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好き嫌いが多すぎる人が全く理解できません。。
誰でも一つ二つ、あるいは特定の食品が使われているのが生理的に無理だったり、 アレルギーだったりトラウマだったりする場合があると思います。ゲテモノ系とかね。 ただ、生野菜がダメ、きのこがだめ、にんじんダメ、懐石料理無理、フランス料理意味わかんね。 でも、ハンバーグ、カレー、ドレッシングたっぷりサラダ、スパゲッティなどは大好き。 みたいな人が全く理解できません。 聞くと共通しているのが、「子供のとき、自分の好きなものだけが食卓に出ていて、嫌いなものは食べなくても怒られなかった」という事です。加えて、そういう方は総じて太っていて、且つ怒りっぽく、食べ方も決して綺麗ではなく、加えて「そんなんウマねーじゃん」という言い方で、人が今食べているものを否定します。 以来、それなりの理由もないのに好き嫌いが多すぎる人を見ると、育ちから疑ってしまいます。 実際、やはり子供のときの食育が悪い人がとても、そういう方には多いように思います。食べ方が汚いのも、訓練されてないからなのでしょう。 偏見でしょうか?実際、好き嫌いがあまりにも多い人は、結婚にも遠ざかってる人が私の周囲では多いのですが…。
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- rowena119
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私は好き嫌いが全く有りません。が二度目の妻と連れ子は好き嫌いが激しいです。妻は外国人です。海苔がダメです。納豆や、さばのヘしこはバクバク食べます。連れ子はきのこがダメです。他にも沢山好き嫌いが有ります。私は、質問者さんと同じ感覚で、好き嫌いを言う人は、食生活が貧しかった所為だと思っていますが、口では言いません。目の前で食べるだけです。所謂食わず嫌いが殆どですから。私の妻は、納豆は臭いモノと思っていたようですが、梅肉を刻んで混ぜて食べさせたら嵌ってしまい、今日も冷蔵庫に入っていました。今晩出そうです。
- Antithese
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別に、偏食自体は個人の自由だと思っています。 こんな時代ですから、好き嫌いの一つや二つや三つや四つ(笑)あったところで生きていくのに困りませんからね。 私はこちらが食べるものを否定するような偏食家にあったことがありません。無理に食べろと言えば「そんなの良く食べられるな」くらいのことは言ってくるかも知れませんが、基本的に無理強いしませんから。 むしろそういう人とレストランに行くと、その人が残した野菜などももらって食べるので、少し得した気分になります。 入る店が制限されるのが唯一のネックです。 私も子供の頃は好き嫌いが多かったですが、大人になるにしたがって食べられないものが減ってきました。 好き嫌いの多い人は、味覚がお子様なのです。 子供相手に目くじら立てても仕方ないでしょう。 温かい目で見守ってあげなきゃ(笑)。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
現在では食育という考えがありますので偏食も減るかなと期待しています。 好き嫌いですが、我が息子が発達障害をもっていまして、同じ食材でも形が変わることで食べないことも多々ありました。今はおそるおそる食べて「美味しい」で次回からは食べますが、たまに出る状態だと「これなに?」状態ですけど説明すると食べます。 他にもアレルギー体質だった人は食べ物も制限されますので、決まった形の食事も多かった可能性が考えられます。食わず嫌いの状態にされてしまったかもしれません。 息子ですが、一度食べてしまえば楽ですが、それまでは大変でしたね。給食で食べたことがあるなどの経験が助かっています。 現在では時々躊躇するけど好き嫌いはないです。 結婚に関しては関係無いかな、している人でも偏食のある人も居るから。ただたんに縁がないだけかもね。 それと美味しんぼが出てくるまでは食に関してはいい加減な所も有った。美味しい物が極端だったように思います。食に関して見直されてきてようやくかなと。豆腐が一番変わったかな。昔は箸でつまめないものが主流でしたからね。今は生産者側が考えて美味しい物、安全な物へと変わったから。 親の食生活も関係するからね、偏食は。
私も好き嫌いが多い人、好きじゃないですけど 実は自分も最近までかなり偏食でした。 私は怒られすぎてというか むりやり食べさせられて気持ち悪くなったものは 食べられるけど今でもあまり好きじゃないです。 あとは体質なのか感覚が敏感で 香りの強いものや触感がダメだとNGでした。 ホワイトアスパラとか喉の奥に入っていきませんでした。 楽しい食事や、本当に美味しいものに出会い 自分で作るようになるとだんだん減った気がします。 あとはそれしかないっていう環境も必要かも。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
ハンバーグとかカレーとかスパゲッティとかラーメンとか唐揚げとか、そういうものしか受け付けないって人、結構いますよね。 いろんなものを食べる喜びを知ってる人間にとっては、あり得ないと言うか、理解不能なわけだけど、何を重視して生きるかは本人の自由で、これが好きだからこれだけでいいって考え方にも、食事のことで悩む時間を他につぎ込めるとか、それなりに理屈はあるんじゃないでしょうか。 いろいろな美味しい物を食べる喜びを知ってしまったら、それを捨てるのは難しいけど、知らなかったらそんなことで必死になってる人の気が知れないってことにもなるだろうし、食べる喜び以上の喜びを他のことに感じているなら、食なんてどうでもいいってことにもなるだろうし。 ただまあ、食べる喜びを大事にしている人と、そうじゃない人が一緒に食事すると、お互いを否定し合うことになるので、食事する時は好みが合う人とした方がいいですよね。
- sailor
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確かに言えますね。 ただ、そういった人たちを否定する気はありませんし、個人の自由であるとも思っています。 私自身は殆ど好き嫌いはありません。強いてあげるなら貝類の肝ぐらいかな。イナゴとか蜂の子とか虫もいけますしね。食べ物の好みというか、味覚の範囲というのは子供のうちにかなりの部分が作られてしまう物なのかも知れませんね。私はいわゆる野生児の部類に入るような育ちかたをしたので、山の物でも海の物でも、毒でなけりゃとりあえずOKで食べてみる方でしたから、味覚の範囲は結構広いと思います。まぁ、最初に書いたとおり個人の自由ですから、無理に勧めることはしませんが、ただ、自分の好みでないからという理由で、人が食べているものを否定するというのは、味覚以前に人格を疑いますね。 食べる食べないは自由ですが、自分の味覚が標準であるという考えを持つこと自体が問題ですね。 あと、食べ方の汚い人は確かにいますね。特に焼き魚などの食べ方を見ると、少なくてもこの人は何も考えずに食べているんだなということはわかりますね。初めての食材なら食べ方が判らないのは当然ですが、何度も食べているはずの食べ物の食べ方が上手にならないというのは、日常の所作に何の工夫もしない人であることは確かでしょうし、食い散らかすことが一緒に食事をする人に迷惑であることも気づかない無神経な人である可能性も高いでしょうね。 テーブルマナーという言葉がありますが、これはフォークやナイフの使い方を決めたものではなく、一緒に食事をする相手に不快な思いをさせないために作られたルールであること、和食でも会席などでの所作は同じ意味で作られていることを知れば、当然、良し悪しは判るはずですよね。 まぁ。仲間内の食事などでかしこまった話をしてもそれは無粋ですから、そこは各々弁えるとしても、人の食べ物に異議を立てたり、無理強いするは無粋のきわみで、恥ずべきことでしょうね。
- poolisher
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偏食は変なのが多いですからあんまりまともに付き合わない事です。