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私鉄の合併で
私鉄の合併で戦前は相次いで合併してたんですが戦後は合併が少なくなったんです。レポート明日までに出さないと卒業できないんです。なぜだかわかる交通経済に詳しい人助けて下さい。お願いします。
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はじめまして。 簡単にまとめます。 私鉄の合併は、「国家が私鉄を買収する」という形をとりました。富国強兵をスローガンにしていた明治政府にとって、鉄道の普及と整備は、産業基盤の確立になくてはならないものだったのです。日清、日露の戦争がこの動きに拍車をかけました。 有名なのは、1906(明治39)年の私鉄国有法で、日本鉄道(東北線、常磐線など)や関西鉄道(関西線、片町線、和歌山線など)など主要17社が国有化されたことです。 もっとも合併の裏には、国策という要因以外にも私鉄の経営不振という要因があります。当時の鉄道は、大資本がないと安定した運営・経営ができにくかったのです。 昭和に入りますと昭和の恐慌、軍部の独走による日中戦争から太平洋戦争へ突入してゆきます。こうなりますと鉄道の重大さは大いに増しました。石炭・セメントなどの軍需物質や兵員の輸送、迂回路の確保のため、鉄道は国家の管理下に置かれることとなります。 交通統合による強制合併で、大東急や北陸鉄道などが成立し、また善光寺白馬電鉄や出石鉄道が鉄資材回収の為にレールが外され休廃止になったりしました。 そうした中で、戦略上国家による運行が望ましい私鉄路線を強制買収することも行われました。これが俗に「戦時買収路線」といわれるものです。買収は2回に分けて決定され、1943~1944年に買収されました。 戦後はGHQ指導により、国家の干渉をなるべく排した自由主義的経済をめざすようになります。そのためには私鉄の普及が奨励され、経営強化がはからえました。南武鉄道や南海鉄道などが戦後、路線返還運動などを起しました。 1987年、日本国有鉄道の歴史に幕が閉じ、JRが誕生しました。JRは、地方の赤字路線はなるべく廃止せず、第3セクターの参入という形で残す方針で進んでいます。