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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:俗名で葬儀後の供養について)

俗名で葬儀後の供養について

このQ&Aのポイント
  • 夫が亡くなり、葬儀後の供養について悩んでいます。
  • 初七日の供養や成仏についての疑問があります。
  • 日常生活での供養行為についても悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • peri1005
  • ベストアンサー率33% (610/1798)
回答No.2

がんですか。。。筆舌に尽くし難い苦しい戦いだったのですね。お悔やみ申し上げます。 七七日(四十九日)までの供養は追善供養と申します。 他の寺院さんであっても初七日において読経をしていただいているわけで、何も出来ていないというのは誤りだと思います。何かお尋ねになったそのお寺さんが勘違いをなされたものでしょう。捉え方はいろいろあるようですからね。 追善供養とは一つの区切りなんです。時間は刻々と過ぎていくものですから、もしその時間までにできなかったものは、初七日として供養することはできません。ただ初七日以外にあっても貴女が追善供養してあげられる機会はまだあるわけですから、そこでご自分の気持ちを向けられることで十分に届くと思います。やってないからどうかするわけではありません。七七日まではどうあってもまだ道の途中なんです。苦しみが完全に除かれるわけではないものとお考え頂きたいと思います。これはどなたも変わりません。 貴女は十二分に心を向けておられます。これまでと変わらず思ったとおりに供養なさってください。 これまでと同じ生活をすることが、成仏の妨げになるということはありません。貴女の気持ちの整理がついてくるまで、やっていただいても結構です。 気持ちはわかりますが済んでしまっている細かい事は気にせず、これからの供養のこと、そしてこれからの生活のことに重点を置いてお考え下さい。 貴女が健康で元気に生活を送るようになっていくこと、これが亡くなられたご主人の願いでもあることです。貴女が亡くなったとき、あの世で再び巡り合って仲良くお話ができますから、安心してみ仏さまに仏弟子となったご主人をお任せいただきたいと思います。 ご参考まで。

tanya_omo
質問者

お礼

peri1005 様 ご回答ありがとうございます。 1) >初七日以外にあっても… 和尚様がおっしゃることと同じです。私にもやっと分かってきました。 これまでは、三途の川を渡れなければ二七日の審判が受けられないとか、 物質的(?)な考えでしたが、供養はその瞬間瞬間ではないのですね。 >七七日までは…苦しみが完全に除かれるわけではないものと この言葉で逆に安心しました。 主人に「もし痛みや苦しさが残っていても、病気が進んでだんだん辛くなった 以前とは違い、これからは徐々に楽になるように供養するね。」と言ってあげられます。 2) 下半身麻痺になって、介護ベッドから一歩も動けなかった主人が 寝室で自分のベッドに入ったり、浴室で入浴したり、テーブルについて食事したりと、 以前あたりまえにしていた生活ができないことを嘆いていたので、 その思いをかなえるという意味合いもあります。 成仏の妨げにならないと聞き、安堵しました。 私自身の気持ちに整理がついて、主人も満足したかなと思えるまで、 あまり構えずにこれまでの生活を続けていきます。 >あの世で再び巡り合って仲良くお話… 涙をこぼしながら何度も読みました。 あたたかいお言葉、本当にありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • noaaano
  • ベストアンサー率50% (26/52)
回答No.4

1) >故人が使っていた茶碗や湯飲みを割り… 「こちらに戻るところがないと教えるため」 それが一般的ですが、それはあまりに浅略でしょう。 これは、仏教とは関係のない古来からの風習です。荒魂(新魂)の信仰によるところです。 浄土宗などでは迷信として、この風習を推奨していません。 理由づけするとした、この世で割ってあげるとあの世で使えるからでしょう。 こう思った方が、いい風習ですよ。

tanya_omo
質問者

お礼

noaaano 様 補足説明ありがとうございました。 なるほど、古来からの風習には、深い意味(&旅立った人への思い)があるのですね。 故人ゆかりの品物すべてにあてはめることができそうです。 基本的には、お骨と一緒におさめるとよいのですね。 大変勉強になりました。ありがとうございました。

  • noaaano
  • ベストアンサー率50% (26/52)
回答No.3

ご愁傷さまです。 1、最愛の方ということで、精一杯のご供養をしてあげたいという気持ちは分かります。 杖のことですが、故人が使っていたものは、こちらの世界で壊してあげるとあの世で使えると言われます。よく、故人が使っていたお茶碗や湯飲みを割りますよね。 同じように木製の杖ものこぎりか何かで切断して、骨壺に余裕があれば骨壺に入れてあげて、入らなければお墓のカロート(骨壺を収める部分)にでも入れてもらったらいかがでしょう。 ご主人が夢の中で、「戒名をもらって、少しは苦しさがとれる」とおっしゃったのなら、二七日から七七日忌までご供養したら、さぞ苦しさも除かれ、供養になることとと思います。 初七日が気にかかるのは残念とは思いますが、そこは諦めて。その分、毎月お墓参りをしてお線香とお花をあげて供養するとか、四十九日の後も仏壇に毎日、お供物を捧げて、手を合わせ、供養しつづけていかれたらよろしいと思います。それに、百か日忌、一周忌、三回忌、七回忌・・・の法要も忘れずに供養していけば、必ずご主人は安らかに眠れると思います。 2、四十九日だから、ポンッとやめる必要はないと思います。 気になるようでしたら、テーブルに用意していたご飯を仏壇に供える。そのあとに、テーブルに置いたり。 逆に、テーブルに置いた後、仏壇に供える。 こうすれば、旦那様があの世に行っても、ご供養にもなりますから、成仏しやすくなるのではないでしょうか。 もし、奥様が落ち着いてこられたら、仏壇だけにご飯をあげるようにして、徐々に仏飯だけにしてもよろしいかと思います。 パジャマなども、同様にご仏壇に上げるようにしてもよいと思います。昔は、「お布施」と書くようにお供物の最上のものは絹織物など(高級品の代名詞的なもの)でしたから、パジャマもご供養にしてよいと思います。最終的には、破いてあの世に送ってあげてもよいと思いますが テレビのことに関してですが、これは自分の癖だから気にしてないでと、旦那さまにお話しされたらよろしいかと思います。音がないと寂しいからとか、言い訳も言っておかれたらよろしいかと と、思いついたことですのが、お世話になるお寺に相談されて良いお答えがあれば、それが良いと思います。

tanya_omo
質問者

お礼

noaaano 様 ご回答ありがとうございます。 1) >故人が使っていた茶碗や湯飲みを割り… これは「もう帰るところはありませんよ。」の意味かと思っておりましたが、 あの世で使えるようにするためなのでしょうか。 ただ、杖自体は故人が使っていたものではありませんのでいかがなものでしょう。 >さぞ苦しさも除かれ、供養になることと… そうであっとほしいと、切に願っています。 アドバイスどおり、四十九日で終わらせず、心を尽くして供養していきます。 2) 下半身麻痺になって、介護ベッドから一歩も動けなかった主人が 寝室で自分のベッドに入ったり、浴室で入浴したり、テーブルについて食事したりと、 以前あたりまえにしていた生活ができないことを嘆いていたので、 その思いをかなえるという意味合いもあります。 そのため、食べ物はいったん仏壇にお供えしておりますが テーブルで食べるという行為を大切にしております。 他にも、朝に居間のお気に入りのパーソナルチェアで新聞を読む行為などです。 パジャマなども破いて送ってあげるとよいのですか。 知らないことがたくさんありました。 和尚様にも教えを請って、知識を深めていきたいと思います。 いろいろと教えていただき、ありがとうございました。

  • ymmasayan
  • ベストアンサー率30% (2593/8599)
回答No.1

ご愁傷様です。 戒名がつく前のことや、杖のことなど気になることは全て お坊さんに相談してください。 きっといい答えを出して下さるでしょう。 そしてそれをあなたが受け入れることです。 日常生活ですが、暫くは急には変えられないでしょう。 でも仏壇が出来ていて、次に納骨・49日と段々状況が変わってきます。 形見分けや、お盆、秋のお彼岸、年賀欠礼状、春の彼岸、1周忌と 進むにつれて気持ちも変わってくるでしょう。 あわてなくていいと思いますよ。

tanya_omo
質問者

お礼

ymmasayan 様 ご回答ありがとうございます。 1) 以前、和尚様に尋ねたことがありますが「だいじょうぶ。」と。 杖のことも「拝んでから護摩焚きを」と話しましたが、不要と言われました。 具体的な内容には触れず、心をこめて供養をと話されました。 無知な私は、三途の川を前にして、いったい主人がどうなっているのか 聞かないと不安で、このような質問をさせていただきました。 アドバイスにしたがって、五七日の法要後に再度尋ねたところ、 「これだけ丁寧に供養されているのですから、心配いりません。」と 言ってくださいました。 2) 下半身麻痺になって、介護ベッドから一歩も動けなかった主人が 寝室で自分のベッドに入ったり、浴室で入浴したり、テーブルについて食事したりと、 以前あたりまえにしていた生活ができないことを嘆いていたので、 その思いをかなえるという意味合いもあります。 いつまでも日常生活を繰り返すことが、本人にとってはどうなのか…。 時間の流れに、身をまかせてみます。 あたたかいコメント、ありがとうございました。

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