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被害妄想・対人恐怖症(あがり症)・自傷行為など…
今は落ち着いているので質問させていただきます。 長文です。 現在高校一年です。二日ほど前に、買ってきたストラップを忘れてしまった事が原因で大泣きしました。 そこからが私の悪い癖で、「私はそんなことすらできない」「自分が情けない」「親に迷惑をかけてばかりだ」「自分は何もできない」など、まったく関係のないことまで考えてしまい、本当に気分が沈んでいました。 風呂場でオエオエやってしまい(何も出ませんでしたが)、もう私なんて死んだっていい、どうせ何もできない、そんなことがずっと頭の中をループしていました。 昨日も学校で、おそらく私のちょうど隣にいた上級生を怒鳴ったのだと思いますが、それがまるで私が怒鳴られているように感じ、思い出しただけでも心臓がバクバクし、冷や汗がでて震えます。今これを打っているときも手が震えてます。 クラスでも、笑い声が私に対する悪口かもしれない、私と喋ったら気分を悪くする、と考えてしまい居場所が無いように感じます。実際、クラスの雰囲気に全く馴染めていません。 一回も喋ったことのない人から挨拶されたときも、頭の中が真っ白になり、固まってしまいました。 会釈とともに、なんとか喉の奥から絞り出した声も、少し離れた相手に届いたかわかりません。 最近風邪をひいているので、マスクで表情も分かりづらかったと思います。 何であのときちゃんと挨拶返せなかったんだろう、と一日中考えていました。 いつも、話した内容を一々後で思い返し、満足のいかなかったものはずっとリピートし自分を責めています。 他にも、行事の予行だけで緊張しすぎて吐き気が止まらなかったり、手汗、冷や汗、動悸、腹痛などがあり酷いです。 手足の震えもあります。 まだ高校一年ですし、先が長すぎてつらいです。 似たような感じで思いつめ、中学二年のときには自傷もしました。 今はなんとか寸前で留まっていますが、指が酷いです。ささくれをいじり、血だらけになるのも珍しくありません。自分でも不思議なくらい無心になれるんです。 自傷の件、二日前の件、両方とも母親がずっとなぐさめ、励ましてくれました。思い出しただけで優しさに涙が出ます。 母親の為にも高校は辞めたくありませんし迷惑もかけたくありません。 でも自分が変われる自信がありません。無理、って諦めている自分が情けないです。 文章がおかしくなっていたらすみません。 同じように悩んでいる方、また過去にそんなことがあった、という方、それ以外の方でもかまいません。 なにかアドバイスをください。 また、この症状はタイトルにあるその二つで合っているのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
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- miraimaru1137
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質問者さまの状況、とてもお辛いでしょうね。 私にも、そのような時期がありました。 家族から虐待されていたこともあり、自分の存在・感覚が分からなくなり、痛みで自分の存在を確かめる為に自傷した跡は、今でも腕に残っています。 他者の全く関係ない会話や声が、恐ろしく思えたこともありました。 今考えてみると、私の場合、周囲の状況が分からなかったからだと思います。 自分という存在がどう見られているのか、どう思われているのか、どう関わって良いか、分からなくなっているとき、そんな切迫した状態になってしまう事が多かった気がします。 そして同時に、高校の時からでしょうか、些細な物音に常に体がビックリしてしまう体質になってしまったのです。23になった今でも、その体質のままです。それが、虐待された過去からくるトラウマなのだと周囲からも心療内科の先生からも、接触障害とか、なんとかという病名を付けられて、トラウマからくるのでしょうと言われ続けていたので、自分でもそう思い込み、体がびくつく度に、過去の恐怖か思い起こされて、鬱やパニック・過呼吸になってしまうこともありました。 しかし、そんな私がそれを乗り越えたのは、今の会社が色んな人の病気・症状を現代医学とはまったく違う方向から研究しているところだったからだと思います。 調べてもらった結果、ある食品に含まれている添加物によって、体に異常が起き、脳がその異常があることを訴えるために、神経を過敏にさせ、何かの物音でビックリするようになっていたのでした。 異常を起こしてた部分(私の場合、足の骨だったのですが)に自分で触れると、突然の物音にビックリしたり、恐怖を感じなくなったのです。 今後の改善としては、その添加物をさける事だと思うのですが、私が好むものだったので、今でもついつい食べてしまいます。 だから、今でも物音に(自分のケータイのバイブ音でも)体はビックリし、すくみます。 けれども、気持ちの方が随分変わりました。 私の体が、そういうスイッチが入ってしまうシステムを持っていただけで、周囲が言っていたような、トラウマからきているものではなかったと分かったからです。 心療内科でとりあえずと出された抗鬱剤も、私の場合、全く解決に至らなかったのも納得できました。 知らないということが、不安につながるのだなーと思いました。 抗鬱剤の処方は、国で決まっている事なので、お医者さんを責めることはできません。 また、病名をもらう事が、良いか、正しいかという事は、私にはわかりません。 病名や症状の名前をつけてもらって、「自分はこういう病気だからこうなって仕方がないんだ」と安心される方もいらっしゃるからです。 私の場合は、それで落ち込む事が大きかったので、症状を名称に当てはめるのは良くなかったです。 そして、私自身、医療の知識は皆無なので、回答者様のその疑問にお答えはできません。すみません。 周囲の人の意見で傷つく時、相手の方は悪気がない時の方が大抵の場合だと思います。 それは、私がその人を知らないからという可能性もあります。 私が被害者意識を持って自分を守りたい時、私は大抵相手に対して傷つきます。そうやって、自分を守りたいから……。でも、それが私にとって損なことと思えば、相手の意見を聞いて理解する努力をする必要があるのでしょうね。 全く知らない相手に何かを尋ねられた時、緊張することは私もこの物騒なご時世ですから、あります。 挨拶されることもしかりです。 挨拶を返すことが良いと思われるのであれば、自分に気持ちの余裕がある時、相手に悪気が無さそうと思ったとき、できると良いですね。 無言でこうべを軽くたれるだけでも良いとおもいます。 コミュニケーションの方法は、回答者様が納得される形をとれれば、それが一番良いですよね。 何で周囲が恐ろしく思えるのだろう。というとき、どうすれば自分は納得できるのか、自分の心と相談する時間がほしいですね。 今の自分の状態が良くないことだと思うとき、自分はどうしたいのかを考えてみることも解決に繋がるかもしれません。 できない事を、出来るようになるにはどうしたらいいのか……。 考えても分からなければ、周囲に聞くということも、解決に至る選択肢の一つかもしれません。 みんながみんな、それぞれの環境で生まれて、色んな場面で色んな風に考えているので、正解というのは無いと思いますが、 その中で、回答者様の納得されるものが得られれば、回答者さまの安心に繋がるのかもしれません。 私も、今まで、一人で狭い知識の中で考えて行き詰まったのでした。 そういうときの第三者の意見は、私の考える幅を拡げてくれたのでした。 長文になって、すみませんでした。