)の意味で使い、 2)の意味で使うときは、自分で学者を名乗っても特におかしくはないかと思います。 「学識者」となると、自分でいうのは恥ずかしいかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
>少なくとも日々を(大学かどこかで)何かの研究を業として生活していたので、(私はそのことには詳しいつもりだ、というような自負をこめた感じで)そういった言葉が漏れ出たのではないでしょうか。 はい。そうだと思います。 しかし、これは「自分を偉く」と同じでしょう。 「自分を褒めてやりたい」・・・たしかマラソンの有森さんの言葉だと思います。 あれは良かったですね。 >今後は「私は学者ですから」という言葉はそう違和感なく若者たち中心に使われるのではないでしょうか。 なるほど。ありがとうございました。