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日本の政治改革
はじめまして。 まず、私は政治についてハッキリ申し上げてど素人です。 ただ、日本の政治はオカシイと感じます。(っと言うより、興味がもてません。) 与党と野党の足の引っ張り合い、第一党を取るために、または与党となるために政権を失脚させるために全力としか思えないのです。 そもそも国会議員という国民の代表は国民による選挙で選出されますが、投票率自体低すぎると思いませんか? これは、単に国民が政治に興味を持たないからに他ならないと思います。 興味を持たない=結局変わらないじゃん っと思っているからでは・・・。 現に私もそう思っています。 日本の政治を変えたい⇒高い志を持った政治家を代表として国会に送り込む⇒各候補の主張(マニフェスト)を知る必要⇒政治を変えたいと思う国民一人一人の思い。 に対し 日本はおかしい ⇒ けど ⇒ 誰を選んでも変わらない ⇒ ので ⇒ 投票しない=面倒くさい ⇒ 誰が当選したかも知らない ⇒ 政治、政治家の活動に興味を持たない ⇒ 何か変わった?っと不満が出る ⇒ 結局何も変わらない。 何だかこの循環が、明らかに負のスパイラルになっているように思います。 例え高い志を持って立候補したとしても、政党の力(金の力?)が無ければ当選しないという日本の現状は、どうにかならない物なのでしょうか? 国民一人一人が政治に興味を持ち、各政党の取り組みが理解出来、本当に日本を変えていこうとするためには、どんな方法があると思いますか? 地震による大きな被害が出た日本にあって、現状を見る我々普通のサラリーマンも、「このままでいいの?」っと感じている人は多いはずです。
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- tengenseki
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>日本の政治はオカシイと感じます。(っと言うより、興味がもてません。) 逆ではないですか。オカシイと感じたら、何故なのかとか良くは出来ないか と関心を持ち、自分なりに新聞やTVの報道番組を見たりして政治のど素人 から脱却していってほしいものです。 又、政治は興味(=面白み)の対象ではなく、真剣に向き合うものです。 >与党と野党の足の引っ張り合い、第一党を取るために、または与党となる >ために政権を失脚させるために全力としか思えないのです。 政党は政権を取らねば自分達の思う政治が出来ません。従って政権奪取に かなりのエネルギーを注ぐのは止むをえません。その度が過ぎて目に余れば 次の選挙で有権者の鉄槌を下せばいいのです。 >誰を選んでも変わらない ⇒ ので ⇒ 投票しない=面倒くさい ”投票しない=面倒くさい”の理由付けに”誰を選んでも変わらない ⇒ ので” を使われていませんか。共産党が衆議院議席の過半数を取れば変わるでしょう。 それはともかく日本人の大多数の考え方が大差ないから、その国民が選んだ 政治家による政治も代わり映えしません。その国の政治は国民を見ればわかる と言うでしょう。しかし、小沢一郎氏を最後の金権政治家というように、少しずつ ですが変わってきてはいるのです。 >本当に日本を変えていこうとするためには、どんな方法があると思いますか? その問いの中に、日本をどう変えたいのか具体的に示さねばいけません。 >国民一人一人が政治に興味を持ち、各政党の取り組みが理解出来、本当に >日本を変えていこうとするためには、どんな方法があると思いますか? 政治が興味の対象なら、週刊誌のセンセーショナルな記事に振り回されかねません。 自分は日本をどう変えたいのかを真剣に思うなら、日常から政治に関心を持ち、政治の ど素人から一歩でも抜け出すように努める事です。まずは全国紙の社説を毎日欠かさず 読んでみるとか。国民一人一人が自分なりに考えた末の清き一票の集まりしか政治を 変えられないのです。 カテゴリ 社会 > 政治
- hekiyu
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英国の社会学者の調査によると、国民が皆 政治に関心を持つようだと民主制は上手く 機能しないそうです。 関心層と無関心層が、適度にバランスをとって いないとダメだということです。 理由ですが、皆が皆、関心を持つようだと 意見がバラバラになり、統一した強力な 政治が実行できなくなるからです。 それに、政治に関心が強くなると、どうしても サヨ的な政治家が当選しがちになります。 そもそも高い志を持っているかどうか、なんて どうやって識別できるんでしょうか。 そして、その志が正しいのか、なんてことは 普通の市民に判断できるとは思えません。 多くの知識人が、社会主義という高い志を持って 政治を改革しようとして、その結果がどうなったのか 知らない訳ではないでしょう。
お礼
ご回答有難う御座います。 調査のお話はとても参考になります。確かに納得できます。 >そもそも高い志を持っているかどうか、なんて どうやって識別できるんでしょうか。 そして、その志が正しいのか、なんてことは 普通の市民に判断できるとは思えません。 この文面は少々理解に苦しみます。 普通の市民が理解出来ないような人が当選して政治を行う事って、そもそも変ではないですか? 普通の市民=国民ですし、最近の世論でもこういった実情を国民が不満に思っているのだと思います。 また、志が正しいかどうかの判断は、それを受け止める各個人の判断でいいのではないでしょうか。 正しいか否かを判断しなければ選挙自体が無意味かと思います。
お礼
ご回答有難うございます。 ご指摘はごもっともです。 私も全国紙には目を通します。もちろん、政治に対して、何で?っと感じたからです。 しかし、新聞を読んだところで何の解決にもならないのです。 (無知は論外です。) もちろん、同じように考える人が増えれば別なのでしょうが・・・。 何だか、政治を変えたいけど「変えられない」としか聞こえてきません。 変えられないのなら、変えるための方法、行動を考えるべきではないでしょうか?もし、どう変えたいのかすら分からないのら、増して知識や関心が少ない国民にどう関心を持たせるのかなどを考えるべきでは。 政治評論家等、世の中には私より遥かに多くの専門知識を持っていらっしゃる先輩方は多くいらっしゃいます。ここでご回答いただいた皆様もそうです。 皆様も「このままでいいの?」っと考えていらっしゃると思っています。 知識人が動かず、誰が動きますか? 知識人だからこそその知識で無知を解決させ、軌道修正を行えるはずです。 私はそれ以前の問題ですが、そこへ向けて一歩を踏み出しています。 そういう制度だから。そういう決まりだから。こうじゃないと無理。という考えは、進化を生みません。 出来る事なら、そのようなごご意見をお聞かせいただければと思います。